第十三章:涙石(2)
「え?」
光は自分の耳を疑った。今、この人はいったいなんて言ったんだ?さっきは勇希の母親だと名乗っていたではないか?冗談でも言っているのかと思って様子を伺ったが、岬の灰色の瞳は真剣そのものだった。
「けど、あなたはさっき…」
「そう。あの子を育ててきたのは私です。でも血はつながっていない」
「そんな」
「信じられないのはわかります。でも、本当のことなんです」
「勇希はこのことを…」
「知りません」
きっぱりした口調で答える岬に光は言葉を失った。勇希も知らなかった彼女の秘密。それを、見ず知らずの自分に語る理由がわからない。そのあたりを聞くべきかどうか迷っていると、岬はそれを見透かしたように言葉を続ける。
「そんなことはどうでもいいことです。今までもこれからも、私はあの子の本当の母親のつもりですから。ですが、あなたに知っておいてもらわなければならない大切なことがあるんです。…あの子を私に預けた人…それが」
そこでいったん口を閉じると岬は緊張で乾燥しきった唇を紅い紅茶で湿らせた。大きな灰色の瞳がまた少し曇る。光は次の言葉を待ってごくんと生唾を飲み込んだ。
「あなたなのよ」
続いて出てきたその言葉に、光は最初の告白よりも驚かされた。確かにさっき、どこかで昔会ったことがあるような気はしたが、それは気のせいか、そうでなければ勇希にどこか雰囲気が似ているせいに違いない。それに自分はカミンという昔に存在していた戦士のクローン。数年前に誰かの手によって造りだされた存在なのだ。そんな自分がこの女性と過去に会っているはずなどないし、しかも自分より年上の筈の勇希を託したなど、絶対にありえないことだった。
狂っている。このひとはきっと、大切な娘が行方不明になって気がふれてしまったのだと思った。そうだ。きっとそうなのだ。そうでなければつじつまがあわない。そう自分に言い聞かせようとしていると、まるで岬は光の心の中を見透かしたように小さなため息をついた。
「おかしいと思っているんでしょう?」
岬は自嘲気味に笑った。咄嗟に違う、と答えようとして、光は黙り込んだ。ここでお世辞や嘘を言ったところでなんの得にもなりはしない。それになによりも、岬の真剣な瞳に嘘をつくことが出来なかった。
「あなた自身は覚えていないのかもしれないけれど、私にはどうしても別人とは思えないのよ」
「それは…僕ではなく、カミンという男のことではないのですか?」
岬はその名前にはっとして顔をあげる。光の真意を探ろうというのか、彼女の灰色の瞳が光の藍色のそれを凝視した。やがて、ふっと小さなため息をもらすとゆっくりと首を振る。
「違うわ。もちろん、私は彼と直接会ったことはないけれど、あの子は、私が会ったあの子はあなただったと・・・あなたに違いないと思うの」
岬の言葉には何の科学的証拠もなかった。二十数年前にたった一度だけ出会った少年と、一度も出会ったことのない勇希たちの記憶の中にだけ存在している人物。その二人を同一人物だと確信させるものはなにもない。けれど、違うと否定する証拠もないはずだった。それでも違うと、今目の前にいる青年だと言い切れる。女の勘とでも言うべきか。二人が纏う理屈のつかない何かが岬に確信を与えていた。
「あれは、ある雨の日のことだったわ」