第十九章:嫉妬(1)
満の診療所は小さな一戸建ての家の一部を改造して作られたもので、居間などの大勢が集まれる部屋がない。満自身、あまり大勢で集まって騒ぐようなタイプではなかったから、光やレルムが来るまでそういった部屋の必要性はほとんどなく、たまに何かの理由で数人が一同に集まったとしても玄関兼用のたいして広くない待合室で事足りていた。
中流以上の住民は他の大きな病院を利用していたから、満のような町医者のところに診察に来るのは大概なんらかの事情で普通の病院にかかれない下級層の人たちだ。満はもともとそういった人たちの救済を目的に自分の診療所を開いていたから最低限の治療費しか請求していなかったのだが、それでも頻繁に通える者は少ない。だからこれぐらいの待合室でもいっぱいになった試しがなかった。
そんなところに今はレルムの他に大人が四人も集まっていて、その空間はいつにも増して更に狭く感じられた。暖房のせいか、玄関脇の大きな窓がいつの間にか白く曇りはじめている。窓辺に立っていた勇希がガラスの表面に集まった露をそっと手で拭き取ると、暗くなり始めた街に粉雪がちらつくのが見えた。
「ちくしょう。菖蒲のやつ…いったいどこへ光をつれていったんだ!」
勇希の背後で敬介がぎりっと歯軋りする。行方不明だった菖蒲が光を連れて行くビジョンを見たのは勇希とレルムばかりではなかった。急ぎ光が働く喫茶店に行ってみると先に辿り着いていたつくもと敬介が兄のヨウジに詰め寄っているところだった。聞いてみると二人も同じ時刻に似たようなビジョンを見たという。急ぎ駆けつけた敬介は、暢気に出迎えたヨウジを今にも殴りかからんとする勢いで問い詰めていた。
「ど、どこって、知らねぇよ。どこか落ち着いたところで飯でも食ってんじゃないのか?」
敬介の剣幕に何も知らないヨウジは困ったような口調でそう答えた。
「なんで聞かなかったんだよ!いや、それより、なんで二人だけで行かせたんだ?!」
「なんでって…。そんなん聞けるはずないだろう?オレだって、ここんとこずっと菖蒲ちゃん、行方不明だったって聞いてたし。もっと詳しく聞きたくても、オレは仕事中だったんだ。うるさい店長の前でそうそう話ができるわけないじゃないか。それに菖蒲ちゃん、なんだか思いつめているようだった…。光に話があるって、ちょうど光も休憩時間になるところだったから、二人でゆっくり話しができればいいと思ったんだ」
ヨウジの言うことはもっともだったが、それでも敬介の腹の虫は納まらない。震える拳を握り締め、敬介はきっと兄を睨みつける。そこに割って入ったのはレルムだった。
「敬介、もうやめるにゃん。この人を責めたって仕方のないこと。それより今は光を探すことが先決だにゃ」
「おい、いったい何があったんだ?光を探すって…まさか、光まで一緒にいなくなっちまったっていうんじゃ…」
レルムの言葉にヨウジの顔がさっと青褪める。
「もう、いい!おい、手分けしてあいつらを探すぞ!」
ヨウジの言葉に否定できない敬介は更に苛立った口調でそう言うと、さっと身を翻し人込みの中に消えていった。
***
半日ほど過ぎた頃、疲れ果てた四人は自然とこの場所に集まっていた。思い当たるところは全て廻ってみたのだが、それらしい人影は見つけられなかった。ここにはレルムから知らせを受けた灑蔵もやってきていた。驚くことに灑蔵は遠い昔にレルムと知り合いだったらしく、その因果でこのところ行動を共にしていたのだと言う。
「今はしばらく我慢じゃ、敬介。お主ら四人、ここに集ったのには何か理由がある。何者かがお主らを引き寄せようとしている。それが一体なんなのか、そこをわしらは調べておったのじゃが、とうとうわからなかった」
灑蔵は厚い瞼に隠された瞳できっと四人を見回した。
「光が、あやつが自らの意志でその娘を助けに行ったのなら、わしらに出来ることはただ一つ。あやつを信じることじゃ。なあに、そんなに心配せずとも大丈夫じゃよ。あれは、あやつは何かとてつもないものを秘めておる。きっとあやつなら、あの娘だけでなく、カミンですら叶わなかったこの世界をも救ってくれるじゃろうて」
「気にいらねぇ…」
穏やかになだめる灑蔵に敬介は吐き捨てるように言った。
「敬介?」
「なんで、真津子はここにいないんだよ?じいさんにすら見えたビジョンなんだぜ。誰よりもこういうことに敏感なのはあいつじゃねぇか。それなのに…」
敬介の言う通りだった。いつもなら一番に仲間のことを察知する真津子が、今日はここに来ていないどころか、連絡すらとれない状態にある。満がオリハルコンの短剣に倒れてからというもの、真津子は皆を避けていた。操られていたとはいえ、満を殺したのは真津子自身だ。そこに責任を感じていないはずはなかったし、そのせいで仲間に合わせる顔がないというのだろう。それに真津子は仲間の中で満との付き合いが一番長い。口数の少ない満と大人びた真津子は敬介たちのように多くを語り合うような仲ではなかったが、それでも気持ちは他の誰よりも通じていたはずだ。真津子が落ち込むのは当然のことで、もし時間が必要だというのならと皆で話し合ってしばらくそっとしておいたのだ。
けれど、今はそんなことを言っている事態ではない。普段の真津子なら、敬介たちが見たビジョンが見えていないはずがないし、仲間が危険な目にあっているかもしれないと知りながら無視するなんてあり得ないことだった。