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第十五章:戸惑い(5)

「どうやら、ふられてしまったようですね」


何も言わず走り去った勇希に言葉もなく立ち尽くしていると、背後から突然聞き覚えのある声がした。振り向くと、全身黒に身を固めたルシファーが立っている。すべてが周りの闇に溶け込んでいるように見えるなか、ルシファーのつやを失った長い緑の髪と、血の気の失せた白い顔だけが中空に不気味に浮かんでいるように見えた。


「今日は警戒する必要はありません。私はただ、あなたと話をしに来ただけですから」


身構えた光にルシファーは相変わらずゆっくりと、間延びした調子で話しかけた。


「僕に話だと?」


以外な言葉に困惑した声で尋ねる光に、ルシファーはゆっくりとうなずいた。


「いつまで、こんなことを続けているつもりですか」


問われた意味がわからずきょとんとする。


「敬介が、指導してくれると言ってくれたのでしょう?それなのになぜ、断ったのです?」


数日前、敬介は光に戦い方を指南してくれると言い出した。勇希が行方不明になってから、しばらくしてのことである。その誘いを断る光に敬介は敢えてその理由を聞いたりはしなかった。ただ、そのことは他の仲間には知らせていない。だから、満やつくもが同じようなことを言ってくることがあるかもしれないと言っていたのを思い出す。他の仲間が知らないことを、敵であるルシファーが知っているとは、思ってもみなかった。なぜ、そのことを知っているのか、と尋ねようとした時、ルシファーがそれを遮った。


「私がなぜそんなことを知っているのか、それはこの際、どうでもいいことです。私が知りたいのは、君がなぜ、敬介の誘いを断ったのかということ」


ルシファーの細い灰色の瞳が月の光に怪しく輝いた。


「それは…」


「それは、何です?」


「傷つけたくないから」


「え?」


消え入りそうな小さな呟きにルシファーは聞き返す。


「僕は、傷つけたくない。誰も…だから」


「他人を傷つけたくないから戦わない…そういうことですか?」


冷ややかな、何の感情もない声で光の言葉を繰り返すルシファーに光はうなずいた。ルシファーはしばらく目を閉じて、何事か考え込んでいたが、やがてその青白い顔に嘲笑を浮かべた。


「くだらない理屈ですね」


ルシファーは妙に静かな声で続けた。


「その為に自分は傷ついてもかまわない、と言うんですか」


そう言って光を見つめる瞳はいつになく穏やかで、だが、その奥に何か押さえきれない感情が溢れているように見える。こんなルシファーを見るのは初めてだった。いつも冷淡な目で、会うたびに問答無用で攻撃してきたルシファーからは考えられない表情に、光は戸惑いを感じていた。


「それは、君らしい考えかもしれません…だが、そのお陰で傷つく人が出てくることを君はわかっているのですか?」


「何?」


「君が自分の身を護ろうとしないのは、君の勝手だ。他者を傷つけたくないというのなら、それもいいでしょう。だが、君の周りの者も、同じ思いですか?」


ルシファーの問いに光ははっと息を呑んだ。自分さえ傷つけばいいと思っていた。そうすれば誰も傷つくことはなく、全てが円く収まると。だが、本当にそうだろうか?自分の側にいたことで、勇希や菖蒲は巻き添えをくってしまった。そして敬介が自分に戦い方を教えると言ってきたのは、光が自分自身の身を守らないことで、光を護ろうとする周りの人間にまで迷惑がかかるからではなかったのか?


「君はヒトではないかもしれない。だが、そんな君を大切に思ってくれている人もいる。その人たちの思いを踏みにじることは、他者を物理的に傷つけることとなんら変わりはない。いや、それよりも酷いことなのではないか、と私は思いますがね」


ルシファーの言葉が心にずしりとのしかかる。自分を大切に思ってくれる人がいる。そんな風に考えたことはなかった。目覚めてからずっと過去のないことに捉われ、自分の出生の秘密を知ってからは、この世で自分は一人ぼっちだという感情が光の心の中で更に強くなっていた。それでも今まで生きてきたのは、自分のせいで行方不明になってしまった勇希と菖蒲のことをそのままにしておくことができなかったためだ。自分を思ってくれる人がいるなど夢にも思わなかった。けれど、冷たい海に落ちてしまったあの時、勇希は自分の命の危険も顧みず、光を助けてくれた。その行為は光を大切に思う気持ちの表れ以外の何ものでもない。そうして自分の秘密を知ってもなお、菖蒲は変わらず優しく接してくれていた。それだというのに、自分はただ悲劇のヒーローを気取って自分さえいなくなればいいなんて勝手なことを考えていたのだ。


光はルシファーの言葉に愕然とした。自分は人のことを思いやる優しさを持っているのではない。ただ、臆病なだけなのだと。自分が臆していなければ、勇希が連れ去られることはなかったかもしれないし、菖蒲の居所を探し出し、なんとか連れ戻せたかもしれない。結局自分は人のことを考えているようで、自分のことしか考えていなかったのだ。ルシファーの言葉は、腹が立つほどいちいちもっともで、光は何も言えずに唇を噛むしかなかった。


「少しは、自分のおかれている立場がわかったようですね…。では、私はこれで」


「ま、待て」


そう言って立ち去ろうとするルシファーの痩せた背中に光は慌てて問いかけた。


「どうして、そんな話をしたんだ?」


その問いにルシファーは背を向けたまま立ち止まる。


「なぜだ。お前は僕の敵ではないのか?」


そう問う光にルシファーは軽く肩をすくめると振り向いた。


「目に見えるものだけが真理とは限らないのですよ」


そう言ったルシファーの灰色の瞳は哀しい愁いを帯びていた。

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