第十八章:悪夢(ナイトメア) (4)
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菖蒲は、閑静な住宅街で唯一異色を放つ一件の大きな家の前でしばし立ち尽くしていた。真司の言葉につられてそのまま飛び出してきたものの、見上げれば蒼白い月がとっくに真上を過ぎている時刻である。院長の家は隣家同様真っ暗で、玄関近くに立てられた古い街灯が耳障りな音をたてながら、ちかちかと青白い光を点滅させて菖蒲の足元を照らしていた。
家の前には異様な形の彫刻をほどこした門柱が二本、左右均等に立っていた。かなり古いもののようで、もともとそれが支えていたはずの門扉は既に取り払われている。複雑に絡み合う蔦の下に見えるその彫刻はまるで鳥と魚をかけあわせたような形で、夜の闇も手伝ってそのおぞましさはこれ以上ないという形相をしていた。
誰が何のためにこんなものを想像して造ったのかもわからないが、こんな彫刻を玄関の門柱に採用した家主の考えも菖蒲には理解できなかった。奥に見える家がさほど古いものではないことから、この門柱だけわざわざ残したらしかった。この不気味な彫刻にどんな意味があるのかしれないが、どういった理由にしろ、こんなものを玄関前に飾っていられる住人はかなりの変わり者に違いない。実際、菖蒲の知るこの家の住人はなかなかの曲者であったのだが、いつも多数の報道陣を呼んで多額の寄付と慈善事業を大々的に行っているおかげで近所の住民からは「金持ちの変わった道楽」ぐらいに思われているらしかった。
いくらなんでもこんな時間に失礼だっただろうか。普通の人間ならとっくに寝ている時間である。家族がいるようには聞いていないが、例え院長が一人で住んでいたとしても、いや、一人で住んでいるのなら尚のこと、こんな時間に若い女が一人押しかけるのはあまり感心することではない。院長がどんな策をたてているのか気になってしょうがないのは事実だが、やはりここは日を改めたほうがいいかもしれない。そう考えて踵を返そうとしたその時、家の中に黄色い明かりがぱっと灯ると一人のお世辞にも見てくれがいいとは言えない中年男が家の中から現れた。
「そんなところにいないで、入ってくればどうだ?」
火群のざらついた声が冷たい闇夜に響いた。どうして自分がいることが分ったのか。菖蒲が驚きを隠せない様子で玄関のほうへと歩み寄ると、火群はにやりとその薄い唇をつりあげた。その冷笑に背筋が冷たくなる。一瞬ひるんだ菖蒲は上司の顔から目をそらしながら夜分突然の訪問の非礼を詫びた。
「夜分遅くにすみません。でもどうして私が来ていることを…?」
「ああ、流から連絡があったんだ。君が計画のことを早く聞きたがっているとね。まあ、あがりたまえ」
火群はそう言うとさっさと家の中へと消えていった。あわててその後ろ姿を追うと奥の客間らしき部屋にたどり着いた。暗い部屋にオレンジ色のランプが一つ点っている。火群はその脇に置かれた安楽椅子に身を沈めると、部屋の入り口で居心地悪そうに立ち尽くす菖蒲に入ってくるよう手招きした。火群のちょうど向かい側に位置する場所に置かれた長椅子に腰掛けると火群の背後に造り付けの大きな本棚が見えた。そこには空間という空間にぎっしりと大小さまざまな大きさの本が詰め込まれている。暗くてよくは見えなかったが、中にはどこか外国のものらしい見たこともないような文字が背表紙に刻まれているものもあった。
「すごい量の本ですね。これ、全て医療関係の資料ですか?」
「いや、ここにおいてあるものは確かに私が研究しているものではあるが…その内容は医学とはおよそ関係のないものだよ」
暗闇に照らされた火群の顔が無表情に菖蒲を見据える。菖蒲は身震いしそうになるのを必死に抑えようと足元へ視線を泳がせて、床に残る染みに目が釘付けになった。薄暗くてよくは見えないが、板張りの床にまるで白いチョークで描いたような線が浮かんでいる。一つを除いてほぼ真直ぐの線が一定の距離毎に一定の角度で方向を変えている。その線をゆっくりと視線だけで追いかけていくとある形になることに気がついた。
「早速今回の計画を説明するとしよう」
そう火群の声が宣言した時、突然床下からその染みの形に眩い光が吹き上げた。一体なにが起こったのか、まるで噴水のように吹き上げるその光に長椅子ごとすっぽりと包まれた菖蒲の姿を外から伺うことはかなわない。その光の柱を火群は特に驚いた様子もなくただじっと見つめている。やがて光の柱がじょじょに薄らいでいったかと思うと、部屋に元の静寂と闇が訪れた。跡には暗い闇を纏った菖蒲が先程と変わらず長椅子に腰掛けている。
「…というわけだ。何か質問は?」
まるで今計画を話し終わったかのように声をかける火群に菖蒲は落ち着いた様子でうなずいた。
「…そうか。なら任せたぞ」
満足そうに言う火群の小さな目には不気味に赤く光る菖蒲の瞳が映っていた。