第二十一章:それぞれの想い(4)
「光君…」
光の言葉に菖蒲は戸惑った表情を見せる。何か疑っているのだろうか。光たちがここにいるのは助けるためなどではなく、陥れるためだとでも思っているのだろうか。真司は火群を使って菖蒲の記憶を操作したと語っていた。ならば、全くありもしない話を吹き込まれているのかもしれない。
だとしても、だ。ここで諦めるわけにはいかなかった。自分のためにもう既に何人もが犠牲になっている。これ以上、犠牲を出すわけにはいかない。そのために光はルシファーが置いていった光の剣を手にすることを決めたのだ。
「僕が信用できないというのかい?」
「それは…」
俯いてしまった菖蒲に光はそっと近づいた。今を逃せば二度と菖蒲を救うことはできなくなってしまう。それはなんとしてでも阻止しなければ。
「もしそうならそれでもいい。だけど、君を…君を僕のために死なせるわけにはいかない。君が僕たちに協力してくれるなら、僕はなんだってする。だから…」
「わかったわ」
光の必死の訴えが効いたのか菖蒲はゆっくりと、さっきまでとはうって変わった落ち着いた声で答えた。
「本当に?」
「ええ。でもそのかわり、私の言うことをなんでも聞いてくれるのね?」
「ああ。何でも!」
勢い込んでそう答える光に菖蒲は冷ややかな笑みを浮かべると光の腰に下がっていたエクスカリバーを指差した。
「それ」
「え?」
「それは、光の剣?」
「あっ…ああ。エクスカリバーというらしい。けど、なぜそれを…」
冷や汗が光の額から流れ落ちる。一体菖蒲は何をさせようというのだ?光の緊張した面持ちとは裏腹に菖蒲はさもなんでもないことのようにさらりと言った。
「それで、勇希さんを殺して」
「なっ!」
「なんでもするって言ったでしょう?光の剣なら闇をもたらす存在も殺せるはずよ。私を救いたいというのなら、そして本当に勇希さんがあなた自信の幸せを願っているというのなら出来るはずよ…違う?」
「そっ…それは…」
「光君。彼女の言う通りにして」
「なっ、何を!」
驚く光を勇希は強い信念を宿した瞳で見つめた。
「早く彼女を助けないととんでもないことになるわ。こんなところでいつまでもぐずぐず押し問答をしている時間はない。私なら構わない。だからお願いよ」
「ばっ…馬鹿なことを言うんじゃない!僕は…俺が君を殺すなんて、そんなこと…」
「でも!このままじゃ、菖蒲さんが!」
勇希の言いたいことはわかっていた。勇希を選べば菖蒲が死ぬ。そして菖蒲を選べば勇希が…。どちらにしても八方塞だ。どちらかを選べなんて、どうして菖蒲はそんなことを望むんだ?浄化さえさせてくれれば誰も傷つかなくてすむものを。
菖蒲の気持ちがわからずにじっとその瞳を覗いてみるが、菖蒲はただ光の決断を待っているのみである。本当にどちらかを選ばなければならないのか?誰一人失いたくないなど、所詮虫のいい話でしかないのか?そんなはずは…そんなはずはない。そんなバカなこと俺は許さない。許してたまるものか。
「大丈夫だ…誰も…。君も彼女も殺させはしないから」
光は腹の底から搾り出すような低い声でそう言った。
「!!」
「断ると、言うのね」
「そうだ。そんな要求、飲むわけにはいかない」
「それは…あなたも彼女を愛しているから?」
「…」
「そう。それがあなたの答えなの。いいわ、なら、二人とも仲良くあの世へ送ってあげる」
菖蒲がそう言い終えた途端、その顔から菖蒲の人格が消え、代わりにその中に潜んでいた別のものがその姿を現した。何よりも暗い闇の渦を纏った異形の女が血のように赤い唇をにいっと吊り上げて笑っている。その瞳はまるで赤玉のように暗く輝いていた。その姿は以前、診療所に現れたあの影に違いなかった。