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第八章:キーワード(3)

最上階でエレベーターを降りた菖蒲を待っていたのは大きなガラスの壁だった。中は他の階と同じように無数の本棚が、それこそ無数の本で埋め尽くされている。外から見る限りでは誰もいないようだった。


中に入ろうとドアを探して行ったり来たりしてみたが、いったいどこから入るのか、ドアらしいものは一向に見あたらない。もしかして、違うエレベーターを利用しないと入れない仕組みになっているのではないか。そう考えて一度下の階に戻って辺りをくまなく探してみたが、それらしいものは何もない。それどころか、不思議なことに緊急避難用の階段すら見当たらなかった。


「いったい、どうなっているのよ」


仕方がないのでまたさっきのエレベーターを使って上がってくると、ガラスの向こうに並んだ無数の本をうらめしそうに見ながらため息をつく。


ここに自分の知りたい情報が眠っているかもしれないのに。


そう考えると、いてもたってもいられなかった。何とかして中に入らなければ。いっそガラスを割ってしまおうか。試しに軽く拳で叩いてみるが、そう簡単に割れそうな代物ではないことに気づく。それに、例えどうにかして割ることに成功したとしても、そんなことをすればすぐに誰かがかけつけてくるだろう。菖蒲は図書館の入り口付近で談笑していた、二人の大きな警備員の姿を思い出した。揉め事を起こして警察にでも連れていかれることになれば、二度とこの図書館に立ち寄ることすらできなくなってしまう。もちろん、こんなところに用があるのは後にも先にも今回限りだろうから、今後立ち入り禁止になったところで困るようなわけではない。ガラスを割ってから、警備員が来るまでの間に必要な情報さえ手に入れればいいのだ。だが、これだけ膨大な蔵書を前に、必要な情報だけを短時間で見つける自身は菖蒲にはなかった。


階下にいる司書に聞いてみるしかないか、と思い始めた頃、ガラスの向こうに人影が見えた。ここの学生だろうか、みるからに小柄な女性である。菖蒲はガラス扉に張り付きそうなほど近くに身を寄せると、人影に向けて大きく手を振ってみたがこちらを振り向く様子はない。しかたなくガラスをどんどんと叩いてみる。これには女性も気がついたようで、ゆっくりこちらへ歩いてくると、ガラスの壁から一歩手前で立ち止まった。


近くに来ると、女性が思ったよりも更に小さな事に気がついた。見た目もどちらかと言えば、まだ少女といった感じだが、その大きな緑の瞳だけが、鋭い光に満ちていて、どこか人を寄せ付けないような、そんな雰囲気を漂わせている。その雰囲気に気おされそうになった菖蒲だが、ここで引くわけにはいかない。気を取り直して少女の顔に視線を戻すと、緑の瞳が菖蒲の瞳を真っ直ぐに見つめていた。じっと見ていると吸い込まれてしまいそうだ。そうぼんやり思っていると、少女はどことなく面倒くさそうな声で「何?」と尋ねた。


「あ、あの、ここってどこから入るんですか?ドアが見あたらないんだけど…」


自分の質問が声に出してみるといかにも馬鹿っぽく感じられて、菖蒲は一人で顔を赤らめた。すると、そんな菖蒲の意中に気がついたのか、少女はその緑の瞳に意地悪そうな光を宿すと「ドアなんかないわ」と言ってにやりと笑った。


「何?どういうこと?」


少女が自分をバカにしているような気がして、菖蒲の口調が無意識に厳しくなった。


「だから、ここに入り口なんてないって言ってるの」


ところが、菖蒲の口調など気にも留めない様子で少女はわけのわからない答えを返した。


「入り口がないって、じゃああなたはどうやって中に入ったのよ?」


ムキになった菖蒲の問いには答えず、少女はおもむろに左手を揚げると二人の間にあるガラス壁にそっと触れた。すると、ガラスの表面がまるで水のように波紋を描き始める。その波紋が次第に大きくなったかと思うと、少女の背丈ほどまでに広がった。驚いて声も出ない菖蒲の前に少女の白い手が現れたかと思うと、次に足、そして彼女の長い茶髪が続き、ついには少女自身が目の前に現れた。


「こんな感じかな」


呆気に取られていると、悪戯っぽく微笑む少女が目の前に立っている。つい数分前までガラスの壁の向こうにいた少女が、今は自分の目の前で笑っていた。


「あ、あれ?」


まるで狐にでも化かされたかのようだ。訳がわからずしきりに目を瞬かせる菖蒲を見て、少女は益々満足気に微笑む。


「どう?あたしの魔法もたいしたものでしょ?」


菖蒲は少女の後ろを見る。やはりそこにはガラスの壁が一面に広がっている。そっと壁に手を当ててみるが、やはりただのガラスに変わりない。さっき、少女が触れた時に出来たような波紋も当然だが起こることはなかった。


「魔…法なの?」


昨日からおかしなことが続いているせいで、思わず信じそうになった菖蒲だが、ふと呟いてみて、その非現実的な響きに気がつく。


「そんな冗談、通じると思ってるの?」


少し落ち着きを取り戻した菖蒲は、少女のほうを振り向くと、今度は真直ぐに少女の緑の瞳を見つめ返した。しばらく無言でいると、冗談が通じない相手と気がついたのか、少女のほうがふっとため息をもらす。


「あんた、うちの生徒じゃないでしょ?」


少女の唐突な質問に、菖蒲はまた戸惑った。


「え、ええ、そうだけど…」


「うちの図書館は確かに一般人にも公開してるけど、ここ十階は特別。教授や学生の間でもごく一部の者にしか開放されてないんだよね。いろいろやっかいなものが収められているって話だし」


「それは、そうだろうけど…」


確かに少女の説明には一理ある。大切な学術書を部外者から守るために大学側が特別なセキュリティを設けることは別に珍しいことではないからだ。だが、どうやってガラスの壁を抜けてこの部屋へ入るのかについては謎のままである。


「つまり〜、この壁にはちょっとした仕掛けがしてあんだよね」


緑の瞳を持つ少女は、少しだけ得意気に言う。


「仕掛け?」


「そ。あのガラスのように見える壁は、大学側から特別許可を受けた人だけが入れるようになってるの。詳しいことは部外者のあんたに話すわけにはいかないけどね」


つまりは大切な蔵書を部外者が閲覧できないよう、一般的に知られていない超近代技術を用いて作られたものが、あのガラスの壁と言う訳なのだ。なるほど国の政治にすら発言権を持つと言われる劉翔大だけのことはある。素直に関心してみるが、事態は一向にいい方向に進んだわけではなかった。大学に選ばれた者だけが閲覧できる部屋。そこだけに、菖蒲が探す答えが眠っているのだ。この少女が言うことが本当なら、特別許可どころか、この大学の学生でもない菖蒲がこの部屋に正規の方法で入るのは不可能だ。今度は菖蒲がため息をつく番だった。

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