BIRTHDAY NIGHTMARE
あと、三時間。
あと、一時間。
刻々と近づいてくる、その時間。
枕元に置いた目覚まし時計は今、午前三時十二分を指している。あと三十分、って自分に言い聞かせながら、私は布団の端を握りしめていた。
あと少しで、私の生まれた時間が来る。
十五回目の、この時が。
正直、実感なんてまるでなかった。
私の誕生日は、四月の半ば。クラス替えの直後だから周りのみんなは私のことをあまり知らなくて、学校でお祝いされたことなんてほとんどない。お父さんもお母さんも仕事が忙しいから、たまに丸一日忘れられたりした。
だから、私も次第にどうでもよくなっていった。
それでも、忘れたくはなかったんだ。
誕生日を忘れてしまうと、何だか産まれてきた私のことまで忘れてしまうような気がして。
「ふぁあ」
あくびをすると、私はカーテンを掻き上げた。よく晴れた空が、窓を真っ黒に染めてる。
丑三つ時さえも過ぎたこんな時間になっても、向こうの幹線道路からは車の走る甲高い音が聞こえてる。生き物はみんな眠っても、人間はまだ眠らない。私だって、その一人。
窓を開けて、空気を吸い込んでみる。ちょっと冷えた新鮮な酸素が、肺の中をみるみる充たしてく。顔を戻してみれば、しんと静まり返った狭いこの家の中は、少しあったかくて重たい空気で満ち充ちているような気がした。
せっかくの誕生日、こんな家の中でじっとしてたってつまらない。
ちょっと、外に出てみようかな。
思い立ったが吉日、私は音を立てないようにベッドから下りると、みんなを起こさないように静かに玄関に向かった。外は寒いかもしれないから、念のためにパジャマの上からコートを羽織る。四方を真っ暗闇に囲まれて、身体に微かな緊張が走った。
「よし」
呟いた私は、ドアを開いた。
そこは、不思議な世界。
ものすごい数の家が並んでるのに、人の気配はどこにもない。たまに向こうの道を走る車の姿があるだけで、他に動いてるものなんてない。
昼との落差を思うと、気味が悪いとさえ思えた。でもこの時間は確かに十五年前、私を産んだんだ。
あと二十七分。ついでだから、眺めのいい場所まで歩いてみよう。
私が住まうこの町は、少し高い土地の上に造成されている。西の方には崖があって、下の町との間を行き来するのはかなり大変だ。
中央に位置する私鉄線の駅は、かなり前に地下化されてる。ここから西に向かった電車は崖のところで一気に高架線に出て、ずっと遠くへと走っていくんだ。
その崖の手前が、今日の私の目的地。
やっぱり、けっこう寒いや。
肩を震わせながら私は空を見上げた。コート着てきてよかったよ、ほんと。
真っ暗な空は澄んでいたけど、街路灯の眩しい光に遮られて星なんか一つも見えない。代わりに冷めきった色をした月が、私を見下ろしてる。
誰もいないのに、誰かが見てるみたいな気分だな。でも、怖さは感じない。ここにあるのは見知った町の風景、闇の中だってどこになにがあるのかくらいは分かるもの。
安心って、そういうところから来るものなのかな。
「誕生日、かあ」
誰ともなしに、私は呟いた。
理論上は十五回目。だけど私が覚えてるのは、せいぜい七回がいいところかな。
思えば昔はもっと、わくわくしてたような気がする。誕生日が迫ってきたというだけで私の心は弾み、朝が待ち遠しくて布団の中で丸くなってたっけ。
あの頃の私は、いつのまにどこへ行っちゃったんだろう。気がつけば誕生日はすっかり日常生活の中に溶け込んでしまって、カレンダーでもないと識別できないくらい「普通の日」になってしまった。
みんな、そういうものなのかな。それとも、私だけ?
何だろ、この気持ち。
別に後悔なんてしていないはずなのに。
あんなに要らないと思ってたのに。
いざ迎えてみると、心の隅に何かが引っ掛かってしょうがないんだ。
ぶんぶんと私は首を振った。
違う、そんな訳ない。そんな訳ないよ。
その時、ふいに私は気がついた。
背中に、誰かの強い視線を感じることに……。
「美春」
!?
どこかから聞こえてきたその声に、私は立ち止まった。
美春って、私の名前だ。声が聞こえてきたの、後ろからだったよね。しかも何だか今の声、どこかで聞いたことのあるような……。
「どしたの? 私だよ?」
もう一度声がした。ダメだ、やっぱり思い出せない。
一瞬で気温が数度下がったような感覚が走ったかと思うと、周囲の音が消えた。振り返りたくても、身体が上手く動かない。
「私が回り込もうか?」
後ろの声が言った。かと思うと、
目の前に、
私が立った。
もう一度言うよ。私が立った。
ワケわかんないよね。
でもそれは間違いなく、私だ。
二年前、中学に入ったばかりだった頃の、私だったんだ。
「な…………!」
今度こそ私は恐怖を覚えた。これ、都市伝説で有名なドッペルゲンガーってやつじゃないの!? 見たら近いうちに死ぬって言う、あれ!?
だけど恐怖が強まれば強まるほど、身体ががちがちに固まってく。というより、まとわりついた空気が固まっていく。
「ねえ、どうしてそんなに怖い顔するの……?」
十三歳くらいの私が、不機嫌そうな声を上げた。
「別に不審者とかじゃないよ。覚えてるでしょ? 私、二年前のあなただよ?」
いや、納得出来るわけないでしょ!?
こんなの悪夢だ。幻想だ。きっとまだ私、夢を見てるんだ。そうだよそうに決まってる。
目を醒ませ、私!
頭をガツンと殴ろうと、私は拳を振り上げ、
その腕に誰かがしがみついた!
「うわあああああああああ!!」
必死に振り払う。だけどそれは腕をかじってるみたいにしっかりくっついてて、離れない!
それが、言った。
「わー、すごいすごい! 未来の私って、こんなに力持ちになってるんだ!」
いま、なんて言った?
恐る恐る腕を下ろすと、微振動の止まない首を私は斜め下に向けた。それと、ちょうど目があった。
「もー、そんな怖い顔しないでよー。私だよ、私。小学四年生のー」
それ──十歳の私が、そこに佇んで私を満面の笑みで見上げていた。
どうなってるの……?
「ほらほらー、そんなに身体震わせないでさー」
十三歳の私が寄ってきて、二って笑う。
「もっと楽しそうな顔しなよー。今日、誕生日なんでしょ?」
「嬉しくないの?」
十歳の私が割り込んできた。それでも私はぱくぱく口を開閉させるだけで、
「……そ」
あ、声が出た。
「そ、その前に……説明してよ! な、なんでここに、わわ私がいるの? ここ、確かに私の時代だよね!? パラレルワールドとかじゃないよね!?」
怖さで閉じていた口から、言葉が溢れ出す。同時に、ゆっくりと地鳴りのような周囲の音が、私の耳に戻ってきた。
「なんでって言われてもなあ」
「ねー」
二人は顔を見合わせる。って、ほかに誰が知ってんのよ……。
「私たちも、ついさっき思い付いたばっかりなんだよねー。なんか、十五歳の私が一人で寂しそうにしてるような気がしたから」
「私たちが行ったら賑やかになるかなー、って!」
あり得ない。てか、考えられない。でも二人の笑顔を見てると、信じてもいいような気がしてくる。というか信じなきゃいけないような気がしてくる。
「……ほんとに、私なの?」
「うん。あ、証拠出そうか?」
嫌な予感がしたけど、私は頷いた。すると十三歳の私は得意満面の顔で、
「つい三ヶ月前、祖師ヶ谷くんに告白してフラれました!」
……あ、それ間違いなく私だ。うん、間違いなく。
「私も私も! おととい、図工で釘を間違って手に打ち付けちゃいました!」
「あ、あとこのあいだ駅前で用賀先生に似た知らない人に声かけちゃって──」
「もういい! もういいです!」
よく分かりました。分かったから私の古傷をこれ以上抉らないでください……。
「よかったあ、分かってもらえて」
二人はまた、笑いあう。
まだいまいち分からないけど、納得するしかないよね。確かにここは今の私の時代で、二人は出張してきてるんだって。すごく腑に落ちないけど。
身体中に、温かな何かが流れ込んできたような感じがする。私は足を上げてみた。さっきまで一ミリも動かなかった足は、ちゃんと前を向いてくれた。
空の彼方の月光が、少し優しくなったような気がした。
「それにしても、こんな夜中にどこに出掛けるつもりなの?」
十三歳の私が、横に並びながら尋ねてきた。その手が、私の腕を握ってくる。別に冷たくなんかなくて、普通だった。
「ちょっと、ね。あの眺めのいい場所まで」
「あー、電車のトンネルのすぐ上の所かー! すごいよね、あれ」
「早く行こうよー!」
もう片方を十歳の私に掴まれて、私は完全に拘束された。
「ちょ、ちょっと──」
引っ張られるまま、私たちは夜の町を駆け出した。
風が時々、びゅうっと強く吹き抜けていく。コートの隙間からそれは容赦なく吹き込んできて、すごく冷たい。でも二人がいるから、何だか寒くなかった。
「……なんか、つまらなさそうだね」
黙っていたら、十三歳の私にそう訊かれた。
「あと二十分くらいで誕生の瞬間が来るっていうのに」
しょうがないよ、それは。実際楽しみでも何でもないんだもん。
「私くらいの歳になるとね、もう誰も誕生日なんか構わないんだ。だから自然と、私もいいかなーって思ってさ」
そう、答えてあげた。私の腕を握る手に込められた力が、一瞬だけ弛んだような気がした。
「誕生日そのものだって嬉しくないの?」
「うん。別に、ああ今年も来たんだなあって思うくらい」
「そうなんだ……」
十三歳も十歳も、俯いてしまった。あ、しまった。ちょっと落胆させ過ぎちゃったかな……。
「ま、まあ私だって十歳とか十三歳の時はもっと楽しみにしてたと思うし、やっぱりそれがオトナになるってこと……なんじゃない?だから、そんなに気を落とさないでよ」
慰めの言葉を垂れる自分が、ふと可笑しくなった。なに、この状況。私が私を慰めてるなんて、なんか絶対におかしいよ。
やっぱりこれは、夢なのかな。
未来と過去の私が邂逅するなんて、科学的にも宗教的にもあるはずない。だったら、ここは一体どこなの? 私の時代のフリをした、パラレルワールド? それとも……?
もしも、
もしもだよ。
ここがかつて私のいたあの世界とは違う幻想なのなら、もうずっとこのままなのだとしたら、私は故郷を懐かしいって思うのかな。
思わない気がするな。
毎日を宿題とか勉強に追われて、お父さんにもお母さんにもしょっちゅう怒られて、部活の陸上は大した成績上がんないし、彼氏もいなけりゃよく遊ぶ友達もいなくて。
もしも幻想の世界なら、暗い気持ちになることもなくて、嫌なこともなくなるのかな…………。
その時だった。
項垂れていた二人が、ぱっと顔を上げたんだ。
気持ち悪いくらいタイミングぴったりで。
警戒心丸出しで、私は尋ねる。「…………何?」
「いま、二人で相談して決めたんだけどね」
いや声出してなかったでしょ──なんて逐一突っ込むのも、もう面倒臭い。
何も言わずにいると、十歳の私が私を振り返った。何、そのどや顔。
「もし私が私の誕生日を楽しみじゃなくてつまらないと思ってるなら、私たちが私を楽しませてあげればいいじゃないって思ったんだ! よかったね私、私たちが私の誕生日を最初にお祝いしてあげるよ!」
「……あのさ、そんなに私わたし言われてもどれが誰だか分かんないから──」
「つまーり!」
あ、強引に遮りやがった。
「リアルがつまらない、夢の中に逃げ出したいだなんて不謹慎なことを考えてる私に、リアルの素晴らしさを嫌と言うほど分からせてやるのです!」
え。
なんでそれ、分かったの。
二人は笑った。
「実は私たちは、私の記憶の中にいる過去の“私”。いつでも私の記憶とリンクしてるし、私が何を考えているのかだってリアルタイムで覗けるんだよ」
!?
「へへー残念だったね、黙ってる間も考えてることは全部バレバレだったんだから」
「ずるい!」
顔を真っ赤にしながら私は叫んだ。叫んだけど……言われてみればそれ当たり前、だよね。
待てよ、じゃあここは一体どこってことに……?
「ずるくないもん、だって私は私だもん」
頬をぷうっと膨らませる十歳。の後ろから、突然ギラリと強い光が迫ってきた。車だ!
「危ない!」
跳び跳ねるみたいに私は壁際に寄った。二人はそのまま、動こうともしない!
「あ────────」
見るまに、車は何事もなく通過していった。
見事に何事もなかった。二人はまだ、さっきと同じ場所に立ちながら笑ってる。
ああ、そういうことか。二人は私の脳の中で勝手に再生してる立体映像みたいなものなんだ。だからここは夢の中じゃないし、車も二人を撥ねられないのか。
「着いたよ」
十三歳に言われて顔を上げたら、そこは目指していたあの場所だった。
西に思いきり大きな視界が広がる、この町でも随一のビュースポットだ。まだ東に太陽の影も見られない眠りの時間、少し灰色の空にはいくつか疎らに星が輝いてるだけだけど。
「ここに来て、どうするつもりだったの?」
十三歳が脇に立って、語りかけてきた。別に、って一言返すと私は欄干にもたれ掛かる。
「来た意味なんて、ないよ。ただ何となく、外に出たかっただけ。あんたたちの頃だって、私は外の方が好きだったでしょ?」
「じゃあ、目当てがあった訳じゃないんだね」
十歳の言葉に頷くと、風がそっと脇を掠めていった。
夜の涼しさは大好きだ。雑じり気のない、澄んだ冷たさがある。もっとも、寒すぎたら楽しむ余裕なんてないけどね。
ここに来ると、なんだか優しい気持ちになれるんだ。
キラリ。
それは、ふと空に目をやった瞬間だった。
孤島のように浮かぶ星たちが、瞬いたように見えたんだ。
「あれ…………」
言う間に星たちの光の強さはどんどん増して、天を埋めていく。
さっきまで見えなかったはずの星まで、見えるようになってきた。
どういうこと?
鮮やかな光を放つ光たちに照らされて、黄色に輝き始める街並み。
ぼんやりとそれを眺める私の耳元で、あの二人が囁いた。
「誕生の瞬間まで、もうあと十五分!」
「それまでの間、私たちが見せてあげるよ。世界で一つだけ、あなたのためだけに作られた、光の劇を」
え……?
光の、劇……?
ぽんっ!
なんて擬音が聞こえてきそうな塩梅に、一つの星が弾けて消えた。
続けざまに、あっちこっちの星が残滓を夜空に放ちながら消えていく。全ての星が消えた時、あとには灰色の煌めきを湛えた雲がゆったりと漂っていた。
かと思うと、それはたちまちすごいスピードで渦を巻き始めて、あっという間に光輝く円盤へと姿を変える。
「……何なの……これ……?」
慌てて横を向くと、十三歳も十歳もすっかり光のショーに見入ってる──ってあんたたちが見蕩れてどうすんのよ!
「──カンタンだよ」
私の意思が伝わったのか、十三歳が口を開いた。
「私の視界に入る全ての風景を天球状の空間に見立てて中心たるここからプラネタリウムみたく三次元立体に加工した過去の記憶の中の映像を投影してるの」
……どこがどうカンタンなのか分からないんだけど、とにかく人間業じゃないことは分かった。
だって、こんなにキレイでこんなに精巧な立体映像、見たことない……。
渦を形成した光の雲の中心がパッと閃いたかと思うと、何かが雲を跡形もなく吹き飛ばした。
そこには、一際強い強い光を照射する光球。
あっちこっちで似たような光が生まれ、辺りはまた次第に明るくなっていく。
この光は、何を意味しているんだろう。そう思った瞬間、光の球は一斉に炎に包まれた。
オレンジ色の輝きで辺りを照らし出しながら、炎たちは力強く燃える。
「あれが、星の誕生の瞬間なんだよ」
脇の十三歳が、小さな声で付け加えてくれた。
「星に限らないの。それが生物だってそうじゃなくたって、生まれはみんな光の中にあるの」
黙って聞きながら、私は炎を眺めていた。いつの間にか欄干に突いた手がぴんと延びて、身を乗り出していた。
炎の球は今や視界を多い尽くすほどに増えて、眼下を埋める街並みの遥か彼方まで広がっている。時間が時間だけに真っ暗闇だった私の町は今や、炎に照らされてオレンジに染まっていた。
その時、十三歳の言葉の意味が少し分かったような気がした。この光たちは星であるのと同時に、私達の象徴なんだ。
びゅうっ!
ふいに強い風が吹いてきた。煌々と燃え盛る炎に、一瞬の揺らぎが生まれる。
「あ……!」
鋭い声が漏れた。すぐそこで燃えていた火の塊が風に薙がれて、吹き飛んでしまったんだ。
「人生、色んなことがあるからねー。時々、ああなっちゃう炎だっているんだよ」
背後でそう呟く十歳の声は、何だか静かで気味が悪かった。
じゃあ、いま炎が消えたのは、死んじゃったってことなのかな……。
ぞっとした。端から見れば、あんなにあっさりしているなんて。
「消えるのを怖がることなんか、ないんだよ」
そっと、十歳の手が私の左手を掴む。
「それまで、一生懸命輝けばいいんだから。いつ消えたって後悔しない、そんな日々を過ごせばいいんだから」
右手を十三歳に掴まれて、私たちは横に並んだ。不安になって盗み見たその横顔は、穏やかだった。
「見てみて。色んな星がいるでしょ。おっきいけど光が弱いのとか、ちっちゃいけどすっごくスピード速いのとか。それぞれ生い立ちも何もかも違うけど、みんな違って、みんな綺麗でしょ?」
十歳が言ったとたん、目の前をすごい勢いで炎が通過した。
勢い余って、他の炎にぶつかってる。
「…………ねえ。あれが、出会い……?」
「そう」
破片を散らしながら寄り添う二つの炎を見つめながら、十三歳が答える。
「ああやって、ちょっとずつぶつかって形を整えながら、適度な距離を測りながら、星は成長してくんだよ」
不思議。
いま目の前で起こってることは、現実の宇宙で起きてることと同じなんだ。
私たち地球生物が生まれる前から、そんなのよりずーっと前から、この“法則”が変わっていないんだとしたら、いのちってなんて上手く出来てるんだろう……。
揺れる炎たちの間を、優しげなベルの音が飛び交った。
途端、炎たちは一斉に勢いを強くし、ますます盛んに燃え始めた。
「どうして、誕生日を祝うのか分かる?」
もう、どっちが言ったのかも分かんない。そのくらい私は、光の劇に夢中だったんだ。
「ううん、分かんない」
「節目だからだよ」
さらっと当たり前のことが返ってきた。何よ、それなら私にだって分かったのに。
「一年っていう分かりやすい区切りがあるから、私は時を感じられるの。この一年、成長出来たのかなーって自分を省みて、反省して、次の一年にバトンタッチするのが、誕生日なんだよ」
「……そんな細かいこと考えて誕生日を迎える人なんて──」
「みんな、そうだよ。心の中では誰もがみんな、言葉には出さずに静かに考えてるの」
時間を追う毎に明るさを増してゆく、光たちに囲まれて。順繰りに色を変えながら光り続ける火球を眺めながらそう言ったのは、間違いなく十歳だった。
十歳の頃の私でさえ、そう考えていた──そういうことなのかな。
また一つ、眼前の星と星が火の粉を散らして出会いを遂げたトコロだった。
一点を軸にして、メリーゴーランドみたいにぐるぐる回ってる炎たち。
カラフルに色を変え、虹色のウェーブを闇夜に浮かび上がらせる炎たち。
みんな、ほんとに自由だ。縦横無尽に走り回りながら、遊ぶ子供たちみたいに楽しそうに跳ねたり飛んだりしてる。生き生きとしてる。
人間も、似たようなものなのかもしれないよね。毎日毎日、たくさんの人が色んな場所に集まって、色んなことをしてるんだもん。
……もし私が、あの炎の一員だったら。
どんな動き方をしてるんだろう。
今のネガティブな私は、じっとして動かないあの星みたいな感じなのかな。活発に動く気がなくて、ただ黙って見てるだけの。
そんなのイヤだな。イヤだけど、それが現実なのかもしれない。
「ほらほら、すぐそうやってネガティブになるー」
「そーいうの良くないよ?」
あんたたちのせいだからね。そう思ったけど、横で私を見上げる二人の笑みを前にセリフが吹き飛んだ。
「大丈夫! そういうときのためのこの“光の劇”なんだから!」
そういうときの……? 私がネガティブになるの、予想済み……?
「見ててれば分かるよ。これだけたくさんの星が溢れる現代で、誰とも接触しないで時を過ごすことなんて出来っこないんだから」
十三歳に言われた途端、さっきまで見ていたあの「動かない星」はビリヤードみたいに他の星に突かれ、飛んでいった。
「どれだけ望んでいても衝突は避けられないし、散らした火の粉は消えないの。永遠に主の側を回り続けて、その星が生きる上での大事な糧になるんだよ」
そうなんだ……。
「……でも、確かに納得かも」
そう言うと、私は深呼吸した。炎たちに温められたおかげか、さっきより喉の奥が温かくなる。
「友達も彼氏もいないなんて嘆きたくなったら、星空を見上げてみようよ。この満天の世界では絶えず、星と星の衝突が起こってる。私だって、いつ誰とぶつかるのか分からない。ただ間違いないのは、ぶつかるチャンスだけは間違いなくあるんだってこと。望むその人ともいつかきっと巡り会えるんだって、言い聞かせるの」
そうかも、しれないな……。
なにもそんなに急く必要はないのかもしれない。来るときは来るし、来ないときは来ないのなら、じたばたしたって馬鹿馬鹿しいだけなんだ。
だとしたら、十三歳の春にふられたのも必然だったのかな。それとも私が、ぶつかりそこねただけだったのかな。
最初からそうと分かってたら、避けて通ったのに。ううん、分かるわけないか。
「そうやって、色々考えるのが大切なんだよ」
手をぎゅって握って、十三歳はにっこり笑った。
「今とさっきと、何が違うの?」
そう聞いても、答えてはくれない。代わりに、もう一言。
「一年後、十六歳になるのが私は怖い?
また誕生日が来るのが、嫌?」
ううん。
そんなこと、ない。
多分。
「なら、良かった」
そう言うと二人は、私から手を離した。
「あ…………」
力を失った手が、空を虚しく掴んだ直後。空を埋め尽くしていたいのちの炎たちが、火の粉を纏いながら一点へと集まり始めたんだ。
「私の生まれた瞬間まで、あと一分だよ」
十歳の声がした。何だか嫌な予感がして、私は二人を振り返る。
あれ、いない……!?
「大丈夫だよ。私たちは、いつだってここにいるから」
今度は、十三歳の声がする。どこから話しているの……?
私が慌てる間にも炎たちの塊はどんどん大きくなる。今やその大きさは大きなビル一棟分くらいになってしまった。
星がたくさん集まって出来た光。あれは、社会を表しているのかな。
そう思った矢先だった。
巨大な火球が目映い閃光を放ったかと思うと、弾け飛んでしまった!
「きゃあっ!」
炎の欠片がすごい速度で飛んできて、私は思わずしゃがんでしまう。
なに!? なになに!? どうして爆発したの!?
動転した心臓がバクバク叫ぶ音に、
あの二人の囁きが重なった。
「新しい星の、誕生だよ」
二人の言った通りだ。
炎の渦が消え去ったあとには、一つの光の球が残ってる。まだ小さくて光も弱いけど、確かな光を放ってる。飛び散った炎はまたさっきのように、何事もなかったみたいにぺかぺか燃え続けてる。
瞬く間に炎が球を多い尽くして、それは周りと何も変わらない星になっていく。あ、さっそくいくつもの炎が火の粉を撒き散らしながらぶつかっていった。
星たちがあの光の誕生に集った理由が、その時、少しだけ分かった気がした。
みんな、喜んでるんだ。全身で喜びを表現したのが、あの大爆発だったんだ。
あの星、よかったなぁ。
「……お誕生日、おめでとう」
そう呟いた時。
生まれたばかりのあの炎が、ぱっと輝いたんだ。
強い、強い輝きだった。あっという間に周りの星たちの光も飲み込んで、町を明々と照らし出してゆく。呼応するようにそれはゆっくりと上昇を始めた。
日の出みたいな、神秘的な光景だった。
「あれが、私なんだって想像してみて」
優しいハーモニーが、私の背中を撫でる。
「誰だって、同じなの。今の私がどんな日々を送っていたって、十五年前のこの瞬間、どこかの誰かはきっと誕生を喜んでる」
「あの日、私は間違いなく愛されてたんだよ。そんな日をぞんざいに扱うなんて、可哀想だよ」
十三歳と十歳の声に合わせて、炎はゆっくりと私の方に降りてきた。
少しずつ光は弱まって、手でも触れそう。そう思ってる間にも炎の球はどんどん 舞い降りてきて、私の胸の前でぴたっと静止した。
宜しくね。
そう言ってるような気がする。
私はそっと、炎に手を伸ばした。
開いた両手に炎は綺麗に収まって、身体中が温かくなる。
なぜかは分からないけど、何をすればいいのか私は知っていた。そっと丁寧に、炎を胸に押し当てる。すうっと吸い込まれるみたいに、炎は私の胸の中へ消えてった。
私が、
戻ってきた。
「お誕生日、おめでとう!」
最後に聞こえたのは、二人のそんなセリフ。
最後に見たのは、静けさを取り戻した町の上で穏やかに輝き続ける、七色の星たち。
はっと気がついたら、私は冷たい欄干に寝そべって眠りこけていた。生まれた瞬間はとっくに過ぎて、西の空はもう白み始めてる。
夢……、だったのかな。
立ち上がって膝を払いながら、私は空を見上げた。
うん、きっと夢。すごーく、怖い夢。“命の灯”が風を前に消えてしまうのを、この目で何度も見た。あれは悪夢だったんだ。
「…………誕生日、かあ」
やっぱり、今日は普通の日なんだろうなって思う。
誕生日という名前の皮を被った、何気ない日常が待ち受けてるんだと思う。
それでいい。急にみんなが私の誕生日を祝い始めるなんて気持ち悪い。いままで通り、私だけが然り気無く意識してる。その方がいい。
夜の空気ですっかり冷えた身体を、私はそっと擦った。
心の奥だけは、じんわりと温かいままだった。
今日これからの一年間に、
精一杯、力強く羽搏いていけますように。
ううん、ようにじゃない。
出来るんだ。
無限に広がる朝焼けの空を前に、私は確かに誓う。
大丈夫。この炎が胸の中で燃え続ける限り、チャンスは何度だって訪れるんだから。ゆっくり気ままに、私の望む方向へ生きていこう。
だよね。十三歳の私、十歳の私。
「っていけない! もう五時じゃん!」
お母さんたちが目を覚ます前に、家に帰らなきゃ。
冷えた欄干から手を離して、私は駆け出した。
これから始まる、いつも通りの誕生日。
今日はいったい、どんないのちが芽吹くんだろう。
いかがでしたか?
作者の誕生日を記念して書き始めた作品だったのに、気づけば誕生日をはるかに過ぎてしまいましたorz
元ネタは川田まみ「BIRTH」、舞台は東京都世田谷区です。
作中の「眺めのいいところ」は、成城学園前駅前に実在する場所だったりします。探してみても面白いかも?
みなさんは、誕生日をいかがお過ごしでしょうか。
作者はもうほとんど祝う気がなくなっています。ですが、やはり大切な日であることに変わりはありません。また一年、頑張ろう。この作品の主人公のように、そう心機一転する日だと思っています。
寂しくなったら、過去の自分に問いかけてみてください。
happy birthday to you...
2014.5.7 蒼旗悠