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灰色の涙  作者: 弥招 栄
4/6

四話:クランクイン

 

 

 撮影が始まった。ロケはアメリカで行われた。ハリウッド! ストーリーのメインは昭和天皇のチームだから、叶人たち、広島のチームのスケジュールはかなり余裕があった。

 何だよ、ハリウッドといっても大したことねえじゃねえか。広島の町並みを再現した巨大なセットにびびりながら、妻である紗枝役と義父である元治役、二人の共演者たちと笑いあう。

――大したことない。大したことない。って、アメリカと戦争してたときの日本って、こんな気持ちだったんじゃない?

――いやあ、違うと思うぞ。

 〈妻〉の軽口に、〈義父〉が突っ込む。

――ねえ、かあくんはどこに住んでたの?

 周りを見回しながら、〈妻〉が聞く。叶人が抜擢された理由が、それだけではないにしろ、広島出身の被爆二世だからだという噂は、共演者、スタッフ、みんな知っていた。叶人自身も、それを否定しなかった。幾度かのミーティングのあと、叶人はビルに尋ねてみたのだ。彼はにやりと、スクリーンの向こうで何度も見せた笑みを浮かべ、答えてはくれなかった。

――何を言ってるんだよ。この街はこのあと焼けちまうんだぜ?

――そうだった。

 お気楽に笑う〈妻〉。

――若い子は違うな。下調べも何もなしかい?

 〈義父〉の小言。日本の映画界では、渋めのバイプレイヤーとして名前を知られている彼の言葉に、〈妻〉はあわてて首を振る。

――だって私の役は、かあくんの心配しながら子供を一生懸命育ててる、普通の女なんですよ? いつの時代だって、その気持ちに違いは無いですよ。

 ね? かあくん。そう言ってくるりと振り返って覗き込んでくる〈妻〉の笑顔に、叶人はどきりとする。十代半ばでアイドルデビューし、鳴かず飛ばずのまま女優に転身した彼女は、しかし映画の世界で徐々に認められ、もうすでに映画の主演も経験している。

 自分と比べてキャリアも実績も上回る二人に囲まれても、叶人は物怖じすることは無かった。己の演技に自信があるから、なんて理由ではない。これまで映画ではエキストラに毛が生えた程度の役しかもらったことは無かった。十年かかって積み上げてきた自信は、荒田に突き崩された。ただ、ここはハリウッドで、非日常に満ち溢れた街で、二人は愛する妻で、敬愛する義父で。

 叶人は、夢とうつつのはざ間でまどろみながら、夢という名の現実に目覚めるときを待っていた。





(アクション)


「さっちゃん……」

「匡史さん! おかえりなさい」

 ライトを落とされたスタジオの中、再現された紙屋町にあるパン屋の前を掃いていた〈紗枝〉が、〈匡史〉の声に振り向いた。光量の低いスポットに照らされた、化粧っ気のない顔の中で、大きな瞳がきらめいて、そして笑っている。

「おやっさん、おってか?」

「うん、おるよ。奥で寝ようる。呼ぶ?」

「いや、ええ」

 首を傾げるその仕草にはにかみながら、〈匡史〉は頭を振った。

「ちょっと話があるけぇ。上がらしてもろうてもええか?」

 そういうと、〈紗枝〉がうなずくのを待たずに、右足を引きずりながら店の間口をくぐる。カメラが回り込んで、〈紗枝〉の身体をなめながら、暗い店の奥を映しこむ。ぎこちなく振り返る〈匡史〉をズームアップ。

「さっちゃんも……すまん、一緒に来てくれ」

 カメラはそのまま〈紗枝〉にパン。不審げな様子の彼女がうんとうなずき、ほうきを片付けるところをそのまま追う。


(カット)


 別のセット。部屋の奥から、みつあみにまとめた髪を解きながら、上がり框から上がる〈紗枝〉。

「お父ちゃん。匡史さんがきんさった。話があるんじゃて」

 その後ろで、〈匡史〉は上目遣いで軽く頭を下げた。


(カット)


「おお、匡史か。なんな」

 薄い布団に包まって横になっていた〈元治〉が、大儀そうに身体を起こした。今度は店の表側、低い位置からカメラが狙う。肩に布団をかけたまま、胡坐をかく〈元治〉。枕元に横座りに座ったもんぺ姿の〈紗枝〉は、みつあみにしていたせいで波打つ髪に手櫛を通している。灯火管制のために黒いかさをつけた白熱球が光の円を描くその端に、〈匡史〉は右足を伸ばしたまま座り込む。

「おやっさん。具合が?」

「なんのこたぁ、なあ。ここんとこ、粉が悪うて、膨らすんに、時間がかかっての」

 そう言いながらも、〈元治〉の顔に疲労の色は濃い。

「すんません。わし、せっかく仕込んでもろうたのに、手伝いも出来んで……」

「なにようんなら。わりゃ、お国のために、働きょうるんじゃろうが」

 伸ばした〈元治〉の左手に、〈紗枝〉が煙草盆を寄せる。配給の【金鵄】に火をつけ、旨そうに目を細めて、煙を吐き出す〈元治〉。

「で、話ゆうて、なんなぁ」

「ああ――」

 〈匡史〉は少しだけ口ごもると、曲がらない右足が許す限り居住まいを正す。


(カット)


 手前中央左に〈紗枝〉の後姿を置いて、擦り切れた畳に両手をつく〈匡史〉。

「おやっさん。わしにさっちゃん……」

 いったん言葉を切り、肩で息を吸う。

「紗枝さんをください」

 髪を梳いていた〈紗枝〉の指が止まった。彼女の顔の角度が変わる。しかし、〈匡史〉の視線は、〈元治〉にだけ据えられていた。ゆっくりと吐き出される煙と、とん、と〈紗枝〉の陰で落とされる灰。骨ばった手が、胡麻塩頭を撫でる。

「わし、こんな身体じゃけぇ、お国を守るためには戦えん。この足が曲がりゃあゆうて、あん事故がなけりゃあゆうて、ずっと思うちょった。お国のために戦こうて、死んで帰ってくるもんに申し訳のうて……。そがなわしが、嫁をもろうてええもんかわからん。みな、遠いとこで戦こうとるのに。ほいじゃけど、わしは、国を守っては戦えんけど、せめて、紗枝さん……さっちゃんだけは守りたい。それで、わしは初めて戦える。そんな気がするんじゃ」

 深く頭を下げる〈匡史〉。カメラはゆっくりと回り込んで、まだ長い煙草の火を灰皿に押し付ける〈元治〉にフォーカスを合わせる。新しい煙草を取り出して口にくわえ、そして火をつけないまま、煙草入れに戻す。軽くたんを切るようにのどを鳴らし、目を上げる。

「紗枝……」


(カット)


 〈元治〉から〈紗枝〉にカメラはフォーカスを移す。名前を呼ばれた彼女は一度父親を見るとちらりと〈匡史〉のほうに目をやり、そして恥らうように顔を伏せた。


(カット)



 撮影は進んでゆく。

 一九四四年十月二十五日、レイテ沖海戦。神風特攻隊による攻撃が初めて行われた日。〈匡史〉と〈紗枝〉の結婚式が、質素ながらもしめやかに執り行われる。配給されたわずかな酒に顔を染めた〈元治〉の謡う調子はずれの高砂(たかさご)が、雨模様の空に吸い込まれた。

 一九四五年三月。すでに両親が他界している〈匡史〉は、以前住んでいた家を引き払い、〈元治〉の家で暮らしている。少しずつ目立つようになってきた〈紗枝〉の腹に耳を押し付けるのが、工場から帰ってきた〈匡史〉の日課になっていた。まだ動かんよ、そう言って笑う〈紗枝〉。同月十日、東京大空襲。同じく二十六日、硫黄島陥落。

 同年六月二十五日深夜。働きづめだったせいか微熱を出し寝込んでいた〈紗枝〉が、産み月に満たぬまま、突然産気づく。騒ぎを聞きつけ集まった婦人会の女性たちがお産の準備をする中、なすすべもなく立ち尽くす〈匡史〉。満月の光が照らす中、〈元治〉の吸うタバコの煙がゆらりと揺れる。そして月が西の空へと傾き、空が白々と明けるころ、新たな命の誕生のあかしが、確かな力強さを持って響き渡った。喜び勇んでいざりよる〈匡史〉。汗ばんだ額にほつれた前髪を張り付かせた〈紗枝〉はまだ少し熱に浮かされたような顔に、しかし誇らしげな表情を浮かべていた。その横に、文字通り真っ赤な顔で泣き続けている、早産のため少し小さな赤ん坊。二十六日払暁、長子誕生。一睡もせず、疲れているはずの〈匡史〉も、心の中に確かな満足感を満たしたまま、職場に向かう。その手には、初めて抱いたわが子の重みが、ずっと残っていた。その日、沖縄陥落。

 同年七月二十六日。アメリカ合衆国、英国、中華民国の三国による、十三条からなる降伏勧告が行われる。いわゆる、ポツダム宣言。日本政府はそれを黙殺。赤ん坊を加えた四人での、お宮参り。祝詞を受ける間、産褥のやつれからまだ回復もしていない、そして地味ながらも和装の〈紗枝〉が〈元治〉の抱く子を覗き込んで笑い、〈匡史〉を振り返る。〈匡史〉は彼女らを、どれほど愛しく思っていたのだろう。お参りがすんで帰る道すがら、父親からわが子を受け取ってあやしながら歩く妻の肩を、そっと抱き寄せる。その前日、トルーマン大統領によって原爆投下の命令がすでに発せられていたことを、誰も知らない。

 そして――

 同年八月六日。その日……

 空は高く、どこまでも澄んでいた。



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