濃紅に裂いた華
2015年春祭本「あっ……(冊子)」掲載作品
1
パシャリ
機械音が響く。誰もいない草地に。
小高い丘の小さな崖。木々で覆われた丘にできた、自然の展望台。夏も終わりに近づき、程よい気温と湿度になって来た。涼しい風が時折吹き付ける。
ここからは街が見下ろせる。私の住む街を。
写真部の私は、この見晴らしの良い丘から、夕景を撮っていた。
街は朱く染まり、空は夜と夕のグラデーションを描く。私はその瞬間が好きだ。自然も人工も一緒くたに朱くなって、そうしてすぐに真っ暗になる。
陽は急速に落ちていく。
暖かい朱色に包まれていた街から、色が、光が、温度が、喪われていく。子供が家に帰る音がする。父親が仕事を終わらせる音がする。母親が料理を作る音がする。
そうやって、きっと喪失を埋めているのだ。土地を壁で囲い、人工の太陽で照らして、暖かな空間を演出する。あの箱の内部空間は夜を駆逐する為にある。そう考えると、とても愛おしい。家族なんていう、絆なんていう偽物の言葉で自分を騙している。愛情だなんて子供騙しの大嘘。こじ付けのロジックで、ただ利用し合っているだけの共依存。綺麗な言葉は全て、その本質を隠すためにある。臭いものに蓋をして、容れ物を飾り立てている。周りを欺いて、結局は夜が怖いだけなのだ。何も見えなくなるのが、恐いだけなのだ。何も見えてなどいない癖に。
欺瞞の始まりを告げる夕焼けは、私のカメラに収められる。カメラを再生モードにする。1GBほど、朱で埋め尽くされていた。はぁ……と嘆息がもれる。その美しさは、やはり色の為だけではない。それが象徴する儚さが、私の心に、えも言われぬ感動を呼び起こすのだ。
終わることこそは美しい。
2
少し強めの風が吹いた。葉を落としつつある木々も、草も揺れている。
その中でも一際目立つ花がある。私の好きな、この世で3番目に好きなもの……彼岸花。運命の紅い糸の様に天を指す花弁が、さわさわと音を立てて揺れている。儚い。消えて無くなりそうな細い花、しかし、その色彩は苛烈。此の世ならざる世界から咲いているようだ。その紅が夕日の朱に照らされて、黄昏は夢幻を見せる。その景色を撮ろうとデジタルカメラの画面を見ると、写真データの中で、朱い太陽を遮ってさらに輝く笑顔を見つけてしまう。
夕日に照らされて笑う彼もまた、瞞されている。
家族というプロパガンダを私は信じない。いや、正しく言えば、私は血族を信じない。親を、兄弟を無条件で信頼するなんて間違っている。私の親が彼らであることは偶然でしかないし、賽子振って出た目が真理だと思い込めるほど、私は能天気じゃない。
私を育てた人間は、強い人だった。温室でぬくぬくと過ごすことは無かった、微温湯で満足することも無かった。狗のように調教され、家畜のように躾けられた。彼らは自分に真摯で、欲望に忠実だった。雌なら何でも良かった雄と、雄の為になら何でも出来た雌の番。あれを愛などとは宣わせない。傷だらけの私を見て、人は同じ事を言えるのだろうか、目を逸らさずに、真っ直ぐに。
顔だけは傷つけないでくれたのだけは幸いだった。半袖もショートパンツも、ドレスもスカートも着られない私だけど、貴方にだけは見て欲しい。私のそのままを、知って欲しい。
だから、貴方は妹さんを好きだと、愛していると言うけれどそんなのは間違っている。単に目の前に、近くにいた繁殖適齢期の雌がソレだっただけで、その感情は愛ではない。腐れ縁の間柄に情を抱いてしまっただけで、それは恋慕たり得ない。ありえない。
愛とはもっと苦悩して、苦心した先に見つける幸せであり、救いの様な光であるはずだ。私は貴方を見るだけで、心が救われる。そして、苦しくなるのだ。手に入らない貴方の笑顔を、心を、優しさを、温もりを、視線を、欲求を、想いを……その総てを思って、苦しくなる、泣きたくなる。
それでも、貴方の微笑みを見る度に頭の中のピントがぼやけて、何もかもを忘れてしまえるのは、貴方に恋をしているからなのでしょう。
3
貴方は私を覚えていますか?
昨日の3限に目があったこと、一昨日の業間にすれ違ったこと、5日前に学食で同じものを食べたこと、6日前に同じ教材で課題が出ていたこと、7日前に隣り合った部屋でサークル活動していたこと、貴方は覚えていますか?
私は、頑張って貴方と同じ大学に入りました。1日の半分、貴方と同じ空間で過ごしています。どんなに人が多くても、私は貴方を見つけ出せる。フレームには被写体しか写らないのに、それなのに、どうして気付かないのでしょう、あなたの思い込みが間違っていることに。
ええ、きっと貴方はこう言うわ。
君は恵まれなかっただけだ、これから何度もやり直せる、と。なら、貴方が私を幸せにして、貴方こそが、私を幸せに出来るの。こう見えて私だって、雌なのよ? 貴方の妹さんがそうである様に。だから、その点私と妹さんには互換性があるし、生命体としては、遠縁の私とこそ、寧ろ生殖すべきなのよ。だって、雌なのよ? 貴方の妹さんがそうである様に。だから、その点私と妹さんには互換性があるし、生命体のプロセスとしては、遠縁の私とこそ、寧ろ生殖すべきなのよ。
貴方が愛した人が、赤の他人であったのなら、私は納得できたのかも知れない。
貴方が恋した人が、ただの友人だったのなら、私は諦めきれたのかも知れない。
誑かされた貴方が可哀想。助けてあげないと。歪まされてしまった、狂った価値観から解放して、あげないと。
でも、私は貴方の妹さんが嫌いな訳じゃない。恨んでもないし、怒ってもいない。ただ、貴方を苦しませないで。それだけなの。何度お話ししても、何度説得しても、何度教導しても、妹さんは頑なだった。私の言うことを聞かなかったの。ただ、それだけ。
挙げ句の果てに、私が狂っているだなんて、酷いわ。学校のメンタルヘルスも正常だったし、私の言っていることは何一つ間違ってなどいないはずでしょう? 兄妹間恋愛なんて、禁忌に足を踏み入れている方がよっぽど狂っていると思う。本当の兄妹じゃないって? まさか、そんな世迷い言はやめて頂戴。アダルトゲームのやり過ぎか、官能小説の読み過ぎね。誇大妄想もいいところよ。
4
終わることは仕方のないこと。
今日。ここで。終わり。
そう、とっくの昔に、陽も沈んでしまったし。
5
宵闇に目が慣れ始める。相も変わらずに、紅い花が揺れている。さわさわと、風に踊らされて。もう朱くない背景で。風の薙ぐ音。月の光が注ぐ音。落ちた葉の擦れる音。乾いた音に混じって、水音が聞こえる。ぴちゃぴちゃと粘液質の、湿った音。それは私の足元から響いている。
ああ、緋が染み出している。薄闇の中でもよく見える緋。私の躰躯を伝って、滴り落ちる。冷たい秋風が吹き付ける中で、こうして暖かくいられるのもこれのお陰。こうみえて、感謝しているのよ。私がここまで積極的になれたのも、こんなに強い想いに気付けたのも貴女が居たから。本当にありがとう。でも、私と貴女は分かち合えない、私と貴女は理解り合えない。悲しいわ。
これが最善手なの。貴方が、妹さんの洗脳から解ければ私は幸せ。仮にそうでなくても貴方は私を忘れない。貴方はきっと、私を恨むでしょう、憎むでしょう。そして、貴方の一番深い記憶に、私はずっと寄り添うの。貴方の輝きに、闇に。
もしかしたら、貴方は私を殺すかも知れないわね。それでも良いの。私は満足だわ。だって、貴方の一番激しい感情に曝されるんですもの。どう扱ってもいいわ。勿論、私は貴方に優しく愛して欲しいけれど、それは高望みが過ぎるものね。ナイフで壊して、鞭で罰して、鎚で潰して、無視をして。言葉で砕いて態度で穿って力で示して傷つけて。
誰にも見せたことのない、獣のような暴力で、私の全てを持ち去って頂戴。何も持たない私だけれど、貴方に全部あげるわ。この汚い身体も、綺麗でいたかった心も、歪んでしまった愛情も。
全部、この時、この場所でしか言えない、私の独り言だけれど、貴方に届いて欲しい。もしかしたら、織姫様と彦星様が聴いて下さっているかも。そうしたら、どうか私の願いを叶えて下さい。
私が死んだなら。
丁度この時期、霊が現世に還る時。この緋を啜って沁みた恋で、私の躯を真っ紅に染めて。地獄から咲いて会いに行かせて。
一輪、この街を――この街に居る貴方を――見降ろすように、見守るように、この丘で。
貴方の心を切り裂いて、彼岸花よりもずっと紅く。
濃紅に裂いた華になって。
(了)