第八章:キーワード(4)
「で、一体あんたは何を調べようとしてんの?」
少女はまた唐突に尋ねた。
「え?」
「何か調べ物があったんでしょ。特別な。そうでないとあんなに何度も行ったり来たりしないよね?」
少女はまた意地悪そうにウインクする。
「もしかして、見てたの?」
「今にもガラスを割りそうな雰囲気だったけど」
少女は菖蒲の問いを敢えて無視して言った。
「見てたんなら、何で何も言ってくれないのよ!」
恥ずかしさに今にも噛み付こうとする菖蒲を少女は軽く手を振ってあしらうと、何でもないかのようにして言う。
「それより、調べ物。とっても大切なことなんでしょ?」
「え?ま、まあね」
菖蒲は言葉を濁した。
「何をそんなに知りたいの?場合によってはアタシが調べてやってもいいよ」
少女は何でもないことのようにさらりと言う。一度はあきらめかけた菖蒲に一筋の光が見えたような気がした。すぐにでもうなずきそうになった菖蒲だが、警戒心のほうが先に動きだす。
「なんでそんな…もしかしてあなた、院長の知り合いなの?」
もしそうなら、少女の突然の申し出にも納得がいく。だが、まだ菖蒲は院長を信用しているわけではない。自分の軽率な行い次第では光にまで被害が及ぶ可能性がある。菖蒲は静かに少女の反応を待った。
「院長?」
ところが、少女は素っ頓狂な声を出して菖蒲をまじまじと見つめてきた。
「違うの?」
菖蒲は不安そうな声で聞き返す。菖蒲の問いに、少女は両手を宙に掲げる真似をする。まったく何を言ってるのかわからない、少女は無言でそう答えていた。
「あたしは安東つくも。ここの3年。この特別図書館専用の司書やってんのよね。とは言ってもバイトなんだけど、ある程度の権限はもらってるから、事情と調査内容によっては少しぐらいならあたしが調べてあげてもいいわよ」
つくもはまた少し得意気に説明したが、菖蒲はまだその言葉を信用していいのかどうか迷っている。
「どうする?嫌なら別にいいのよ、断っても。ただ、あたしの助けなしでここの情報を見ることは絶対に無理だと思うけどね」
つくもの緑の瞳が意地悪そうに笑った。その笑みがどことなく気になったが、他に頼れるあてもない。菖蒲は観念すると、さっき下の階で印刷してきたリストのコピーを見せた。つくもは菖蒲からその紙を受け取ると、ざっと目を通して軽く息を呑んだ。次に菖蒲の顔を見上げた時、つくもの顔にさっきの得意そうな笑みは微塵もなく、かわりに深い緊張の色をたたえている。
「あんた、なんでこんなこと調べてるの?」
厳しい表情のつくもは、やけに静かな声でそう聞いた。澄んだ緑の瞳に冷たい光が宿るのを見て、菖蒲は知らず知らず身震いしていた。
「なんでって、ただちょっと気になることがあって、それで…」
しばらくつくもと菖蒲はじっと相手の様子を伺っていたが、つくもは急ににっと笑うと手をひらひらさせた。
「な〜んてね。うそうそ、ちゃんと調べてあげるわよ。で、あんたの名前は?どこに届ければいいの?」
つくもの突然の豹変にあっけにとられた菖蒲はしばらく声が出ない。呆然としていると、つくもがばしんばしんとその背中を叩いてくる。
「ほらほら、そんなに怖かった?」
さっきの意地悪そうな調子に戻って陽気に話しかけてくる。
「え、あの、届けるって、今見せてくれないの?」
菖蒲は正気に戻ると尋ねた。
「え〜それは無理だよ。部外者に提供できる情報は限られてるんだ。あんたを直接中に入れることはいくらあたしでも…」
「そっか。私は篠山菖蒲。築地病院に勤めてるわ」
「築地ね。オッケ。資料がまとまったら連絡する。2−3日はかかると思うけど」
つくもはエレベーターへと菖蒲を促す。菖蒲が使ったまま止まっていたエレベーターは、つくもがボタンを押すとすぐにその扉を開いた。菖蒲はまだ何か言いたそうだったが、つくもはわざと気づかないふりをした。
「じゃあ、お願いね」
扉が閉まる直前に声をかける菖蒲につくもは笑って手を振ってみせた。扉が閉まり、表示板の数字のライトがひとつづつ、ゆっくりと点灯しては消えていく。
「篠山…築地病院ね」
エレベーターの表示版を見上げる。菖蒲を乗せたエレベーターが一階にたどりついたのを見届けると、自分の手に残された検索リストをつくもは苦い顔で見つめた。
「検索キーワード:パンドラ、希望、カミン」
リストにはそう書かれている。
「あの女…どうしてカミンのことを…」
また何か良からぬ事が起きているのではないか。ふと心に不安が過ぎるのをつくもはぶんぶんと頭を振って打ち消した。
「とにかく、この情報を他の誰かに渡すわけにはいかないわ」
そう独りごちたつくもは掌の紙をぐしゃぐしゃに握りつぶすと脇に置いてあったゴミ箱に投げ捨てた。
つくもはこの作品に出てくる女性キャラの中で作者が一番好きなキャラクターです。みなさんのお気に入りのキャラは誰かな。