プロローグ
数年前に出版された『Guiding Star』(ISBN4-434-07805-4C0279)の続編です。ブログに連載しているものと同内容です。前回についての登場人物についてはブログ(http://blog.goo.ne.jp/ayano-miyabi/m/200609)のほうを参照してください。
暗い病院の廊下はしんと静まり返っている。
非常灯のほのかな緑色の光だけが真っ白な壁をぼんやりと薄緑色に染めていた。
廊下の突き当たり、一番奥の病室のドアにはここ数年同じ札がかかったままである。
『面会謝絶』
白いプレートに並ぶ、角張った太い文字は番犬さながらに通りすがる人々を威嚇していた。
病室の中は真っ白で、どこの病院でも見られるようなパイプ造りの簡素なベッドが置かれている。
ドアの反対側にあるやたら大きな窓には真っ白な、だが病院にしては高級過ぎるビロードの厚地のカーテンがかかっており、外から差し込む月の光さえも病人への面会を許そうとはしなかった。
ベッドの側には小さなサイドテーブルが一つ。
この部屋には誰も入れないという病院側の意思の表れか、見舞い客用のイスなどはどこにも見当たらない。その代わり、いくつもの延命装置が耳障りな機械音をうならせながら患者の周りを埋め尽くしていた。天井近くに吊り下げられた小さなモニターが休みなく患者の血圧と心拍数を表示して小さな、少し甲高い音で規則的なリズムを刻んでいる。
見下ろすと、モニターから漏れたかすかな光に照らし出された患者の顔が見てとれた。その、世界の全てから見放されたような完全に隔離された場所に彼はいた。
丹精な顔は、長い間外の光から隔離されていたため色を失い青ざめていたが、目を閉じて横たわるその顔は美しく、どこか浮世離れしてさえ見えた。少しのびた紺色の前髪が形のいい額にかかっており、長い睫毛が彼の白い顔に暗い影を落としていた。
突然、少し前まで規則正しいリズムを刻んでいたモニターに表示された数字がせわしなく変わり始める。それにあわせて甲高いアラームがまるでビートを刻むようにけたたましく鳴り響いた。
暫くすると、異変に気付いた看護士たちが白衣に身を包んだ医者を連れてばたばたと病室の中になだれ込んでくる。その瞬間、部屋に置いてあった延命装置やモニター、全ての機械という機械が電源をなくして静かになった。
病院内は突然の停電にも対処できるよう、自家発電を使っている。特に面会謝絶が長く続き延命装置をつけていなければ命が危ういような患者の部屋ならなおさらだ。それなのにどの機械も今は完全にその動きを止めていた。
「おかしいな」
白衣の医者が電気のスイッチを確認するが何の反応も見られない。後ろに控えていた看護士に何か言おうとして振り向くと、廊下の向こうに緑色の非常灯の光が見えた。
同じ自家発電を使っているはずの非常灯は点いている?
不信に思ったとき、隣にいた看護士が消え入りそうな声で「先生」と呼んだ。
「なんだ?」
短く答えて振り向くと、几帳面に閉じられていたはずのカーテンがいつの間にやら開け放たれ、その隙間から差し込む月の光に、大きく目を見開いた看護士の顔が見てとれた。
その顔にはまるで幽霊か神でも見たかのような、畏怖とも敬愛の念ともとれぬ不可解な表情が浮かんでいた。医者がいぶかしげに彼女の視線の先を目で追うと、薄暗がりの中、こちらに背を向けてベッドに腰掛ける誰かのシルエットがその眼に止まった。ふとベッドに視線を落とすと、そこに横たわっているはずの患者の姿がないことに気付く。
医者が何か言いかけた時、その影が振り向いた。
月の光がまるでスポットライトを当てたかのように、その者の顔を優しく照らしていく。その澄んだ藍色の瞳には、驚きで声もなく立ち尽くす医者と看護士たちの姿が映っていた。
これから少しずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。