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第十八章:悪夢(ナイトメア) (5)

新年を迎え、時はもう既に二月になろうとしている。今年はいつにも増して寒さの厳しい冬を迎えており、年始から世界各地で吹雪、雪崩、暴風雨から落雷まであらゆる天災が報道されている。そのどれもが多数の死傷者を出しており、一ヶ月たらずで世界の死傷者はもう既に数十万人を超えていた。ニュースでは被災地の映像が毎日のように流れ、あちこちでこの騒ぎに便乗した人たちが暴動を起こしている。街頭にはここぞとばかりに集まった多数の宗教関連者が新たな信者獲得に大声をはりあげ、テレビには華美な衣装に身を包んだ訳知り顔の預言者たちが口々に世界の破滅を繰り返し、人々の不安を煽っていた。


菖蒲が姿を消してそろそろ半年が経つ。その後も菖蒲からの連絡はなく、菖蒲が借りていた部屋も今では他人の住居となっている。さすがに業を煮やした大家さんが残っていた家財道具を全て運び出し、新しい家人に部屋を貸してしまったので菖蒲には、事実上帰る家はもう、どこにもなかった。なんとかしてやりたいと思っても光には経済的に菖蒲のアパートを繋いでおく資金がない。幸い、大家さんの好意で荷物を倉庫に無料で保管してもらえることになっている。光は無駄と知りながらも喫茶店に来るお客にそれとなく菖蒲らしい人を見かけたことがないか、見かけたら知らせてくれるようにと頼んで回ったが何の収穫もないままで終わっていた。


レルムは相変わらず光と一緒に加瀬診療所で暮らしていた。別の次元から来た自分には通う学校も職場もないからという理由で昼間は安東道場で灑蔵の手伝いをしているのだが、レルムが道場に通っているのには実は別の理由があった。


「おはよ〜にゃん」


この日も道場の奥にある母屋に行くと、虫食いだらけの古い書物を食い入るように読み漁っている灑蔵の姿が目に入った。そばに寄って大きな声で挨拶すると、灑蔵がのっそりと顔をあげた。


「今日も早いな。どうじゃ、何かわかったか」


灑蔵は珍しく疲れた声でそう言った。おやと思って灑蔵の顔をまじまじと覗いてみると、相変わらず垂れ下がった瞼が今日は少し赤くなっている。


「ダメです。全く何の手がかりもつかめません。まさかこんなに梃子摺るとは…」


レルムは急に真剣な表情になると、いつもとは違う礼儀正しい口調で答えた。


「ふむ、そうか」


「師匠、もうおやめください。少しは休まないと体に悪うございます」


短く答えてまた本に目を落とす灑蔵にレルムは気遣う声をかけた。


「いや、なに、わしは大丈夫じゃ。ここまで生き長らえたのはお前さんをそんな体にしてしまった報いを清算するためらしい。最後までつきあうさ」


「なにをおっしゃるんです。師匠には世話になっているのですから、清算など…」


そう言って心配するレルムに灑蔵は苦笑いする。このままでは自分が寝床に入るまで許してくれそうにない勢いだ。仕方なく開いていた古文書に栞を鋏むと一休みするためにレルムを連れて台所へと移動した。二人が同時に悪寒を感じたのはつくもの母が灑蔵に言われ茶器にお湯を注いでいた時だった。


「今の感じ…どこかで…」


レルムがどこかで覚えのある感覚にびくんと体を震わせたその時、台所の片隅に置いてある骨董品のような古い電話がけたたましく鳴り響いた。その音にレルムは座っていた椅子からひっくり返る。


「うにゃ。び、びっくりしたぁ…」


今にも体から飛び出す勢いで脈打つ胸を押さえながら電話のほうをうらめしそうに見ると、静かな口調で対応していたつくもの母がレルムに向かって小さく手招きした。


「ふぇ?」


呼ばれるままに近づくと、真っ黒な受話器をその小さな手に受け取った。嫌な予感に胸がどきどきする。少しためらった後で恐る恐る耳に運ぶと冷たい受話器の向こうから緊迫した様子の勇希の声が聞こえてきた。


「もしもし、レルム?」


「なんだ、勇希か。どうしたの?」


知人の声に無理に明るい声を出してみるが次の勇希の言葉でその努力は無残にも崩れ去った。


「今、変な気が…レルムは感じなかった?」


「え?勇希も感じたの?…!!」


勇希が答える前にレルムの心臓がドクンと大きく脈打ったかと思うと、突然目の前の景色が変わった。薄暗い台所の片隅が突然古びたテーブルや椅子が並ぶ小さな店内の風景に変わっていく。何度か足を運んだことがあるその場所は相変わらず女性客で賑わっている。皆が楽しそうに各々の話に花を咲かせる店内に異質な気配を纏った女性が一人、入ってきた。


チリンチリンという軽やかなドアベルの音が、今日はなにかそら恐ろしいもののように聞こえてレルムは思わずぶるっと小さく身震いした。レルムからは女性の背中側しか見えないので、それが一体誰なのか窺うことはできない。奥から応対に出た青年が二、三言葉を交わすと女性を入り口のところに残したまま、店の奥へと消えて行った。


しばらく固唾を呑んで見守っていると、奥から紺碧の髪の青年が現れた。全てがセピア色に見える景色の中で、その髪だけが鮮やかな色彩を放っている。青年はその女性の側まで来ると、明らかな安堵の表情を浮かべた。


(光、その女についていってはいけないにゃん!)


しばらく言葉を交わした後、その女性について店を出ようとする光にレルムはあわてて叫んだが、レルムの口からはただ苦しい息が漏れただけだった。どうして…。なんでこんな時に…。この女は危険なのに!


どうにかして止めようと焦っていると、ふと光がこちらを振り向いて、藍色の瞳がレルムをその視界にしっかりと捉えた。


(大丈夫、僕は大丈夫だから…)


光のなだめるような声がレルムの脳裏に響く。


(大丈夫じゃないにゃん。その女は、危険なのにゃ。下手についていっては取り込まれてしまうにゃん)


(取り込まれる…か。そうかもしれない。けど、それでも僕は行かなきゃならない。今度こそ彼女を救わないと。今救わなければ、もう二度とチャンスは来ないかもしれないのだから)


(そんな!)


(大丈夫だから、心配するな…。でも、もし僕が帰らなかったら、その時は…。レルム、みんなを、勇希を助けてあげてくれないか)


光が店を出た瞬間、レルムはもとの台所に取り残されていた。


「レルム…今のって…」


どうやら今の光景はレルムにだけ見えていたわけではないらしい。背後で茶をすすっていた灑蔵も湯飲みを中途半端な高さに持ち上げたままじっと台所の一点を睨んでいる。


「とにかく、現場にいってみるにゃ。二人がどこにいったのか探さなきゃ」


レルムはそう言うとポシェットを片手に灑蔵の家を飛び出した。

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