第九章:悪夢の始まり(5)
そう言って真津子が取り出したのは金色に輝く万華鏡のようなものだった。薄暗い部屋の中でそれはまるで自ら光を発しているかのように明るく輝いている。周囲にはなにやら微細なデザインが彫られており、遠目からもかなり高価な代物のように見える。
「なんだ、それは?」
満が訝しそうに尋ねた。
「父が残してくれたものよ。テトラスコープっていうものらしいんだけど…」
そう言いながら真津子はそれを部屋の片側にある事務机に設置した。
「テトラ…なんだって?」
相変わらず物覚えの悪い敬介がその聞きなれない言葉を聞き返す。
「テトラスコープ。かなり前に流行った家庭用ビデオみたいなものかしら。音声と映像を記録する機械よ」
「そんなの、聞いたこともないよ?」
「そうでしょうね。紅劉国以前のものらしいから…」
つくもの問いに真津子は苦笑して答えた。
「おいおい、冗談だろ?紅劉国以前のものって…」
「さあ、詳しいことはよくわからないわ。ただ、ここに記録されている映像の内容から察すると、相当古い時代のものだってことは確かだと思うけど」
真津子は脇についたボタンのようなものを回すと、興味の眼を集める四人に席から立つよう促した。勇希たちは真津子に言われるままに立ち上がり、敬介もその輪の中に加わった。何が始まるのかと興味の眼差しでテトラスコープを見つめていると、筒の先から白い光が流れ出し、勇希たちの周りを包み込んでいく。まるでドライアイスの海に浮かんでいるような、白い煙に体が揺れているような奇妙な感覚を覚えた。慣れない感覚に全身の毛が逆立つ。次の瞬間、勇希たちは知らない街の雑踏の中にいることに気がついた。
「うわ、な、なんだこれ?」
敬介があからさまに焦った声を出す。
「テトラスコープに記憶されている昔の世界よ。テトラスコープには、記憶された世界にタイムワープさせてくれる力があるの。その力を利用してどこでも好きな場所に移動することができるってわけ。ただ、これは記録に過ぎないから、記録された時代にあった場所にしか行くことはできないし、何かに触れたり、交流することもできないわ。そのかわり、ここの世界で生きている人たちに私たちの姿が見えることもないから、歴史改竄なんて心配もないってわけ」
と真津子は説明した。
周りでは老若男女、様々な人々が行き交ってごく普通の生活を営んでいる。いや、普通というよりは今よりも近代的な生活をしているようにも見えた。服装は今とは比べようもないような奇妙なデザインで、中には人間とは完全に異なる生物も普通に言葉を使い、道具を使って生活している。
「すっげえ。こんなもんが、紅劉国以前にあったっていうのかよ?」
敬介はすっかり感心してあたりを興味の眼で見回した。
「でも、こんな便利なものがあったのに、どうして紅劉国の歴史は今に伝わっていないの?学者が喉から手が出るほど欲しがっているものじゃない?」
勇希は疑問を口にした。劉翔学院大で古代史を研究していた勇希は紅劉国の資料が現代にほとんど残っていないことを知っている。学会では半分神話化されはじめる傾向さえあった。
「それは、学者はこの装置のことを知らないからよ」
勇希の疑問に真津子は涼しい顔をして答えた。
「え?」
「私たち以外、テトラスコープのことを知っている者はいないわ」
「どうして?」
真津子が現在社長を務める流インターナショナルは、歴史の調査、発掘についても力を注いでいる。現在勇希が勤めているのがその研究機関の一部だ。こんな装置が太古に発明され、またその時代のことを記録していることを学会に発表すれば、企業の更なる発展につながるのは明らかである。それなのに真津子はこのことを知っていて秘密にしていたと言う。その理由が勇希にはわからなかった。
「私もテトラスコープを見つけたのはつい最近なのよ。偶然、父の書棚の奥にあった隠し扉の中で見つけたの」
「おやじさんのって、んじゃあ、親父さんが知っていて、ずっと隠していたってことなのか?」
敬介が話題に入ってくる。
「さあ、隠していたのかどうか、そこまではわからないわ。とにかく、今はこれを学会に発表するわけにはいかないのよ」
「どうして?」
今度はつくもが尋ねる。だが、真津子はその問いには答えなかった。変わりに真津子は皆に見せたいものがある、と言ってすたすたとどこかへ向かって歩き出した。
勇希たちはお互い顔を見合わせると、あわててさっさと先へ行ってしまう真津子の後を追った。真津子は町から少し外れた林の中に入ると一本の大きな杉の木の側でようやく後ろを振り向いた。四人がそばまで来たのを確認すると、無言のままその木の根元を指差す。見ればナイフのようなもので削られた跡があった。
「これは、古代文字か?」
満が聞いた。
「そうよ」
真津子は短く答える。
「勇希、これなんて書いてあるの?」
とつくもが聞く。
「Luna…いつまでも…君を、想う…」
大学で古代文字を勉強した勇希が読み上げた。
「へー昔の人も木に好きな人の名前を彫ったりしたんだ」
つくもが感心したように言う。その時、周りの景色が一瞬歪んだように見えた。
「うわ、なんだ?」
敬介が黄色い声をあげる。
「時間、転移か?」
満はさっきの木の根元を見ながら落ち着いた声で言った。満の視線をたどると、さっきまであったはずの文字がきれいさっぱり消えてしまっている。勇希がなにか言おうとした時、人気のなかった林に誰かが来るのが見えた。