第十七章:魔道士見参!(2)
「しょうがない。やるか」
ふう、と大げさにため息をつくと光はそう言って持っていた長剣を竹刀に持ち替えた。
「どんなにすごい師範を持ったとしても、抜き身を使うのは危ないからね。念のためにさ」
戸惑う勇希に光はウインクするとそう言った。
「では、始め!」
老人の声で二人は互いの獲物を構える。竹刀を正眼に構えた光は勇希がおぼろげながら記憶しているカミンの姿とダブって見えて、勇希は慌てて頭を振ってそのイメージを頭の中から追い出した。
どんな時でも気を抜くな。戦闘の間は何が起こるかわからないんだから。稽古の間中敬介が繰り返していた言葉を思い出す。いくら練習仕合とはいえ、どんな事故が起こるとも限らない。勇希はゆっくり息をすると精神を集中させた。
辺りの空気がぴんと張り詰めていく。二人はじっとお互いの出方を探り合うように、しばらくの間瞬きもせずに対峙した後、先に勇希が動き出した。小さな気合の声と共に勇希の右手が前に出る。それを避けた光は間髪入れず迫ってきた左のトンファーを竹刀で軽く弾き返すと後ろへさっと飛び退いた。そこに一瞬遅く繰り出された勇希の回し蹴りが空を切る。いつものんびりした勇希からは想像もできないほど機敏な動きにつくもは驚いて目を丸くした。
「どうだ?なかなかのものだろう?」
自慢気にそう言う敬介に素直に頷きそうになってつくもは慌てて頭を振った。
「ま、なかなかだってことは認めるけれど。でも決着はついてないわよ。まだこっちは反撃していないんだから」
「まあな。でも逃げてばかりいちゃ、反撃なんてできないぜ」
敬介の言葉につくもは二人に視線を戻す。確かに光は完璧なまでに勇希の動きを避け切ってはいるが、さっきから反撃する素振りは一向にない。女の勇希に反撃するのを戸惑っているのかもしれないが、つくもとの稽古ではちゃんと反撃も出来ている。
もしかして、反撃しないのではなく反撃できないでいるのだろうか?
避けるのが精一杯で余裕がない?
もしそうだとすると、それほどまでに勇希は上達しているということになる。傍から見ていても二人の動きは素人のそれではなく、安東道場に長く通う弟子ですら、そのスピードにまったくついていけないだろうことは容易に想像できる。あれだけの攻撃を避けきるのだって簡単なことではないだろう。今になって敬介の自信の理由がわかったような気がするが、まさか本当に勇希のほうが上なのか?それとも何か策でもあるのか…。どちらにしろ、このままではそのうち勝敗の一手を決められてしまうだろう。そんなことを考えながらはらはらして見守っていると、突然、青白い気が次の一手を出そうとしていた勇希の体を弾き飛ばした。
「うわ、ごめん!大丈夫か?」
防御のために軽く出した気の壁が強すぎたのか、向かってきた勇希の体を弾き飛ばした。驚いた光は手にしていた竹刀を投げ出すと、床に叩きつけられた勇希のもとへと急いで駆け寄った。どうやら怪我はないようで、勇希はすぐに目を開く。
「悪い。ちょっとコントロールを誤った。立てるか?」
そう言って手を貸そうとした光を勇希はきっと睨みつけると差し出された手を無視して飛び起きる。
「おや?」
その様子を見ていた灑蔵が何か感じるところがあるのか、その真っ白な眉をほんの少し動かした。勇希は立ち上がるなり両手のトンファーを構えなおすと、猛然と光へと襲い掛かる。さすがにこれは避けきれないのではと思ったが、光は身軽にもまたぱっとその場から飛び退くとその攻撃を避けてしまった。だが、さっき驚いて勇希のところに駆け寄った時に竹刀を手放してしまっているので前よりも形勢は不利である。それに気のせいか、勇希の素早さがさっきより更に増しているように見える。光が床に落ちた竹刀のほうにさっと飛び退いてそれを拾い上げようとした時には、既に勇希のトンファーが目前に迫っていた。
「勝負あったか…いかん!」
灑蔵がその小さな目を見開いて低く唸る。普通なら、勝負あったとわかったところで手を止めるべきなのに、どうしたことか、今の勇希は攻撃の手を止める様子がない。はっと仰け反った光の鼻先に堅い金属が冷たい光の軌跡が描かれ、光は思わず膝をつく。さすがに何かおかしいと敬介たちが感じた時、最後の致命的な一手が振り下ろされようとしていた。突然のことに、その場にいた者達は皆声すら出せずにいる。誰か止めて!つくもの中で声にならない声がそう叫んだ時、勇希の持つトンファーが光の鼻先数センチのところで突然その動きを止めた。
「いい男だにゃん(はあと)」
「へ?」
頭上から突然降ってきた勇希のものとは違う幼い子供の声に、かすかに見えた光の青い気が拡散した。驚いて見上げる光の前で小さな子供が首を傾げてこちらを覗きこんでいる。その後ろでは勇希がまるで魂が抜けてしまったかのようにへなへなとその場に座り込んでいた。
それはまだあどけない少女で、ピンクの髪を頭頂部で大きな硝子玉のついた緑色のゴムで二つに結んでいる。やけにひらひらした少女テイストな服に真っ白なひざ下までのブーツを履いており、ハート型のポシェットをたすきがけにしているその姿はどこからどう見ても、通りすがりの小学生である。ただ一つ、大きな金と水色のオッドアイがどこか普通の子供とは違う、神秘的な印象を醸し出していた。
少女の突然の登場に驚いて声も出ない一同を他所に、少女はネコのようにごろごろと喉を鳴らして光の首にかじりついた。
「え?あ、あの?ちょっと…」
さらに抱きつかれてうろたえた光が離れようと後ずさるが、少女はぴったり張り付いている。気を取り直した敬介はずんずんと大股で近づいてくると、いきなり少女の首根っこをつかんで無理やりに引き離した。
「あ〜ん、ちょっと何するにゃん」
「それはこっちのセリフだ。突然現れたかと思えば光に張り付きやがって…。いったいなんなんだ、お前?」
敬介の隣ではつくもも真っ赤な顔をして少女を睨みつけている。その後ろで、灑蔵だけが訳知り顔で一人頷いているのが見えた。
「なによ。人をネコみたいに…。放せ!えいっ!」
少女はまだ自分の首根っこを掴んでいる敬介に膨れっ面をすると、ブーツを履いた短い足で敬介の向う脛をおもいっきり蹴りつけた。
「あ、いってぇ。何しやがるんだ、このガキ〜!」
敬介はその痛みに咄嗟に手を放すと器用に降り立った少女を睨みつけたが、少女はふんと鼻を鳴らすと光のほうに向き直ってしまう。
「無視かよ…こいつ…」
ショックから立ち直った勇希が見上げると、敬介は指をコキコキと鳴らしながら額に青筋を立てている。このまま放っておくと喧嘩が始まりそうなので仕方なく助け舟を出すことにした。
「ま、まあ、敬介、落ち着いて…。相手は子供なんだし」
「子供じゃないにゃん」
とりなそうとする勇希に少女はむっとしたような顔を向けた。
「え?だって…」
「どこからともなく勝手に出てきておいて、挨拶もなく抱きついた挙句、離れるのが嫌だと人を蹴りつけるやつのど、こ、が、ガキじゃないってんだ」
そう口を尖らせた敬介を少女はきっと睨みつけた。
「ガキじゃないにゃん。怒りんぼ」
「あんだと〜!」
「ま、まあ、二人とも落ち着いて。あなた、名前は?一体どこから来たの?」
勇希は今にも噛み付きそうににらみ合う二人の間に割って入ると、少女にそう尋ねた。その言葉に少女は小首を傾げてしばらく考え込んでいる。何を考えているのかと四人が静かに様子を伺っていると、少女はまた光のほうを振り向いて、まだあっけにとられている光の腕をひっぱった。