最終話:広島
その後一月あまりで、昭和天皇のチームもクランクアップを迎え、監督の元で編集を重ねられた映画は、無事試写会を終えた。二部作の一方、ホワイトハウスを描いた作品はすでに公開されており、そこそこの興行成績を残していた。そして「灰色の涙」は、第一部を越える成績を期待されていた。
十二月初旬、まずは世界に先駆け日本で公開、次いで年内にアメリカで公開。それと同時に、賞候補としてその名がささやかれ始める。作品賞もしくは外国語映画賞、主演男優賞、美術賞その他。
その中に、助演男優賞として、叶人の名もあった。日本国内のマスコミも、裕仁役の俳優に次ぐ扱いで、叶人を取り上げた。結局それは、前哨戦と呼ばれる映画賞で受賞を逃し、本番ではノミネートすら逃したことで急速に醒めていったが、演劇の世界における叶人の評価を高めるには、十分すぎるほどだった。
映画自体も結局、撮影賞ひとつを受けるにとどまったが、興行成績はしばらく国内ランキングを独走した。叶人の元にも、映画、舞台、テレビを問わずオファーが舞い込み、マネジメント契約を延長した新劇座を拠点に、あわただしい日々を送り――
福岡から大阪への移動日にぽっかりと明いた空白。叶人はふと気が向いて、広島駅のホームに下りた。アッセでお好み焼を食べ、すぐに発車しそうな路面電車に、行き先も確認せずに飛び乗る。――ああ、広島港行きか。映画の舞台になった原爆ドーム方面にはこの電車は行かない。まあいいさ。このまま乗っていけば、生まれ育った家の近くまで連れて行ってくれる。しかし、叶人は途中、比治山下の電停で電車を降りた。
結構変わったな。確かこの辺りに友人の家があって――
あわただしさに疲れた心を癒すように、比治山公園に足を向け、そのまま山の反対側へと下りる。おお、そういや、こんなんが出来たゆうて言うとったな。山のふもとにそびえる、複合型のショッピングセンターによってみる。ふーん、シネコンも入っとるんか。
そこではまだ、「灰色の涙」の上映を続けていた。ふと気まぐれにチケットを買い、ドアをくぐる。公開から日もたった平日の昼間らしく、決して大きくない客席には、数えるほどの人影しかない。叶人は真ん中あたりに腰を掛け、久しぶりに見る画面に目をやった。
映画は序盤の終わりかけ、レイテ沖のシーンだった。米艦に向けて、日本機が特攻していく。それらが炎に包まれるごとに、少し離れた席に座る若い男が、すげぇとかかっけぇとか歓声を上げる。確かに迫力がある場面だから、叶人にもその気持ちは分からなくはないが。
シーンは変わって、戦況の報告を受けた昭和天皇の、苦悩に満ちた顔。最前列に座る中年女性二人組が、いやー、と小さく声を上げる。裕仁役を務めた俳優のファンなのだろう。彼がいないシーンではポップコーンをむさぼりながら、頭を寄せ合って嬉しそうに何事か話している。
これが今の日本か……
叶人は、ふと醒めた。戦争も、人の死も、苦悩も、平和な生活に慣れた人々にとっては、しょせん娯楽に過ぎない。自分にそれを非難することは出来ない。なぜなら、それらを映画というエンターテイメントに作りかえってしまったのは、他でもない、叶人たちなのだから。
(わしが柱ん下から這い出たときにゃあ、はあ火がねきにきょうた。助けてくれゆうて、いろんなもんの声がしょうたが、わしゃあ、逃げるしかなかった。あん中にゃあ、母ちゃんや、姉ちゃんの声もまじっとったはずじゃのに)
(周りのもんが、ばたばた死んでいくんが怖あて、さんざん、人が死ぬるんや人を焼くんを見てきたはずじゃのに、いつわしもああなるんか思うたら夜も寝れんで。いっそのこと、あの日に母ちゃんらと一緒に死んじょったら、こがあにつらい思いをせんでもよかったゆうて、なんべんも考えた)
(被爆者じゃいうたら、毒がうつるゆうてろくな仕事にもつけんけ、ほんまに、なんで生きようるんかわからんかったが、そがあなときに母さんと会うてな。ピカにおうてから初めてよ、生きとってよかった思うたんは)
父親の手紙を読んだときに感じた思いは、結局、自分の演技には込められないままだったのだろうか。それ以上映画を見続ける気になれず席を立とうとしたとき、ずっという、鼻をすする音が聞こえた。今スクリーンに映るのは広島の町並みを二人が歩く、なんでもない場面。それなのに涙を流しているのは、斜め前に座っている、ハンチング帽をかぶったままの老人だった。戦前の広島を覚えている人なのだろうか。特に広島のシーンになると食い入るようにスクリーンを見つめ、時折涙をぬぐっている。その左腕の甲に、暗い明かりの下でも浮かび上がる蚯蚓腫れのような痕が……
ありゃあ、ケロイドじゃ――おやじ?
間違いなかった。叶人が役者になるというのを、河原乞食と嫌い、ののしり、決して認めようとしなかった父親が、叶人の出ている映画を観て泣いていた。
(わしは、子を作るんが怖かった。そりゃあ、自分が死ぬかもしれんいうんとは、比べもんにならんほどよ。ピカ受けたもんの子は、ちんばが生まれるいうてみんなが言ようたけえ。ほいじゃけど、母さんはそれでも子が欲しいゆうて)
(わしも母さんも被爆者じゃけえ、いつまで生きとれるかわからん。そんなんで、一人で生きられん子を産むんは哀れじゃろう言うた)
(わしも、母さんも、身よりはみなピカで死んだ。戦争中でしたいこともなんもかんも辛抱して、そのあげく、なんもでけんうちに焼け死んだみなの思いを継ぐ子が欲しい、母さんはそう言うた)
(ワレの名前はの、叶えられんかった皆の夢を叶えてくれゆう、そういう意味なんよ)
「おやじ……」
映画が終わった。館内に明かりがともる。叶人は涙をぬぐっている父親に気づかれないように席を立ち、外へ出た。
安心せい、おやじ。俺はまだ夢の途中やけど。役者としちゃあ、まだまだ中途半端かも知れんけど――
エスカレーターでショッピングセンターを上から下へ通りながら、いろんな人が買い物を楽しんでいる店内を見回す。いつも見慣れた、平和な光景。
忘れんけぇ。俺がこうして夢に現を抜かせるんは、おやじの、母さんの、この平和を命をかけて残してくれた皆のおかげじゃいうんは。
エントランスを抜けて、店を出る。両手を伸ばし、大きく背伸びをする。生まれた場所に帰ってきた、叶人は広島に降り立って初めて、そう実感していた。
酒でも買うて、今日は久しぶりに家で寝るか。
玄関前で待っている自分に気づいたときの父親の顔を想像して笑う。
空はいつもと変わらず、高く澄み渡っていた。
(fin)
この作品に次のような台詞があります。
「原爆を投下したことで、戦争を早く終わらせることが出来た。もし、その出来事がなければ、さらに百万を越える貴重な命が失われる結果となっていただろう〜」
ちょうど連載中に、元防衛相、アメリカの高官と相次いでこれと似たような発言をして、物議をかもしています。
非常にもっともらしく聞こえるこの言葉は、しかし原爆を開発し、容認しようとする人々が恣意的に流した言葉であるという側面をもっています。
私はその後の台詞を叶人に言わせるために、この言葉をわざと使いました。書いている最中には、まさかこんな言葉を一国の要職にあるような人が口にするとは思いもせずに。
原爆が投下された理由。それはこんなきれいごとであらわせるようなことではありません。
本当は参考資料を載せようかとも思ったのですが、適当なものが見当たらなくて……
ぜひ皆さんの手で、原爆が投下された理由についていろいろ検索してみていただければなぁと思います。
前書きでも書きましたように、この作品は「みちのく芸能まつり 花火大会」のために書き下ろしたものです。
作中、原爆のことを「ピカ」と表記していますが、私が子供のころは「ピカドン」といっていました。たぶん、「はだしのゲン」に出ていたのだと思いますけど。
まずぴかっと閃光が走り、そのあとどんっと衝撃波がくる。だから、ピカドン。
思えば、花火だってそうです。
まずぴかっと色鮮やかな光が広がり、そしてどんっと腹を揺さぶる音が聞こえる。
同じ「ピカドン」であるならば、世界中の空に輝くのが核の炎ではなく、美しい花火であって欲しい。そう心の底から願います。
最後に……
こんなあとがきまで付き合っていただけた方に、平和への祈りを心に秘めている方に、そしてその身を犠牲にして私たちに平和を残してくれたすべての方々に、百万遍の感謝を。
ありがとうございました。