第十七章:魔道士見参!(1)
話も中盤に入りました。もうすぐ新キャラも登場します。
ある晴れた日曜の朝。今日は国が制定している休日で、安東道場も御多分に漏れず一切の稽古を休みにしていた。門下生たちのいない道場にはいつものような活気はなく、代わりに凛とした冷たい朝の空気だけが場内に張り詰めている。朝露が東の空に上った陽の光を受けて、門扉に絡まるように伸びた朝顔の上できらりと輝いた。
誰もいないはずの道場に三人の人影が見えた。一人はその背丈ほどもある大剣を持った小柄な女性で、すらりと背の高い青年が長剣を手に対峙している。もう一人はその目が開かれているのかどうかさえわからないほど瞼が低く垂れ下がった老人で、若い二人の試合を身じろぎもせずに伺っていた。静寂に包まれた道場に、硬い金属がぶつかり合う音と、素足がピカピカに磨き上げられた床を擦るキュッキュッという音だけが響いている。
武器を手に対峙する二人は、どちらも驚くほど優れた剣術の持ち主であるらしく、気合を入れる声が時折聞こえる他はその激しい動きにも拘わらず乱れた息さえ聞こえない。外では鳥のさえずりが聞こえており、開け放たれた扉から差し込む眩しい陽の光が青年の髪から飛び散る汗をきらきらと宝石のように輝かせた。
「ふむ。これは…」
「ちわーっす…お?」
若い二人の動きをじっと見ていた老人が低い唸り声をあげた時、一組の男女が場内に入ってきた。いつにも増して元気な声をあげた敬介が場内の様子を見て目を丸くする。一歩遅れてきた勇希も同様だった。
「お前たちか…。よし、そこまで!」
老人はちらと二人を見ると仕合をしていた二人に声をかけた。
「うわ、疲れたー。あれ?二人ともこんな早くからどうした?」
終了の合図と同時にへなへなとその場に座り込んだつくもが祖父の隣で唖然としている二人を見て驚いたように声をかける。気を張り詰めていたさっきとはうって変わって今は華奢な肩を激しく上下させていた。
「え?いや、今日は道場の稽古が休みだって聞いてたからさ、ちょっと使わせてもらおうかと思っていたんだが…」
二年前の事件以来、勇希は敬介に頼んで簡単な護身術の稽古をつけてもらっていたのだが、数ヶ月前に満が命を落としてからは、更にその稽古を攻撃のほうにまで広げているという。普段は門下生やつくもの稽古でほとんど空くことのない道場を、この日敬介は勇希の稽古に特別利用させてもらえるよう、灑蔵に話をつけていたのだ。
「そういえば、そうだっけ。でもこんなに早くから来るとは聞いてなかったゾ」
敬介の説明につくもは額に流れる汗をタオルで拭いながら答えた。
「予定より早く来ちゃったから。邪魔するつもりじゃなかったの、ごめんね」
勇希が素直に謝ると、つくもは邪魔なんかじゃないよと笑って答えた。近頃のつくもは本当に勇希のことを気にかけているらしく、以前ほどつっかかることもなくなっている。それどころか最近は特に仲が良く、今も二人で敬介にはなんのことやらさっぱりわからない話題を楽しそうに話しはじめた。
しばらくそんな二人を微笑ましく思って見ていると、向こうから二本のペットボトルを手にこちらへ歩いてきた光に目が止まった。どうやら中身は水かスポーツ飲料の類らしく、つくもは礼を言うのもそこそこに、すごい勢いで中の物を喉に流し込んでいる。
「そんなに急いで飲むと…」
光が注意し終えないうちに案の定つくもは激しく咳き込んだ。隣にいた勇希が慌てて背中を擦ってやっている。そんなのどかな光景を苦笑しながら敬介は道場を訪れた時から頭の隅にこびりついている疑問を灑蔵に投げかけることにした。
「それより師範、光の稽古は師範がつけたんですか?」
つくもの咳が治まったのを確認した光が二人のほうに歩いてくる。ペットボトルを持っていないほうの手には古ぼけた長剣が握られていた。
敬介の質問に灑蔵はゆっくりと頭を振った。
「稽古はつくもがつけてくれたんだ」
敬介の疑問を聞いた光が老人の代わりにそう答えた。
「ええ?つくもに?おまえ、俺が稽古をつけてやろうかって言った時は断ったくせになんでつくもなんかに師事してるん…ぐぇ」
「あたしなんか、とはどういう意味よ」
不満気に口を尖らした敬介にいつの間にか傍に来ていたつくもが横から蹴りを入れた。
「おまえなあ…」
「光にはちゃ〜んとあたしのほうがいい師範だってわかってたのよ。だ・か・ら、あんたには師事しなかったってわけ」
「何を〜!」
「何よ。文句あるっていうの?あんただって少しは今のあたしたちの稽古を見てたんならわかるでしょ」
「ああ、いや、確かに…」
「凄かったよ。びっくりしちゃった」
つくもの自信たっぷりの言葉に言い淀んだ敬介の言葉を勇希が続けた。時間にしてほんの数分見ていただけに過ぎないが、確かに二人の稽古は敬介を圧倒していた。抜き身の剣を使ってつくも相手にあれほどの仕合が出来るほど上達するには並大抵ではない。それに光の場合は武術に関して全くの素人で、しかも稽古を始めたのはちょうど勇希が攻撃の指南を敬介に頼み込んだ頃だから、まだたったの数ヶ月しか経っていないことになる。それなのに今の光は玄人レベル、それも最強に近いレベルにまで成長している。元々筋が良かったのだとしてもその上達は異常に近い。もしかすると老師自ら、何か特別な方法で特訓したのかと思っていたのだが、どうやらそういう理由でもないようだった。
「お主も稽古をつけておると聞いたが?」
そこへ灑蔵が口を挟んだ。
「あ、はい。勇希の稽古を少し」
灑蔵の質問に気を取り直した敬介が丁寧な言葉で答えた。
「最近は護身術だけでなく、攻撃も指南しているそうではないか」
つくもの祖父が普段敬介たちの前に現れることは少ない。普段はこの稽古場で弟子達の稽古を見ているか、母屋で古い文献を読んでいることが多く、滅多に外出さえしないと聞く。それなのに、どこから聞いてくるのか、孫とその友人の身に起こっていることはつくも達本人でさえ知らないようなことまでこの老人はほぼ間違いなく知っていた。
「へ〜。それは知らなかった。何を使ってんの?」
「これです」
面白そうに目を輝かせたつくもに勇希が持っていた手製の袋から二対の棒を取り出した。特殊な金属でできているのだろうその武器は驚くほど軽く、銀黒色に光る長い棒にゴムで滑り止めを施された突起のようなものがついている。
「なにこれ?トンファー??」
つくもが素っ頓狂な声を出すと勇希が頬を少しだけ紅く染めてこくんとうなずいた。
「俺は元々素手で戦うほうだから、武器はあんまり詳しくない。俺が知っていて、勇希が扱えるものといって思いついたのはこいつぐらいだったからな」
敬介が照れ隠しに鼻の頭を掻きながら言った。
「なるほどね。で、稽古のほうは順調なわけ?」
「ばっちりだ」
半信半疑なつくもに敬介は自信満々に胸を反らして答える。
「光だって確かに腕は悪くないが、勇希に比べればまだまだだな。俺に師事していれば、今の数十倍は強くなっていたんだろうが…。残念だよ、まったく…」
白い目を向けるつくもに敬介は悔し紛れにとんでもないことを言う。
「ふ〜ん、あたしよりあんたの指南のほうがいいって言うんだ」
「まあな。もちろん、お前の指南もなかなかのものだということは認めるけどな」
「ちょっ、ちょっと敬介!」
調子に乗ってしゃべる敬介に勇希が横からストップをかけようとするが、もう遅い。つくもの翠の瞳が突然キラーンと閃いた。
「そんなに言うなら、勝負しましょ」
「へ?」
「どちらが腕のいい師範かを決めるの。そうね、方法は…お互いの弟子を手合わせさせて決めるってのはどうかしら」
「えぇ?」
「はぁ?」
突然痴話喧嘩の矛先が自分たちの方に向けられて、二人のやり取りを苦笑しながら聞いていた勇希と光が同時に間の抜けた声をあげた。だが、つくもは二人のことなどお構いなしで挑戦的な笑みを浮かべて敬介を見つめている。元々負けず嫌いの二人だ。こんな挑戦を突きつけられた敬介が黙って引き下がっているはずはない。そう思いながら二人を心配の眼差しで見つめていると、案の定敬介は二つ返事でOKした。
「つくも、ちょっと待て。そんなこと勝手に決めるなよ」
「そうよ、敬介だってさっきの二人の稽古を見たでしょ。私に手合わせなんて、絶対に無理だよ」
当の二人はもちろん猛反対を繰り返すが、つくもも敬介も聞き入れる様子は全くない。それどころか、今まで黙って事の成り行きを見ていた灑蔵までもが面白そうだから手合わせをしろと言い出す始末で、二人には仕合を行うしか術は残されていなかった。