第二十一章:それぞれの想い(3)
光と勇希は菖蒲の姿を探して奥へ奥へと進んでいた。
早くしなければ、いつヒプノスに喰い殺されてしまうとも限らない。菖蒲、どこだ。どこにいる?
気持ちが焦れば焦るほど、周りの空気がねっとりと体中に絡み付いてなかなか足が思うように動かない。それがもどかしくて、また心ばかりが空回りしてしまう。体中にまとわりつく空気をなんとか振り払いながら進んでいくと、暗闇の中、ぼんやりと薄暗い明かりが見えた。神経を尖らせながらさらに近づいていくと、古めかしいランプにオレンジ色の炎が灯り、その傍に置かれた揺り椅子に腰掛けた小さな人影が見える。俯いた横顔からはその表情を伺うことはできないがどうやら女性のようだった。
「菖蒲?」
数メートルほど離れたところでそっと声をかけてみると、揺り椅子の女性がはっとこちらを振り返った。
「ひ、光君?」
信じられないといった表情で、それでもうれしそうに立ち上がった菖蒲は走り寄ってくるとそのまま光に抱きついた。
「よかった…無事だったんだね」
泣き声になりはじめた菖蒲を落ち着かせるために光はそっと頭をなでてやる。
「ああ…。君こそ、大丈夫か」
外見的には特に変わったところは見られなかったが、菖蒲の中には夢魔の一つであるヒプノスがまだ巣食っているはずだ。早いとこ浄化させないと大変なことになってしまう。そんな光の心配を他所に菖蒲は無邪気な笑みを浮かべていたが、光の背後に少し遅れてきた勇希の姿を認めると、厳しい表情を浮かべて光の腕をきつく握り締めた。
「菖蒲?」
「どうして…どうして、あんたがここにいるのよ!」
菖蒲の金切り声が深い闇に吸い込まれていく。
「菖蒲…さん…」
「あれほど、あれほど言ったのに!光君はあなたのおもちゃじゃないのよ!カミンの代わりになんか!」
「違う!」
「何が違うっていうのよ!」
「お…おい…」
いきなり勇希にくってかかる菖蒲をなんとかなだめようと試みるが、まるで光のことなど見えていないかのように菖蒲はきっと勇希だけをにらみつけている。
「私は…彼をカミンの代わりだなんて思っていない!私は…彼を…。光君を愛しているの!!」
「!」
「私、思い出したの。初めてあった人のこと…。私とお父様を助けてくれた人のことを…」
「あなたを助けたのがカミンじゃないの!」
一言一言、噛締めるように話す勇希に菖蒲の苛々は益々募っていく。けれども、そんなことはお構いなしの様子で勇希はじっと菖蒲の目を見据えたまま慎重に言葉を紡いでいく。
「そう。確かにカミンなんだけど…でも、あれは光君なの…。光君は、カミンのクローンなんかじゃなく、彼自信。いえ、カミンすら失っていた本来の姿…」
「なっ…なにをバカなことを」
「でも、本当なの。私もどういうことなのか、まだよくわからない。けれど、これだけはわかる。私は、私は心から、光君のことを想っている。彼を何があっても護りたい。あなたもそうでしょう?」
「…」
「光君のことが好きで、護ってあげたい…。だから、あんな人たちの仲間になってしまった。けれど、こんなことをしても、光君は幸せにはならない。今のあなたは光君を苦しめているだけなのよ!」
「うっ…うるさい。あんたに一体何がわかる…。私は…私は…」
勇希の言葉に菖蒲の瞳に初めて動揺の色が走る。自分はずっと彼だけを見てきたのだ。無機質な病院で一人ぼっちだった彼。誰もがあきらめていたあの時も、彼が目覚めることを信じて側にいたのは自分だ。それに比べ、この女は何をした?退院した光の前に突然現れたかと思えば、勝手に別の男の亡霊を重ねて光を苦しめているだけじゃないか。それなのに…。それなのにどうしてこんなにも勇希の言葉で動揺しなければいけないのだ。自分は何も悪くない。光が幸せになることだけを考えて行動していたはずなのに。どうして…?
(彼に亡霊を重ねていたのはあなたでしょう?)
菖蒲の頭の中で誰か別の声が聞こえた。
何?何を言っている?
(ずっと一人ぼっちだった自分を病院で一人だった彼に重ねていたのではなくて?これで自分も独りじゃない。彼が自分を孤独の世界から救い出してくれる。そう願って、勝手に思い込んでいたのはあなたのほう。だから彼が自分から離れていってしまうのが怖かった。その原因になる彼女を憎んでいた…だから)
うっ、うるさい。そんな、そんなのは全部デタラメだ。私は独りぼっちなんかじゃない。私はただ彼のことを考えて…それで…。
菖蒲が否定のために大きく振り払った手が傍のランプを倒した。そのまま床に落ちると大きな音をたてて砕け散る。見る間に火が周りに広まりはじめた。
「菖蒲、落ち着け!落ち着くんだ!」
見かねて叫んだ光の声に菖蒲ははっと振り返った。
「僕たちは君を苦しめるためにここへ来たんじゃない。君を…君を助けるためにここに来たんだ」
「私を…助ける?」
「君は今、夢魔…ヒプノスに体を乗っ取られている。早くそいつを浄化しなければ、君の魂はそいつに喰い殺されてしまうんだ。頼む。僕に、僕に君に巣食った夢魔を浄化させてくれ」