二話:引導
「なぁに考えてやがんだ、あの……ミスターは」
叶人は座長である荒田ににらまれて、吐きかけた悪態を飲み込んだ。彼の手には読み終えたばかりの脚本と配役表が握られている。新劇座の小さな練習場に、今は荒田と叶人の二人だけ。合格通知が届いたと、呼び出されたのだが。
「なんだ、喜ばないのか?」
パイプ椅子に座ったまま見上げる荒田の不思議そうな表情に、あわてて叶人は首を振る。オーディション会場での出来事は、彼には伝わっていないらしい。その幸運をふいにしたくない。いつもにこやかなふくふく顔が怒ったときにどう変わるのか、叶人以上に知っているものはそういないはずだ。
「そんなことないすよ。嬉しいです」
それはもちろん本当だ。一度は諦めていただけに、ひとしおといってもいい。だけど――
「でも、この役はないでしょう?」
「いい役じゃないか」
「いい役すぎますよ」
叶人はもう一度リストに目を落とした。トップを飾るのは、昨年アカデミー候補に上り、いまや知らぬものはいない大俳優。これは、この映画の制作が発表されたときから噂されていたから、驚きはない。その下にも、なじみのある俳優の名が並ぶ。一人、二人、三人。そして……
・加藤匡史――近藤叶人
それほど出番が多いわけではない。主役との絡みはまったくない。だけど、要所要所で織り込まれる加藤視点のカットインは、間違いなく全体の色を決める。それに――
「俺の柄じゃないすよ……」
「ふん」
荒田は、叶人の手から脚本をもぎ取り、ぱらぱらとめくる。原爆で家族をなくした青年。悲しみと憤りを、短い時間、少ない台詞で表現しきらなければならない。
「まあ、似合わない役だよな」
「ですよねぇ」
「なあ、コン。お前の持ち味はなんだ?」
へ、と、間の抜けた声をもらしながら、叶人は荒田の顔を見た。演劇の世界での経験は、すべて新劇座で積んできた。芝居のいろはから舞台での呼吸まで、すべてを叩き込んでくれたのが、この荒田だ。新劇座における脚本、演出はもちろん、テレビドラマや映画にまで活躍の場を広げている彼は、コメディタッチの軽妙な作風で、一般にも人気が高い劇作家、兼演出家、兼俳優。彼ほどに、叶人の演技を知っているものはいない。
「キレのある台詞回しと、無駄にまでに高いテンションです。笑いを求めるシーンには欠かせない……?」
「お前には、その才能はないよ」
「まぁた、何言ってんですか。俺が出たらどっかんどっかん――」
「バカ、そりゃお前、オレの演出のおかげだろ。なあ、コン。お前、うちの劇団、辞めろ」
突然の荒田の言葉に、何をと言い返そうとして、叶人は息を呑んだ。まるで、公演初日を明日に控えながら、思い通りに仕上がらない舞台を見つめるときのような、苛立ちを含んだ荒田の目。
「お前は気持ちのいいヤツだしな、芝居にもまじめだから何とかしてやりたかったんだが、駄目だ。最初っから、ろくな才能もなかったしよ」
「ちょっと……座長?」
「仕方がねえから、うちで使えるうちは使ってやろうかってな、まあ、オレにはそれが精一杯だったんだが、どうやらウィリアム・マニーには、別のお前が見えたらしい」
そう言って、脚本を、ぽんと叶人に投げ返す。
「まあ、勘違いだろうとは思うんだけどな。だけど今のまんまじゃ、どうせこの世界でお前に先はないさ。今の殻を破る気がないのなら、さっさと足を洗っちまえ。破るだけの中身がないんなら、やっぱりさっさとやめちまえ」
そして、荒田は叶人の肩をひとつ叩くと、部屋から出て行った。
叶人の手元に残されたのは、一冊の脚本だけ。
「くそがっ!」
叶人が蹴り飛ばしたパイプ椅子が壁に叩きつけられる音が、狭い練習場に響いた。
「やってやんよっ! 見てろよっ、くそっ!」
『灰色の雨』〜Tears by Fallout〜
一九四五年、日本の敗色が濃厚であることは、もう明らかだった。すでに大方の制空権を失い、B−29による無差別爆撃に本土の都市はさらされていた。効果的な反撃手段を見出せなくなっていた軍部は、更なる泥沼に日本国すべてを引きずり込もうとしていた。
七月二六日。ポツダム会談での合意にもとづく、降伏勧告の宣言。その、黙殺。
本土決戦、一億玉砕をあくまで主張する陸軍と、終戦の道を模索しながらも、弱腰にならざるを得ない外務省。
軍事の、そして外交の専門家たちが、戦の趨勢をこのときにおいて見誤るはずが無い。彼らの懸念はただひとつ。このまま終戦を迎えたときに、玉体はどうなってしまうのか。
それを最も感じていたのは、玉体そのものである、昭和天皇裕仁、その人だった。
映画は、立憲君主たらんと己の意思を押し通すことを良しとしない信念と、己の名を叫びながら死んでいく兵士たち、無差別爆撃に焼かれていく国民たちに対する哀れみの念、それらの間で板ばさみになる“人間”裕仁の苦悩を縦糸に、そして、繰り返される空襲におびえながら、”神国日本”の勝利を信じて日々の暮らしを続けるひとつの家族の情景を横糸に織り込みながら進んでいく。
子供たちのはしゃぐ声が響く図書館の片隅に、叶人の深いため息が溶け込んだ。
目の前の机に積み上げてあるのは、映画の舞台となる終戦前後の資料の数々。今開いていたのは、広島、長崎の被爆者たちの体験談をつづったものだ、が……
叶人は東京に出てから、自分が広島に生まれ育ったことを意識することはあまり無かった。あるにしても、広島弁を珍しがられたり、劇団でイントネーションを徹底的に矯正させられたりしたときくらい。それは別に、広島の人間ではなくても経験することだろう。
だけど……
叶人は、被爆者の体験談を、読み続けることが出来なかった。それが悲しい話だから、残酷な話だから、だから読むことが出来ない、そういうわけではないと思う。
(白黒の映写機が映し出す、焼け焦げ、積み上げられた、人だった“物”)
(ぼろぼろの服を着せられ、やけどで皮膚がずるむけてしまったマネキン)
学校で、平和記念館で、幾度も繰り返し見せられてきた映像や資料。平和教育とは名ばかりの、戦争の、核兵器の恐怖を子供に叩き込むための、毎年のように繰り返される時間。それは常に、母の死と、父の涙、そしてケロイドと結びつく。
(夏の朝に鳴り響き、そしてすぐに解除された空襲警報)
(太陽さえ暗く感じるほどの光の玉と、爆風)
(軽々と吹き飛び、叩きつけられる身体)
被爆者たちの語る”そのとき”の記憶。それはもちろん叶人自身の記憶ではない。彼らの体験を自分のものとしてリアルに感じているわけでは決してない。ただ、まだ己の人格が固まる前に刻み込まれた、恐怖の記憶。死の臭い。
(崩壊した家の下敷きになり、少年の目の前で燃えていく父親と姉弟)
(爪の先から焼け爛れた皮膚をぶら下げ、幽鬼のごとく歩き続ける人々)
(赤子を抱いた母親の形をした、やけぼっくい)
最後に読んだのはもう二十年近く前のことなのに、容易に思い浮かべることができるマンガの描写。はだしのゲン。
――何かが違うな。
叶人は組んだ指を頭上で裏返して思いっきり背伸びをすると、もう一度ため息をついた。
冷静になってみれば、荒田があのような態度を取った理由は、よくわかる。今の自分に満足してしまっている叶人に、発破をかけたのだろう。だけど、それが解ったからといって、劇団に復帰させてくれるわけではなく、叶人には、この映画にかけるしかもう道は無かった。幸いクランクインにはまだ時間がある。それまで出来るだけの役作りをと思ったのだが。
確かに叶人の両親は被爆者で、付け加えるなら、彼自身が被爆二世と呼ばれる人間で、そして広島で育った人間として、平和教育も受けていて。たぶん、あのオーディション会場にいる誰よりも、この役を演じるための背景は持っているはず。いや、役者であるならば、プロであるならば、そのような背景はかえって邪魔になってしまうのか……いや、そうではない。
叶人が演じることになっている男、加藤匡史。二十二歳。広島で生まれ、市内の紙屋町で営業していたパン屋で修行し、幼いころの事故により曲がらなくなってしまった右足のおかげで、徴兵を免れている。
とはいえ戦場に送られることが無いだけで、郊外の軍需工場に徴用され、そこで働いていた。パン屋に残るのは、まだ現役の義父と、妻の紗枝。そして、生まれたばかりの赤ん坊。米の配給が滞っていた当時、小麦粉にふすまやとうもろこしを入れて焼いた粗末なパンはそれでも貴重なご馳走だった。第五師団司令部などの重要な拠点がありながら、本格的な空襲を受けたことのない広島には多くの人々が流れ込んでおり、家業を手伝うことが出来ないことを申し訳なく思いながら、その日も早朝から工場に向かう。そして――
さまざまな資料や脚本の描写が呼び起こすこの恐れは、決して『加藤』が感じたものではない。幽霊や怪談が怖いのと、子供が暗闇を怖がるのと、一緒だ。現実ではなく、未知のものに対する恐怖。ふと、叶人は初めて東京で過ごした夏を思い出す。
八月六日の朝。広島ではすべてのチャンネルがいつもの放送を取りやめ、早朝の平和公園を映し出す。粛々と進められる式典。“その”時間に突如鳴り響く、サイレンの音。黙祷する人々。泣き崩れる年老いた遺族。何十年もの時を経てよみがえる怒りと悲しみ。
それらすべてが東京には無かった。八月六日の朝、テレビではいつもと変わらない人たちが、いつもとそんなに変わらないニュースを読んでいた。そんな、いつもと変わらない日々に紛れ込んだ、その日。
驚いた叶人は、友人たちに尋ねた。子供のころ、平和教育ってあったよな? みんな首を横に振った。原爆記念日っていつだか知っているか? 半分が間違った。それを見て、叶人は気が楽になったのを覚えている。やっぱり、この国にはもう戦争は無いんだ。それが妙に嬉しかった。だから、それからずっと、戦争なんか忘れて生きてきた。なぜなら、この国は、平和なんだから。
「ああ、もう、くそっ」
叶人は小さく悪態を吐き出してから、立ち上がった。まだ目を通していない資料を数冊借り出してから、図書館を後にする。別に、こんな役作りしても意味無いんじゃないのか。たとえ何らかの結論を出せたとしても、ビルが一言いえば、自分の芝居なんか簡単に変えられてしまう。いや……変な先入観なんかつけずにただ演じれば、演技をつけてくれるんじゃないのか。そう、荒田のように――
「ちがうっ!」
叶人はそう吐き捨てて首を振る。ずいぶん日は長くなったとはいえ、すでに暮れかけた空の下、厚い本を抱えてぶつぶつつぶやく彼を、通行人が避けて通る。それにも気づかずに、叶人は歩き続ける。
(殻を破るつもりが無いなら、やめちまえ)
荒田の演出に従っていればウケる。ぼんやりとした寝起き、暖かい布団に包まって夢の残滓を反芻しているときのような、生ぬるい幸せ。それが今の自分だ。平和な今に安住している自分。自分が経験したわけではない戦争の記憶なんて、しょせん悪夢と代わりがない。目覚めてしまえば、容易に忘れてしまう。
(芝居っていうのは、夢なんだよ)
荒田と初めて酒を飲んだとき、彼が語った言葉。
(お客さんはさ、舞台を観ているときは現実を忘れる。いや、俺たちが忘れさせなけりゃいかん。小屋を出たときに、ああ、夢を見てたんだと、思わせなきゃいかん)
(でもな、夢の登場人物はさ、目が覚めたらだめなんだ)
(そいつにとって、夢が世界なんだからさ)
(一緒に夢の中で生きようぜ)
酔っていてさえバカな話だと、心の中で笑ったものだ。
だけど結局、バカな話が真実で、自分は夢の世界ではなく、まどろみの世界で生きていただけだった。
叶人は、人の波を避けて路地に入ると、ビルの壁に背中を預けた。そして、携帯を開く。悪夢を現実として生きていた人へと続くナンバー。