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第十五章:戸惑い(4)

秋の空はどこまでも高く澄んでいて、真っ暗な夜空には数え切れないほどの小さな光が満ちている。その隣では半分ほど欠けた黄色い月がのんびりと地上を照らしていた。今日のように雲ひとつない時は満の診療所は最高の観測所である。普段、街中のビルの森に囲まれて暮す勇希には久しぶりに見る穏やかな光景だった。


一人で暗闇の中にいると、自然と菖蒲の言葉が思い出される。あの時、勇希は菖蒲の問いに答えることができなかった。ショックだった。全てをわかっていると勘違いしていた自分が恥ずかしかった。


はっきりと、問いかけられて気がついたのは、自分は何もわかってはいないという事実だった。ただ、カミンに逢いたくて、その思いだけを募らせて何も見えてはいなかった。光の優しさ、強さ、寂しさ、そのうちの何一つ、わかってやれない自分がいた。それを指摘されて怖くなったのだ。


自分は今まで何を考え、何を信じていたのか。

そして、これから何を慕って生きていけばいいのか。


自分らしく生きればいいと、あの時勇希は光に言った。他の誰でもない自分として。だけど、と勇希は思った。私はどうなのだろう、と。自分自身、過去に縛られ、未だ奈波勇希として生きているとは言えないのではないか。今、自分の過去が全て消え去ってしまったとして、自分はそれでも自分らしく生きていけるのだろうか、と。


それに光の抱える問題は振り返ることしか出来ない過去のことだけではない。生あるもの全てが持つべき根本的な理由。存在している理由が欠けていることだった。私自身、自分の存在が否定されたものだとしたら…。自分らしく生きればいいとはなんて、自分勝手で偉そうな言葉ではないか。それは決して光の立場を理解して出た言葉ではない。ただの憐れみや同情から来る安っぽい言葉にしか過ぎなかった。


そんなことを考えながら裏庭に出てみると、一人呆然と立つ真津子の姿が見えた。リオンと一緒にいると思っていたのだが、近くには他に誰も見当たらない。


「どうしたの?リオン君は?」


そっと声をかけた勇希を真津子は驚いたように振り返った。


「え?ああ、もう帰ったわ」


「帰った?一人で?」


「ええ。エルフがあまり人前をうろうろしているわけにはいかないでしょ」


そう言うと、真津子はさっさと部屋のほうへと戻っていく。もっと何か聞きたいことがあったのだが、その背中は全てを拒んでいるように見えた。リオンと何かあったのだろうか。心配しているところに別の足音が聞こえてきた。振り向くと首のあたりをさすりながらこちらのほうへとやって来る光の姿が目に入る。


「あ…」


勇希と目が合うと、光は照れたような笑みを浮かべた。首の後ろがかすかに赤くなっている。


「大丈夫?赤くなってるよ」


「まいったよ。本気でシメるんだもんな。満さんがあんなにマジになるのって初めて見たよ」


光はそう言うと、また照れたように笑った。つられて微笑んだ勇希の脳裏に、菖蒲の言葉が響く。勇希はいたたまれなくなって、俯いた。二人の間に居心地の悪い沈黙が流れていく。


謝らなければ。あの時、自分をかばって怪我を負った光に、まだ勇希は礼すら言っていない。けれど、あの時のことを持ち出せば、菖蒲のことを話さないわけにはいかなくなる。もしかしたら、光は自分だけが戻ってきたことを怒っているかもしれない。口には出さないが、優しい光のことだ、きっと菖蒲のことだって心配なはず。菖蒲を説得することすらできず、自分一人戻ってきたことに、勇希は少なからず罪悪感を抱いていた。


「そう言えば、お袋さんに会ったよ」


そんなことを考えていると、ふと光がつぶやいた。


「え?」


「喫茶店に来られたんだよ。話があるって言ってね」


ここに来る前に、真津子の携帯を借りて母親に自分の無事を知らせたのだが、光に会ったということは聞いていなかったので勇希はとても驚いた。光のことは以前、自分の大切な昔の友に驚くほど似ていると、母親に話したことがあった。けれど、光の働く喫茶店の名前や場所までは知らないはずである。


「なんで…そんな。話っていったい…?」


少し不安な気持ちで光を見上げると、光は穏やかな顔をして空に浮かぶ銀色の月を見上げていた。


「僕のことを、真津子さんから聞いたらしい。いいお母さんだね。君を危険な目にあわせてしまった不甲斐無い僕を笑って許してくれたよ」


そう言って笑った光の顔は、こころなしかいつもより淋しそうに見えた。


「あれは、あなたのせいじゃないわ」


やはり光は勇希が行方知れずになった責任を感じていたのだ。勇希は慌てて慰めの言葉をかけるが、光は大きく(かぶり)を振った。


「君や君のお母さんが僕をいたわってくれることには感謝している。けれど、あれは間違いなく、僕の責任だ。僕が…」


光は何か言いかけて、それから思い直したように勇希のほうを振り向いた。左の頬の側で月の光を受けた何かが青白く煌く。よく見るとそれは涙形をした青いクリスタルのピアスだった。


勇希はそのピアスをどこかで見たことがあるような気がした。光がしているのは左の耳に一つだけ。でも、以前に見かけた時は対になっていたような気がする。一体どこで見かけたのか…。そこまで考えたとき、ある考えに行き着いて勇希ははっと息を呑んだ。


そうだ。なぜすぐに思い出せなかったのか。それと同じピアスをしていたあの人のことを…。


『まさか代用しようとしているんじゃないでしょうね?』


勇希の心に、また菖蒲のとげのある声が尋ねる。


違う。そんなことを考えているわけでは…。


目の前にはあのピアスの片割れが、月の光を受けて妖しく輝いている。その輝きを見ていると、自分で自分の気持ちがわからなくなってくる。目の前にいるのはカミンではない。カミンそっくりではあっても、カミンとは違う、玖澄光という人間なのだ。それは勇希にも十二分にわかっている。わかっているけれど…。


自分の空回りする気持ちに、いてもたってもいられなくなった勇希は踵を返すと診療所の玄関へと走った。


「あっ、おい」


光は急いで声を掛けるが、勇希の姿はあっという間に玄関の中へと消えていった。

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