第十九章:嫉妬(7)
「光?!どうしたってんだ?」
敬介が叫ぶが光からは何の反応も見られない。いつも、生まれたばかりの子供のように、いつもきらきらと輝いていた藍色の瞳には、ただ真暗な闇が降りていた。
「この感じ…もしかして!」
以前にも見覚えのあるその瞳に勇希が大きな声をあげてルシファーに肩を貸している真津子のほうを振り向く。
「叔父が操っているんだと思うわ」
「それだけじゃない。君たちも見たでしょう?女に光がついていったのを。あれはヒプノスと呼ばれる夢魔。人の本来の心を囚い、闇の部分だけを表に出す。それが今ここにいる闇の光なんです」
「なんだって!!」
夢魔に囚われた上に真司の外からの支配。二重のプロテクトが光を闇の世界に閉じ込めているのだとルシファーは説明した。
「仲間が助けにきてくれたというわけか…。とんだ茶番だな。まあ、いい。仲間だと思っていた者に殺されるのだから本望だろう。さあ、光、お前の友達を楽にしてやれ」
真司の冷ややかな声にその心を完全に支配されてしまった光は感情のない顔でうなずいた。その目がかっと赤い血の色に染まる。
「そうはさせないにゃん!!フリーズ!」
レルムはポシェットをワンドに変えると呪文を唱える。ワンドが一瞬光ったかと思うと、光の動きが止まった。
「よし、今のうち…ええっ!!」
レルムがほっと胸をなでおろしたのもつかの間、光はレルムの魔法を次の瞬間には霧のように拡散させてしまった。
「そんな、レルムの魔法が効かないなんて…」
レルムの混乱に真司がうれしそうな笑い声をたてる。
「フリーズなどという中級魔法が今の光に通じると思ったか。そんな小賢しい真似をしないで本気で攻撃してきたらどうだ?」
「うるせえっ!光は仲間、そしてお前は真津子の身内じゃねぇか。俺たちが殺しあう必要がどこにある?」
「ははははは。無様だな、五大戦士たちよ。お前達は本当に馬鹿の集まりだ。友情や愛情などというくだらないものに縛られているから勝てる戦いも勝てないのだ。この世の全ては力あるものが支配するもの。自らが生き残るために他者を殺る。それが自然の摂理じゃないか」
「なっ!馬鹿なこと言ってんのはあんたのほうじゃないのよ!仲間を殺して、自分だけが生き残って本当に幸せになれるとでも思ってるの?」
「ふっ。己の居場所を求め、友を売ろうとしたお前が偉そうな口を利くじゃないか」
「ぐっ…」
どうやって知りえたのか、どうやら真司は昔のクルツのことを言っているらしかった。未だ過去の自分の過ちを許せないでいるつくもはその言葉に二の句が継げず、黙り込んだ。
「仕方ないな。では可哀想なお前達のために私は高みの見物といくことにしようか。私は手を出さない。どうやってこの事態を切り抜けるのか、その友の力とやらを見せてもらおうじゃないか。光、行け」
その声に光がゆっくりとこちらへ近づいてくる。その目はらんらんと血の色に輝いていた。
「光君…。もう、あなたに私たちの声は届かないと言うの?」
ゆっくりとこちらに近づいてくる光の手にいつもの青い光ではなく、黒い闇の塊が集結していく。それは真司の言っていた通り、この光が闇の存在であることを示していた。
「出でよ!アトロポス!」
光の声とともに闇の塊が大きな剣へとその姿を変わっていく。光はそれを脇構えに構えると、きっとこちらを睨みつけた。
あれで切り込んでくるというのか。それともあの剣を軸に何か上級魔法で一掃するつもりか。どちらにしてもこの状況が非常によくないことは確かだった。
どうすればいい?一体どうすれば光をもとに戻せる?
焦る勇希の前にルシファーが一振りの剣を差し出した。傷が相当酷いらしく、真津子の肩を借りて立っているのもやっとという状態だったが細い瞳がらんらんと輝いている。
「これを使いなさい」
「これは?」
「光の剣、エクスカリバーです。普通なら、私の力で光の魂を解放することなど、造作もないことなのですが、この傷では本来の力の半分も出ないでしょう。真司は君たちが本気で戦わないから勝てないなどと言っていましたが、それは違う。今の光には君達が束になってかかったところで勝つことは不可能」
そう言ってルシファーは苦しそうに息を継ぐ。焼け爛れた右肩が熱を持って真っ赤に腫れ上がっていた。
「ナユルは本来、闇の属性…それでも、この光の剣なら彼の心を闇から救い出せるかもしれません」
躊躇する勇希にルシファーはその剣を押し付けた。鞘から抜いてみると両刃の長剣はきらきらと発光した。磨きぬかれた刃に勇希の緊張した顔が映っている。
「わかったわ。絶対、光君は助けてみせる」
勇希はごくりと生唾を飲み込むとさっと仲間のほうを振り向いた。
「みんな、手を出さないでね」
「おい、一体それでどうするって言うんだ?」
「わからない。けど、とにかくやってみる。絶対光君を攻撃しちゃ駄目だよ」
攻撃したくてもできねぇよ。そう心で毒づきながらも敬介はしぶしぶうなずいた。
エクスカリバーを手にした勇希はゆっくりと光の前に進み出る。赤く光る瞳にはいつもの優しい光はいない。でも、光君の心は消えていないはず。なんとかして、その心に入り込むことができれば…。
「行くわよ。はあああっ!」
短く気合を入れると勇希が先に動き出す。闇の剣と光の剣がぶつかる度に堅い音が響く。以前の仕合でも見せたが光の剣の実力は勇希の比ではない。それにエクスカリバーは細身とはいえ、いつも訓練に使っているトンファーに比べて随分重い。必死に攻める勇希を光は片手で軽くあしらっている。
「あれじゃ、絶対無理だにゃん。勇希の体力が持たないよ…」
「けど、俺たちが手を出すわけにもいかないだろ?」
「ああん、もう。どうすればいいのよ!」
苛立つ三人の傍で、真津子は光の心を抑制するものが夢魔だけではないことを思い出した。もしかしたら…。
真津子はバッグの蓋を開ける。事務所を出る時に忍ばせていたオリハルコンの短刀がバッグの底で妖しい光を放っていた。
「ルシファー、ちょっとここに座っててね」
そう言うと、ルシファーを傍の街路樹の根元に座らせる。
「真津子、何をする気です?」
いぶかしむルシファーに真津子は何も答えないまま、その手にオリハルコンの短刀を握り締めるとその姿が一瞬のうちに消えてなくなった。瞬間移動で真司の背後に迫った真津子はオリハルコンの狙いを叔父の首に定める。その刃先があと少しで真司の首に触れようとした時、突然誰かが真津子の手を掴んでその短刀を叩き落した。
「リ…リオン?!」
「止めておけ」
驚く真津子にリオンは冷ややかな声で短く言い放つ。真司は驚いた様子もなく、余裕の表情で真津子を見下ろしている。
「ふっ。残念だったな。だがそんなに隙だらけでは俺を倒すことは不可能だぞ」
不敵に笑う真司を真津子はきっと睨みつける。くやしいが、真司の言うことは本当だった。叔父を手にかけることにためらいがあったのは事実だし、リオンの気配を見逃してしまったのも自分の心にある隙、いや、甘さのせいだ。
「俺を倒したかったらもっと力をつけてくることだ。菖蒲と共に待っているぞ。もちろん、そこの光をどうにか出来たらの話だがな」
真司はそう言うと、不敵な笑いを残しリオンと共に夜の闇へと消えていった。真津子は叩き落されたオハルコンを拾うとじっとそれを睨みつける。くやしさにその手がぶるぶると震えた。
「真津子!大丈夫にゃん?」
かけつけてきたレルムの声にはっとする。
「ええ。二人を取り逃がしてしまったけれど…」
「そう。とにかく今は光のことが先決だにゃん」
大人びた表情でレルムは言った。オッドアイが見つめるその先では光と闇が未だに火花を散らしていた。
「光君!目を、目を覚まして!!」
勇希がエクスカバーを振り上げる。光の赤い瞳が光り、闇の剣ががら空きになった勇希の脇に迫る。その瞬間、堅い音が闇に響いた。
「勇希!!」
敬介の瞳に光の手から闇より暗いアトロポスが叩き落されるのが見えた。次の瞬間、エクスカリバーが眩い光を放ち出す。それに呼応するかのように光の胸の当りが青白く光りはじめた。
「ぐっ、う、うわあああああ!!!!」
苦しそうにもがく光が絶叫する。
「光君!!!」
真津子が叫ぶ。そばに駆け寄ってやりたいのに、真津子たちの足はその場に貼り付けられたかのようにぴくりとも動かなかった。
「お…俺は…」
光の背に眩い光が集結する。光はじょじょに二枚の翼へと変っていった。それは以前、満を助けようとして具現されたものよりもさらに大きく成長し、周りはうっすらと青白く輝いている。その翼から逃れようとするかのように光の身体から黒い影が立ち昇った。紅の瞳がゆっくりと深い藍色に変わっていく。
「僕は…負けない!!」
光の叫び声と共に、エクスカリバーと光の翼から放たれる清らかな光がその激しさを増した。翼がさらに大きく広がる。闇に逃げようとする影は、行き場を失い光の中に跡形もなく呑み込まれていく。辺りには鼓膜を引き裂く狂気の声が響き渡った。