第十六章:風の知将(1)
やっと魔法などファンタジーらしい話に入ります。
ため息をつくと、白い息が漏れる。いつの間にか、冷たい冬が近づいてきていた。
いつも見慣れた町には真っ赤な夕焼けが広がって、光の塞ぎ込んだ目には一段と眩しく見えて目を細めた。
「あれ?光じゃん」
既に見慣れた道をゆっくり歩いていると、背後から聞きなれた声が光を呼び止めた。振り返ると緑の目を大きく見開いたつくもが両手にぱんぱんに膨らんだスーパーの袋を提げて立っている。
「どったの?こんなところで?」
背の低いつくもは光と話をするとき、いつもうんと見上げなければならない。いつだったか、つくもがオリジナルのカミンよりも光の身長が高いのは自分に対する陰謀に違いないなどと訳のわからない理由をつけてくってかかってきたことを思い出した。
「何?もしかしてまた具合が悪いんじゃ…」
すぐに答えようとしない光を誤解したのか、つくもはじっと光の顔を覗き込んでくる。つくもの長い茶髪からは清潔な石鹸の匂いがした。この道は光が入院していた築地病院に続いている以外には団地や小学校など地元の人間にしか用のない場所だった。そんな場所で一人放心したように歩いている光を見て、つくもはきっと光の具合がまた悪くなって医者に診てもらいに来たと思ったのに違いない。心配するつくもに光はあわてて首を振った。
「ち、違うよ。病院に行ったことは確かだけど、診察してもらいに来たわけじゃない」
「え?じゃあ…?」
「篠山さん…菖蒲に、会いに行ったんだ」
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勇希たちに光とカミンの関係を告げた日から、菖蒲の消息はぱったりと途絶えてしまっていた。
菖蒲が借りていたアパートでは家賃滞納にそろそろ業を煮やした大家さんから、いい加減部屋を引き上げてもらいたいのだが、どうやら菖蒲は幼い頃に両親を亡くしていて他に身寄りもないらしく、どうすることも出来ずに困っているというようなことを聞かされた。
光が退院する時教えてもらっていた携帯も、しばらくの間は留守番機能が動いていたが、数週間もしないうちに料金未払いで通話不能になっている。
今日も、その後誰かに連絡はなかったかと、病院に行って菖蒲の同僚に聞いてみたのだが、結局空回りに終わっていた。
「いったいどこに消えたっていうのかしら」
つくもは湯気の立ち上る淹れたてのコーヒーを光の前に差し出しながら言った。
「わからない…。あの時、僕が彼女を止められてさえいれば…」
「まあ、そんなこと言ったって仕方ないよ。あんな龍を前にして、どうにかしろってほうが無理ってもんだし」
車で灯台に向かっていたつくも達にも、あの龍は見えていたらしい。さすがに遠目ではその上に乗っている菖蒲にまでは気付かなかった、とあの後満が教えてくれた。
「けど…」
確かにあの時、あんな龍を操っている菖蒲に驚いた。そしてその攻撃で自分の体が麻痺して動けなかったことも事実だ。
けれど、それでも自分は何かをしなければいけなかった。
ルシファーの言うとおりである。自分が何か出来ていれば、勇希だけではなく、菖蒲も救ってやれたかもしれないのだ。
「はあ。そうやって、全部自分の責任にしちゃうとこもそっくりだわ」
くちびるを噛んだ光につくもは短くため息をつくとそう言った。
「え?」
「そっくりって言ったの。あんたとカミンが」
「似てるのは当然だろ。僕はあいつのクローンなんだから」
少しふてくされたように答える光につくもは苦笑した。初めは丁寧な言葉遣いで硬苦しかった光も、皆と会う機会が増えるにつれて少しずつ硬さがとれてきている。
特につくもや敬介には二人が見た目の年齢も近いせいか、大分心を開いてきているらしく、最近では時折素直な子供っぽい仕草まで見せるようになっている。
つくもにはそれがとてもうれしかったのだが、光は益々不機嫌になってむくれた顔をするものだから、悪いと思いながらもつい声をあげて笑ってしまった。
こんな風に最後に笑ったのはいつだろう?最近いろいろあり過ぎて、気丈が取り柄のつくもでさえも心から笑えない日が続いていた。だから、一度堰を切った笑いはまるであふれ出した川の水のように留まるところを知らない。そんなつくもをしばらくむくれた顔で見ていた光もついにはつられて笑い出す。その笑顔がまた眩しくて二人はまた照れたように笑いあった。
ひとしきり笑った後、つくもは自分のコーヒーに砂糖とミルクをどっさり入れるとスプーンでぐるぐるかき混ぜ始める。両掌でカップを包んでは、ふうふう息を吹きかけて冷めたところを少しずつ喉に流し入れた。
「それ、うまいのか?」
ミルクですっかり肌色になったつくものコーヒーをあきれたような顔で見る。
「うまいよ。光にも作ってやろうか?」
「いや、遠慮しとく」
光のカップに手をのばそうとするつくもを光はあわてて制した。苦いものの苦手なつくもはいつもコーヒーに砂糖とミルクをどっさり入れてしまうので、まるでココアを飲んでいるか、酷いときなどは暖めた牛乳にほんの一滴のコーヒーを垂らしたぐらいのものになってしまうのだ。
そんな風にしないと飲めないのなら、無理にコーヒーを作らなくてもと思うのだが、当の本人は「大人はやっぱりコーヒーよ」とかなんとか意味不明なことを言ってとりあおうとはしなかった。