第十二章:一途な想い(1)
「リオン兄ちゃん、待ってよぅ!」
五歳ぐらいだろうか、幼い少女が若葉に溢れる広場をその短い足で一生懸命走りながら叫んだ。その前を少女より少し大きな男の子が、うしろで三つ編に束ねた長い銀髪を揺らしながら走っている。その背には小さな翠色をした羽がついていた。細かい網目状になったその羽は陽の光にあたると向こう側が透けて見える。まだ小さすぎて飛べないんだとリオンは言っていたが、マホーニーは自分にはない、リオンのその羽がとても好きだった。
マホーニーの呼ぶ声を聞いたリオンは立ち止まって振り返ると、小さなマホーニーが追いつくまでじっと笑顔を浮かべて待っていてくれる。
「なんだ、また付いてきたのか?」
リオンはあどけない声でそういいながら、追いついたマホーニーの頭を優しくなでてくれた。
優しい笑顔を浮かべるリオンを見て真津子は思った。ああ、これは夢なんだ、と。
真津子の前世であるマホーニーには、兄のように慕っていた幼馴染のリオンがいた。三つ上のリオンは、おてんばだったマホーニーの面倒をよく見てくれていた。いつも優しく、なんでも出来て頼りになるリオンは、マホーニーにとって『憧れのお兄ちゃん』だった。二人はいつも、どこに行くのも一緒で、まだ幼いマホーニーはそれが永遠に続くと信じていた。
ところが、ある日突然、民族戦争と呼ばれる忌々しい事件が起こり、マホーニーの村は一夜にして滅んでしまった。それまで仲良く暮らしていたはずの人々が、突然いがみ合い、武器を手に互いに襲いかかっていったのだ。
大昔に地球から移り住んできたマホーニーの家族と、この星に昔から棲んでいたイリュウ族であるリオンの家族も、例外なくその混乱の渦に巻き込まれていた。
一体何が原因であの惨事が起きたのか、未だにそれはわからない。まるで神の悪戯としか思えない、と生き残った人々は言った。突然抑えきれない憎悪に襲われ理性を失ったのだと。
一夜にして屍骸の山に埋もれた村の情景はひどいものだった。それまでユートピアとされていた紅劉国で、そんな恐ろしいことが起こったとわかっては国に混乱を招くことになる。
そう考えた当時の国王は、かん口令を引き、その村を地図から抹消してしまった。その時に力を覚醒したマホーニーは、その力を買われ紅劉国軍の軍師の家に引き取られ、後に五大戦士として名を馳せることになるのである。
真津子として生まれ変わってからも、時々リオンの夢を見ることがあった。
それはいつも自分と一緒に元気に走り回るリオンの姿で、最期の姿を見ることは一度もない。きっと、それは真津子が、マホーニーが覚えていたいリオンの姿なのだろう。けれど前世の記憶を忘れていない真津子には、リオンの最期の姿を忘れることもできなかった。自分を助けるために逝ったあの人の顔を…。
*****
薄暗い部屋で勇希は目が覚めた。まだぼんやりした頭でゆっくりと辺りを見回す。石造りの壁に空いた小さな四角い窓には鉄格子が嵌っていて、そこから青白い優しい月の光が差し込んでいた。穏やかな波の音とかすかな潮の匂いから、海の側であることがわかる。
「やっと、お目覚めのようね」
自分はどうしてこんなところにいるのか。記憶の糸をたぐりながら考えを巡らしていた時、聞き覚えのある女の冷たい声が聞こえた。
「あなたは…」
そばの椅子に座った人の顔に何が起こったのか思い出した。白いドレスを着た菖蒲が自分の顔を見下ろしている。その瞳には冷たい光が宿っていた。勇希ははっとなって身を起こすと光の姿を探してきょろきょろする。
「光君なら、ここにはいないわ」
菖蒲は勇希の態度を嘲笑うように冷たい声でそう言った。
「彼はどこ?彼に何をしたの?」
勇希はきっと菖蒲を睨むとそう聞いた。あの時、自分の記憶が途切れる前、自分を庇って立つ光の様子がなにかおかしかった。あんなに大切に思っている光に菖蒲が何かするとは考え難いが、不本意としてもあの白龍に襲われた時、光は怪我を負わされている。白龍の爪に毒があったのかもしれない。どんな理由にせよ、光を傷つけた菖蒲を勇希は許せなかった。
「さあね。あなたに教える義理はないわ」
「なんですって?」
「そんなことより、今日ははっきり聞かせてもらうわ」
勇希の問いを無視した菖蒲は怖いぐらいの低い声で言った。
「あなたは一体光君のことをどう思っているの?」
「え?」
言われたことの意味がわからずに思わず聞き返してしまう。そんな勇希を誤解したのか菖蒲は勇希をギロリと睨んだ。
「光君はあなたが探している人じゃない。カミンとかという人とは、それは遺伝子的にクローンなんだから似ているのはしょうがないとしても、全く別個の人間なのよ」
「それは、わかってる」
勇希は自分自身を納得させるために、わかってる、と心の中でもう一度つぶやいた。
「わかっているのなら、もう二度と、光君には近づかないと誓って」
「え?」
「あなたの求めている人はカミンなんでしょう?別の人の幻影を重ねて光君を惑わすのはやめてくれって言ってるの」
「惑わすだなんて、そんな…」
「じゃあ何?なぜ光君に関わろうとするの?まさか、似ている光君で代用しようと考えてるんじゃ…」
「そんなこと、考えていないわ!そんな、こと…私は…」
勇希はむっとして叫んだ。自分が愛しているのは後にも先にもカミン一人だけ。いくらそっくりだからと言って別の人を代用しようなど、考えたこともない。
だけど、と思う。
光から離れてくれと言われてはいそうですか、と言えない自分に気がついた。カミンと光は別個の人間だということはわかっている。少し前、あの灯台の側で光に同じようなことを自分で言ったばかりだ。
だけど、このまま出会わなかったことにして、今までの日常に戻ることができるとも思えない。それはなぜ?菖蒲の言うとおり、カミンの幻影を光に重ねているからではないのか?それとも…?
わからない。勇希の心はそう答えていた。自分の気持ちがよくわからないのだ。
「どっちなの?」
勇希の曖昧な答えに菖蒲は苛立ちを露わにした。素直に言うことを聞いてくれればそのまま開放してやるつもりだった。けれど、勇希は、あんなことを聞いた後でさえ、光の前から消えようとしてはくれない。それも光本人を好きだからというのならまだいい。いや、いいわけではないが、彼に想いを寄せているものはたくさんいる。その中の一人を減らしたところで、大して変わらないだろう。だが、誰かの身代わりにというのであれば、許さない、絶対に邪魔してみせる、菖蒲はそう心に誓った。
「いいわ。答えられないのなら、それでも。その代わり、ここから出ることは許さない。一生ここで考え続けていることね」
いつまでも答えない勇希に業を煮やした菖蒲はそう言い放つとさっと身を翻すと、部屋の外にさっさと出ていってしまった。
「ちょっと、待って!」
勇希がはっとして追いかけていった頃には菖蒲は部屋に鍵をかけてしまっていた。
「あなたなんかに、光君は渡さない。絶対に」
ドアの小さな柵越しからそう言うと、菖蒲は暗い闇の奥に消えていった。