第二十章:愛情の裏側にあるもの(4)
「ああ…。心配かけたな」
そう言って光がレルムの頭をなでると、レルムは満面の笑みを浮かべて光の顔に自分の頬を摺り寄せた。
「そんなのいいってことにゃん。光が無事でさえいてくれれば。ね、真津子!」
「ええ。そうね」
レルムの呼びかけに部屋の中央で一人、安堵のため息をついていた真津子も柔らかな笑みを浮かべた。灯台であったことをおぼろげにしか覚えていない光だが、何か真津子に対して謝らなければならないことがあったはずだ。それを口にしようとした時、頭の中に真津子の声が響いた。
気にしなくていいの…。
真津子の得意なテレパシーだ。他の者に聞こえないように、真津子は光に語りかける。あなたは何も気にしなくていい。あなたはただ利用されただけ。あなたの心は別だとみんな信じているのだから、何も言わないで、と。
「真津子さん…」
「ホントによかったわ。気がついて。じゃあ、みんな揃ったところでちょっと座ってちょうだい。これからについて話があるの」
真津子は元気よくそう言うと、光にだけわかるようにウインクしてみせた。
いいから、ここはお姉さんに任せなさい。
以前のように気丈に振舞う真津子に光はふっと表情を和らげると黙って真津子の指示に従うことにする。四人がそれぞれソファーに座ったことを確かめると、真津子はテーブルの上に置いてあったリモコンにその白い手を伸ばした。
部屋の隅に置かれたTVにニュースを読み上げる若い女性キャスターが映し出される。それはいつも午後に流れるニュース番組で、キャスターは緊張した声で築地病院の院長である火群が巻き込まれた事件のことを伝えていた。
「築地病院の…院長?」
キャスターの左隣に映し出された被害者である男の写真に光が訝しげな声をあげる。それは見覚えのある顔だった。築地病院は光が入院していた病院だが、実際に院長に会ったことはない。だが、光は間違いなく、どこかでこの男の顔を見たことがある。どこで会ったのか記憶が定かではないけれど、ずっと昔にこの男と何かを約束したような気がしてならなかった。
光の考えを他所に、モニターの中のキャスターは淡々と事件の内容を読み上げている。それによると、火群の死体を乗せたリムジンが、数日前、とある月極駐車場の中で発見された。目に見える外傷や紛失物などは見当たらなかったが、ドアは内側から開けられないような仕組みになっており、地元警察ではなんらかの事件に巻き込まれたものと推測、他殺の容疑で調査が行われていた。火群の死因は精神的ショックによる心臓麻痺。見つかったリムジンは数日前に所有する会社から盗難届けが出されていたという。地元警察は最近メジャーな脳内映像の検証を行ったが、不可解なことに事件直前と思われる映像以外、火群の脳には何の記憶も残されてはいなかった。
「それでは、被害者の脳に残っていた最後の映像をご覧ください」
相方の男性キャスターの言葉と共に画面が切り替わり、画像処理を加えた後の映像がスタジオに代って映し出された。窓の外を何の変哲もないビルや町並みが流れた後、何か思うところがあったのか、カメラがきょろきょろと車内を徘徊する。光は自分の意図しない映像の動きに吐き気を催しそうになるのをこらえてじっと見守っていると、また車窓に画面が戻った。がらんとした闇がその奥に広がっていて、地面にうっすらと見える白いラインによってかろうじてそこが駐車場だということがわかる。まるで肉の塊のような太った手がドア取手付近のボタンをせわしなく押している。あまりにも肉がつきすぎて、手の甲には四つの「えくぼ」が並んでいた。まるで子供のような、しかし大きさはそれの三倍程ある火群の右手が視界の外に消えたかと思うと、しばらくして悪趣味な金ピカの携帯電話が現れた。二つ折の携帯を開くと青白い光がデフォルトの面白味のない待ち受け画面から漏れる。肉のついた指が短縮ダイヤルを押すところで、突然カメラが向きを変えた。いや、これは火群の目が見た映像のはずだから、きっと火群自身が振り返るかなにかしたのに違いない。画面にはまた車窓が映し出されたが、その向こうに見えたのは闇と白線ではなかった。闇の中に黄色く光る二つの目。それが急激な速さで近寄ってきたかと思うと、まるで回っていたカメラを叩き落としたかのようにひどい砂嵐が流れ、そこで画面はスタジオに切り替わった。
同じく映像を見ていたであろうキャスターは、しばらくぽかんとした表情を浮かべていたが、自分にカメラが戻ってきていることに気がつくと、いつの間にか握り締めていた原稿を慌てて読み上げた。
「映像課の検証では、最後に見られる二つの光は古い鉄道のヘッドライトであると断定されましたが、同タイプと思われる鉄道は数十年前に全て廃棄されており、また、その数十秒前と見られる映像は発見現場の駐車場内の様子に類似していることから、この調査報告の真偽に疑問の声もあがっています。警察では当事件を結論付けるには時期尚早と考え、更なる調査が検討されています。さて、次のニュースですが…」
キャスターが話しを切り替えるのを待って真津子がリモコンのボタンを押した。画面の闇と共に部屋にも重苦しい沈黙が訪れる。
「今のは…」
「今日の夕方に放送されたニュースよ。実際の事件が起きたのは3日前。被害者は築地病院…光君が入院していた所の院長。なんだか気になる事件だったから、ちょっと録画しておいたのよ」
光の質問に真津子が説明する。光がいた病院ということは菖蒲が働いていた場所でもある。そこの院長が奇妙な死を遂げた翌日に菖蒲が現れ夢魔に囚われた光が勇希たちと対峙した。そこになにか関連があるのではないか、それが真津子の考えだった。
「築地の院長っていうと…真津子んとこで雇われた人間なのか?」
「まあ、昔はね。ちょっといろいろ訳があって流インターナショナルの傘下から外れているから表向きは個人経営の病院ってことになっているんだけれど」
敬介のめずらしく鋭い質問に真津子は少し顔を曇らせながら答えた。
「ただの事故…には見えないわね」
つくもの考えに他の者も同意見のようで、皆一斉にうなずいた。
「それで?どうするんだ?」
「とりあえず、火群の家にいってみるべきだと思うの。彼が篠山さんの失踪や一連の事件に関連していたのかどうか…。なにか手がかりが掴めるかもしれないし」
「それはいい考えだけど…入れるの?その…警察とか、マスコミとかで近寄れないなんてことは…」
控えめに尋ねる勇希にそんな心配はないと真津子は太鼓判を押した。
「なんでそう言い切れる?」
つくもの問いに真津子は既に裏から手を回していることを白状する。
「あんまり関心することじゃないけどね…。でもルシファーの話からしても、そうこちらも無駄な時間をかけてはいられないでしょ。仕方ないからちょっとお金にものを言わせてもらったわ」
「よっしゃ。それじゃ明日にでも言ってみるか」
敬介が勢い込んでそう叫ぶ。窓の外ではまるで蝶の群れのように白い雪がはらはらと舞っている。その奥に潜む闇の中、佇む邪悪な存在に気付く者は誰もいなかった。