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第十章:存在の意味

その日の築地病院は、意外に静かだった。


普段、緊急指定である築地病院に人がいないことはない。地下は立ち入り禁止区域だが、ある程度忙しい時間なら、自分たちの存在など誰も気に止めるものはいないだろう。もし、仮に地下で誰かに見つかりそうになったとしても、迷ってしまったとか適当な言い訳を並べるか、それで見逃してもらえないなら真津子の空間転移で逃げればいいだけの話だ。そう考えた五人は平日の夕方、外来の患者も増える頃を見計らって病院に向かった。


ところが、である。


入り口付近のロビーには誰もおらず、しんと静まり返った中、天井に吊り下げられたテレビの音がかすかに聞こえている。それは、今時まだ動いているものがあったのかと驚くようなかなり古いタイプのテレビで、モニターの横に手垢で汚れたダイヤルがついている。


タイムトリップでもしたような気持ちになるが、その小さな画面に流れているのは確かに最近流行りの子供向けアニメーションだった。だがそれでも、この時間に誰もいないのはおかしすぎる。五人は違和感を振りほどけないまま奥の受付へと進んだが、受付もやはりロビー同様で、仕事の途中で皆どこかに呼び出されてしまったとでもいうのか、スチール製の机には開けっ放しの帳簿やまだ湯気のたったコーヒーカップが残っているだけで、人の姿はどこにも見つけることは出来なかった。


この状況に不信に思わないわけではなかったが、誰もいないのならいないで、そのほうが都合がいい。真津子は頭の中にある病院の設計図に従って廊下を進んで行くと、つきあたりに階下へと導く薄暗い階段が見えた。五人は一言も交わさないまま、慎重に階段を下りていくといくつかの扉が左右両方に広がっていた。


「うわ、これ全部調べるのか?」


敬介がげんなりした声で聞く。


「そうね…手分けして、探すほうが早いかしら?」


そう話し合っていると、とつぜん、キィ、とかすかにドアが開く音がした。誰か来たのかと振り向くが、誰もいない。ただ、閉まっていたはずの一つのドアがうっすらと開いているのが見えた。


「あのドア、さっきは閉まってたよな?」


お化けの類の苦手な敬介は早くも額に冷や汗をかいている。そんな敬介がかわいくもあり、同時に情けなくもあるつくもは、一人ふう、と大きなため息をつくとそっとそのドアのほうを伺ってみた。


「どうだ?」


満が小さな声で聞いてくる。


「誰も、いないみたい。けど、どうやら、目的のものは案外簡単に見つかったようね」


そう言うと、つくもはゆっくり、警戒しながらドアを開けて中に入っていく。それに真津子、満、勇希、敬介の順で続いた。中に入ると、天井からぶら下げられた裸電球が点けっぱなしになっており、黄色い光が辺りをぼんやりと照らしている。


大仰な機械があちこちに置かれ、鈍いウィーンとうなるような音がする。中央には水道のついたテーブルがあり、その上にはビーカーやフラスコ、その他様様な器具が並んでいた。テーブルを挟んで両壁にはスチール製の棚にいろんな薬品や背表紙の汚れた本が並んでいる。


「うわ、まるで『マッドサイエンティスト』ね」


つくもが最近見た映画のタイトルをあげる。ある天才科学者が自宅の地下室で妖しげな研究をして世界征服を企む、とかいうサイエンスホラーでいかにもありがちなストーリー展開にもかかわらず、主演が今をときめく若手俳優ということもあって興行収入が数百億にも登る大ヒット作であるとTVの芸能ニュースで言っていた。実はつくもはその俳優の大ファンで、ホラーの苦手な敬介を無理やりつれて観に行ったのだが、その時の敬介の泣きそうな顔を思い出して、つくもは一人苦笑した。


「ね、ねえ、あの光は、なんだろう?」


勇希の不安そうな声に振り向くと、勇希が部屋の奥を指差している。その先に緑がかった光が見えた。


「行ってみるか」


満が先頭を切って歩き出す。その後に他の四人も続いた。

さほど歩かないうちに、光の出所が見えてきた。それは約十数もの巨大なタンクで、どうやら中の液体から発せられているようだった。よく見ると、一つ一つに奇妙な肉の塊が浮かんでいる。


「な、これは!」


タンクの中身を一つ一つ注意深く調べていた満が突然大声をあげた。


「どうしたの…!」


何事かと尋ねようとした真津子も満の見ているものに気付いて絶句する。他のものも同様に、驚きで目を見開いてその場に立ち尽くしてしまった。


「なんだよ、これ…」


敬介の額にさっきとは全く別の汗が流れた。


緑色の液体に満たされたいくつもの巨大なタンク。なんだかよくわからない塊の中でたった一つだけ、ほぼヒトの形に近いものがある。全身にワイヤーか何かが取り付けられていて、液体の真中で浮かんでいるその顔は皆のよく見知った人の顔だった。


「カ、ミン…?」


「やっぱり、そうなの」


勇希が震える声でつぶやいたその時、どこかで聞いたことのある女の声が背後から響いた。


五人ははっとして声のほうを見ると、奥にあった機材の背後から白衣姿の女が姿を表した。


「菖蒲!」


仕事の途中だったのだろうか、白衣姿の篠山菖蒲はゆっくりとこちらに歩いてくると、カミンそっくりな物体が浮かんでいるタンクの前で止まった。


「みんな、お揃いなのね。あら、あなたは…?」


菖蒲は真津子のほうを見て聞いた。


「流、真津子です。あなたが、玖澄くんの面倒を見てくれていた篠山さんなのね?」


どうやら自分のことを知っているらしい菖蒲に面くらいながらも、真津子は社長らしく、堂々とした態度で答えた。


「ええ。けれど、世界の流インターナショナルを背負って立つ社長さまが、どうして一介のこんな病院に?いえ、それよりも、ここは部外者が立ち入るような場所ではないのですけれど?」


刺のある菖蒲の声に真津子は不敵な笑みを浮かべる。


「あら、私がどこの社長かご存知なのね?」


「それは、巷を賑わせている一流企業のうら若き女性オーナーですもの、雑誌やTVで嫌でも目に入るわ」


「それなら、どうして光に流眞に会いにいけ、などと言った?」


満は鋭い眼を菖蒲に向けた。


「え?」


「真津子が流インターナショナルの社長だと知っているのなら、眞がいないことは十分承知しているのではないのか?」


満の問いに菖蒲は不思議そうな顔をする。


「いないって、社長の座を娘に渡したってだけでしょう?今は理事として静養されてるんだって聞いているわ」


「何を言っている?流眞は2年前に死んでいることも、マスコミに発表されているだろう?」


「そんな…」


菖蒲は本当に知らなかったのか、唇をかんで俯いた。


「本当に、知らなかったの?」


そう尋ねるつくもに、菖蒲は明らかに動揺したように小さく頷いた。確かに、本当のことを世間に公表するわけにもいかず、世間に流れているものの九割はただの作り話だ。真津子と満はしつこいマスコミを納得させるのに相当苦労したと聞いている。中にはおかしいと考え、いろんな説が立てられているようだが、眞生存の説は出ていないはずである。それが菖蒲に限ってどうしてそんな話になっているのか、訳がわからないのだが、菖蒲が嘘を言っているようにも見えない。これは裏に思っていたよりも深い策略がありそうだ、と満は思った。


「そんなことより、これはなんなんだ?あんた、やっぱり今回の件にかんでいたのか?」


気の長いほうではない敬介がいらいらした口調で割り込んできた。敬介の指差すものを見た菖蒲は、先ほどまでの動揺など嘘のように挑戦的な眼を敬介に向けた。


「今回の件?そのカミンとかいう人の?それとも、光くん?」


菖蒲は意味ありげににやりと笑う。


「この、タンクに入っているモノは、一体なんなんだ?」


満ができるだけ静かな声で聞いた。


「カミンって誰なの?」


満の問いには答えずに菖蒲は利き返す。


「俺達の大事な仲間だ」


敬介がいらついた口調で答える。


「ふーん。大事な、ねえ」


「てめえ」


バカにしたような菖蒲の答えに、今にもつかみかかろうとする敬介を満は片手で制すると、またさっきの質問を繰り返した。


「ああ、これ?これはそう、そのカミン、とか言う人のクローンよ」


「なん、だと?」


聞かなくても薄々わかっていたはずの答えに敬介はうろたえた。どうやってとうの昔に死んだカミンのクローンを作り得たのか詳しいことはわからない。けれど、それはあまりにもカミンに似ていて、菖蒲から聞かずともそうであることは明白だった。


「まあ、これはどれも失敗作らしいけれど」


「失敗作?ではカミンのクローンは全て失敗に終わっている、というのか?」


満の問いに菖蒲はゆっくりと首を振る。


「そうでもないわ。たった一体だけ、成功したのよ」


「一体だけ?」


その答えに不安がよぎる。


「そう。玖澄光…。私も最初は光くんのクローンを作ってるのかと思ったのだけれど、実際は逆だった。彼はあなたたちが大事にしているカミンの遺伝子を研究して生まれた人類最初のクローン。現代の科学を集結させた最高傑作なのよ」


そう菖蒲が答えた時、勇希たちの背後で、ガシャンと、何かがぶつかる音がした。

驚いて振り向くと、スチール製の棚から薬品の入っていた瓶が幾本も倒れてその中身が床へぼたぼたとこぼれている。その傍で呆然とこちらを見ている人影があった。


「!光…」


勇希が息を呑む。そこには、ここにいるはずのない光が立っていた。その藍色の瞳はショックで大きく見開かれている。裸電球の下で光の顔は異常なまでに蒼白だった。


「まさか、今の、聞いて…」


光の突然の登場に驚いたのは勇希たちばかりではなかった。菖蒲もまた驚いたように光を見つめていたが、取り繕うように何か言おうと一歩前に進み出た。


「光君…」


「くるな!」


そんな菖蒲をおびえるように見た光は一歩下がる。


「お願い、話を…」


また一歩、自分のほうに近づいてきた菖蒲に、光の緊張の糸がぷっつりと切れた。おそらくさっきの話を聞いていたに違いない。光はさっと踵を返すと、ものも言わずに飛び出していった。


「あ、待って!」


「あんたはいかせない」


光を追いかけようとする菖蒲の前にいつの間にかつくもが立ちふさがった。


「どいてよ!」


無理やり通ろうとする菖蒲につくもは持っていた小型ナイフを向けると叫んだ。


「勇希、ここはいいから、光を追って!」


「う、うん、わかった!」


勇希はつくもの声に弾かれたように答えると、光を追って薄暗い実験室を飛び出していった。

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