第十六章:風の知将(9)
つくもが敬介と勇希の案内で、リオンに助けられた勇希を見つけたという場所に来た時は既に陽が落ちて辺りは暗く、外灯の白い光が辺りを不自然に照らしていた。秋にしては穏やかな暖かい夜で、海は凪いでいる。生暖かい風がつくもの首筋にまとわりつくように通り過ぎていった。
「ここまで来たのはいいけれど、光たちは一体どこにいるんだ?」
つくもの電話で急ぎ駆けつけた敬介は、途方にくれて辺りを見回した。辺りには誰もおらず、先にここに向かったはずの満の姿も見当たらない。勇希を見つけたのはここで間違いはないが、実際勇希にも、自分がどこからこの場所に出てこられたのか、見当もつかなかった。
「わからないわ。とにかく、満がここだって言ったのよ。二人の気を探してみるしかないわ」
冷静に答えたつくもだが、先ほどから得体の知れない不安と悪寒に襲われて、何か否定しようのない悪い知らせを予感していた。
「真津子がいない今、私たちでなんとか二人の気を探りましょう」
そう勇希が提案した時、どこからともなく光の悲鳴が聞こえてきた。
「!!」
三人は思わず顔を見合わせる。
「今の、聞こえたか?」
敬介の問いに二人は同時にうなずいた。
「あれは、光だった…」
つくもが堅い声でそう答えた時、三人はある方角からひどい悪寒を感じて同時に肩を震わせる。
「あそこだ、行くぞ!」
敬介の一声で、三人は暗闇に向かって一目散に走り出した。
***
「ま、つこ…」
満の日焼けした太い両腕が華奢な真津子の身体を抱きしめていた。冷たい洞窟の中で、服の上から伝わる真津子の体温が心地よい。満はそっと愛しい女性の髪を撫でると、その耳に優しく囁きかける。
「真津子、帰ってこい。みんなのもとに…。俺のもとに…。お前が苦しむことはない、何も、ないんだ」
満は瞳の端に、リオンを拘束していた光の粒がどんどん拡散していくのを感じていないはずはなかったが、少しも気に留める様子はない。今、満の灰色の瞳には、愛しい女性のことしか入らなかった。
「真津子、帰っておいで。リオンはもう、いないんだ。お前を好きなのは、俺だよ」
満の瞳から零れ落ちた涙が真津子の白い頬へと伝わる。その衝撃に、真津子は小さく肩を震わせたかと思うと、その瞳に意思の光がみるみるうちに蘇っていった。
「み、満?あれ、私一体…」
いつもの真津子の声が聞こえてくる。堅く抱いていた真津子の身体から少し離れると、愛しい紫の瞳にいつもの輝きを見て、満はそっと微笑んだ。
「真津子…よかった。無事、戻って来れたん…だ…な」
そう言うと、満の大きな身体が突然ぐらりと揺れた。
「ちょっ、満、どうし…!!」
慌てて満の身体を支えようとした真津子は、自分の手に何かねっとりとした、生暖かいものを感じて目を見張る。真津子の白い両手は今、薄暗い松明の明かりの下でもはっきりとわかるほどの真っ赤な血で染まっていた。
「な…に、これ?」
脳が理屈の通った答えを弾き出す前に、真津子の瞳がくず折れた満の胸の上で止まった。そこにはあるべきでないものが深々と刺さっており、外に突き出た柄の部分が、松明の明かりに冷たく光っているのが見えた。
「光!満!」
突然、聞き覚えのある男の声が真津子の耳を劈いた。見上げると、青い顔をした光と、その後ろに汗だくになった敬介とつくも、そして口元に両手を当てて潤んだ瞳を見開いた勇希の姿が見えた。
「みんな、わ、私…。み、満が…」
真津子が何か言おうとしたその時、側で青い光の粒が弾け飛んだ。振り向くと、リオンが哀しそうな瞳をこちらに向けて立っている。
「おっさん!リオン、てめえ、お前がおっさんを殺ったのか?!」
敬介がいきり立ってリオンの前へ出ようとするのを光が遮った。
「光、邪魔するんじゃねぇ。この後に及んでまだやつを傷つけるな、とか言うつもりじゃないだろうな?」
興奮した敬介が光を睨みつける。だが、光は黙って首を振るとあごをしゃくってみせた。その先には、リオンを冷ややかに見つめる真津子がいた。
「私が、満を…」
真津子はゆっくりと、誰に言うでもなく言葉を紡いでいく。足元の砂がゆっくりと巻き上げられ、やがて真津子を中心に大きな渦を巻き始めた。
「リオン、私はあなたを、そして私自身を許さない」
真津子の声に感情はなかった。ただ淡々と言葉を紡ぎながら、一歩、また一歩リオンのほうへと歩をゆっくりと進めていく。真津子の周りには紫色の気が靄のようにたちこめ、その周りをはげしい渦が轟音を轟かせながら渦巻いている。
「マホーニー、君は…」
真津子をリオンが困惑した顔で見つめる。急いで手に持つビュートを奏でようとするが、その前に真津子の念動力がそれをリオンの手から奪い取って堅い洞窟の壁へと打ちつけると、ビュートはこなごなになってリオンの足元へと落ちていった。見る影もなくなった楽器の破片を見たリオンはその薄い唇を震わせた。
「君はホントにあいつのことを…。君に、ボクはもう必要なかったんだね…」
寂しそうにそう呟くと、リオンは暗闇の中に姿を消してしまった。
「あ、待て!」
急いで後を追おうと敬介が叫ぶが、もうその姿はどこにも見当たらない。暗闇に敬介は舌打ちすると、急いで満の様態を見ている光の側に駆け寄った。
「どうなんだ?」
「かなり深くまで刺さっているし、出血もひどい…。このままでは…」
光は唇を噛んだ。その横では勇希が今にも泣き出しそうなのを一生懸命堪えている。少し離れたところで気を抑えた真津子が呆然と魂が抜けた顔をして立ち尽くしていた。
「くそっ!なんで俺たちみんな攻撃魔法しか使えないんだ!こんな時に回復魔法が使えれば…」
つくもが悪態をついた時、光がはっとしたように顔をあげた。
「僕が…」
「え?」
「僕が、試してみる」
光はそう言うと、両掌を血の気の失せた満の前にかざして目を閉じる。暫くすると高まった気が光の周囲を青く包みこんだ。
「光…?お前、回復魔法が使えるのか?」
驚いて尋ねる敬介の目の前で、光の背に薄青色に輝く小さな翼が現れる。光の身体から発せられた気が満を包むと、辺りがまるで陽の光に照らされた草原のように暖かな心地よい場所に変わっていった。
どのくらい経ったのだろうか。暫くして、光がその目を開ける。だが、その瞳には苦悩の色が湛えられていた。
「どう、なの?」
近寄ってきたつくもが恐る恐る声をかけると、光は大きくため息をついた。
「ダメだ…。どうしてかわからない、ただ、何かが回復を阻んでいるようで…」
「無駄よ」
光の言葉を半ば遮るように真津子が冷たい感情のない声で宣言する。
「無駄って、どういうことだよ?」
「それはオリハルコンの短刀…」
「ええ?嘘でしょ?なんでそんなものがここにあるわけ?」
つくもが驚いた声で聞き返す。オリハルコンとは希少な金属で材質そのものに魔力があり、それを元に造られた刃物は切ったものを変形、変質させてしまう力があると言われている。オリハルコンは様々な物への加工が可能であったが、一番重宝されたのはやはり武器だった。術者の能力とその加工法によってはより強大な魔力を備えることができたと言われており、そのあまりの破壊力にあらゆる国々で所有および使用禁止令が発布され、歴史の表舞台では既に存在しないことになっている。だが実際は闇市において法外な金額で取引されていたことを仄めかす史実も残っており、一部の学者やオカルト好きな人々は未だに遺跡の発見を夢見ている者も多いという。オリハルコンは主に水属性を持つ金属であるが、ある一定の非常に厳しい条件下においてのみ生成されるため、人口で造ることはおろか、天然のオリハルコンの原石が現在見つかることはあり得ないとさえ言われていた。
そんな短刀がどうしてここにあるのか、それがつくもにはわからなかった。
「それだけじゃない…。その短刀の柄を見て」
つくもの疑問が答えられる前に、今度は勇希が震える声で言った。
「短刀の、柄?」
敬介が言われたとおりに見てみると、なにやら文字のようなものが刻まれているのが見える。
「これは…」
「古代文字よ。この短刀には、蘇生禁厭呪が…。貫かれた者を蘇生させられない、必ず死に至らしめる呪いがかけられているの」
勇希がつらそうにそう説明した。
「なんだって?!嘘だろ?そんな!それじゃ、満は…」
「本当よ。例えどんなに強力な回復魔法を使っても、彼を助けることは…」
真津子がゆっくり近づきながら、勇希の言葉を肯定する。絶望の言葉が暗い闇に吸い込まれて消えていった。
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