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第八章:キーワード(1)

この間から気になっているのですが、「かんごし」って「士」と「師」のどっちが正しいのでしょうか。どなたか知っている人がいましたら教えてください。

「最近、院内をこそこそ嗅ぎ回っているネズミがいると思えば、君だったのか」


いつの間に入ってきたのか男の声にびっくりして顔を挙げると、目の前に白衣を着た院長が立っていた。


「い、院長!どうなさったんですか?今日は学会に出席されるんじゃあ…」


院長がいつも使っている大きな革張りの椅子に座って報告書を読みふけっていた菖蒲は弾かれたように立ち上がると目を丸くして尋ねた。


「学会は中止してもらったよ。院内のことが気がかりだったからね。そんなことより、君は一体、私の部屋で何をしているのかね?」


そう言いながら、院長はその小さな濁った目を訝しそうに細めた。


「あの、それは…」


学会に出席するため、今日一日中院長は留守のはずだった。そのためにわざわざ今日を選んで院長室に忍び込んだのだ。まさか大切な学会をキャンセルするとは夢にも思っていなかった。もしこんなところで院長に鉢合わせする可能性があれば、ここでゆっくり報告書の内容に目を通したりはしなかっただろう。絶対に安全だと決め込んでいた菖蒲は、もしやの時の言い訳を何も用意してはいなかった。


「下手な隠し立てはしないほうが身のためだ。どうやら君は何か嗅ぎ付けたらしいなあ?」


言葉をなくした菖蒲を院長の濁った瞳が見つめている。菖蒲はこの瞳が苦手だった。まるで蛇に睨まれた蛙のように首をすくめてできるだけ院長の目をみないように試みる。


「君はここの地下にある、実験室に行ったことがあるはずだ、違うかね?」


ずばり本当のところを突かれてうろたえる。それでも必死に表情は変えずにとぼけてみせた。


「なんのことですか?」


「とぼけても無駄だ。数日前、あそこでこんなものを拾ってねえ。確か、これは君のものだよなあ。おばあさんの形見とか言う?」


そう言って院長が目の前にちらつかせたのは菖蒲がいつもしていた髪留めの片方だった。あの後、どこを探しても見つからないと思えばあの地下室で落としてしまっていたのだ。


「くっ」


菖蒲は何も言えずに歯噛みした。


「どうした?何か言いたそうな顔だなあ」


院長は下卑た笑いを浮かべた。証拠は押さえられている。今更言い訳したところで無駄だった。それなら―と菖蒲は思う。どうせバレてしまったのなら隠そうとしてもしょうがない。どの道、菖蒲はなんらかの罰を受けるに違いなかった。それならば、いろいろ嗅ぎ回っていた事実を認めてしまったうえで、自分の頭の中に渦巻いている疑問をぶつけたほうが得策ではないか。


「院長のおっしゃる通り、地下の実験室に行きました。偶然、あの場所を見つけたんです」


「ほう?それで、中に何があるか覗いてみたと?」


「人間のクローン培養は世界医科学法(WMSR)で禁じられているはずです」


「その通り。よく勉強しているようではないか。あれは世界法でも理にかなった、素晴らしい法律だ。私が支持する数少ない良法の一つだよ」


予想と反する答えに菖蒲はまたしてもうろたえた。


「あ、あなたも、クローン生産には反対だとおっしゃるんですか?」


「その通り」


「それなら、どうして、玖澄光のクローンを造っているんです?」


「光君のクローン?一体君は何を言っているんだ」


院長は本当に何を言われているのか検討もつかないと言わんばかりにその小さな目を丸くして驚いたように菖蒲を見つめた。もし、これが本当に演技だというのなら、こんなところで院長などしているのがもったいない、と思えるほどに磨きのかかった役者ぶりである。だが、これは演技に違いないのだ。さっき、院長自信、地下に実験室があることを認める発言をしたばかりだ。あの部屋の存在を知っていて、中で何が行われているか、院長であるこの男が知らないはずがない。それに―。菖蒲は手元にある分厚い資料の束を見た。


「とぼけないでください。これは彼の遺伝子を元にしたクローン精製実験の記録ではないのですか?」


と菖蒲は先ほど院長の机の引き出しから見つけた書類の束を掲げてみせた。


「それに、私は見たんです。地下で、彼の、彼に似たクローンが、全て異形でしたけど、フォルマリン漬けになっていたのを。あれは彼のクローン、そうでしょう?」


完璧な証拠を突きつけたはずだったが、菖蒲の真剣な顔とは裏腹に、院長はさもおかしいというように高らかな笑い声をあげた。


「ふふ、わはははは。何を言い出すかと思えば、くだらん。私はヒトのクローンなど、つくってはいない」


「でも!」


「ましてや、玖澄光のクローンなどつくってどうするというのだ」


急に真面目な表情になると、院長はいつもの穏やかな声音でまるで頭の悪い学生に言い聞かせるようにゆっくりと話し始めた。


「いいか、君の言ったとおり、国際法はヒトのクローン作りを禁じている。そんなことをして見つかれば医師免許剥奪、終身刑で一生牢屋のくさい飯を食わされることになる。そんな将来、私はごめんだ」


ふと、院長はたくさんの賞状やトロフィーで埋め尽くされている部屋の一角に目をやった。確かにこの院長は奉仕活動や援助金贈与などいろんな慈善活動に熱心で、その為いろんな所で有名だった。国際法に抵触して医師会を破門になったりすれば、彼の人生に多大なダメージを受けることは間違いないだろう。どう考えても、頭の切れる人間が安易に手を出すようなことではなかった。


「そして、国際法が禁じているのはヒトのクローンだ。その他のものについては言及されていない、違うか?」


本当に、院長はクローンのことを知らないのだろうか、そう思い始めた時、院長の口から出た言葉は菖蒲には理解不能のものだった。その他のもの?院長が言っていることに間違いはなかった。だが、菖蒲が見たものがヒトのクローンではないというのなら、一体なんだというのだ。


「その通りですが、その他のものって?」


「君はさっき、私が玖澄光の遺伝子を使ってやつのクローンをつくろうとしている、と言ったが、どうしてやつがオリジナルだとわかるんだね?」


菖蒲はこの質問に面くらった。手元にある資料にはクローンを作る上でのいろいろな実験記録が手書きされていたのだが、そのどこにもオリジナルとなっている人間の素性は明示されていなかった。光がオリジナルだと思ったのは、いくつかのクローンの特徴が彼に似ていたからに他ならない。


「だって、顔のあるものは特徴が彼そっくりで…」


菖蒲は少し泣きそうになりながら答えた。院長は菖蒲の側まで歩いてくると、まるで子供をあやすように菖蒲の頭をなでてから、こう言った。


「良い事をおしえてやろう。玖澄光、お前たちがそう呼んでいる者こそが私の作品」と。


「な、何を言っているんですか?」


「わからないか?やつこそが私が作った完璧なクローン、たった一体の成功例なのだよ」


「そ、そんな!」


「そして、もう一つ」


「?」


「やつの元になっているもの、やつのオリジナルはヒトなどではない。ああ、そうさ。遺伝子(カミン)はパンドラの希望なのだから」

嫌なおやじ…もとい、院長の登場です。この章は菖蒲視点で続きます。

「パンドラ」のくだりは入れるべきかずっと迷ったのですが、とりあえず入れてみました。

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