一話:オーディション
この作品は、「みちのく芸能祭り 花火大会」のため、風海南都先生のプロットを基に書き下ろしたものです。
……うわぁ。本物だよ。
後楽園にあるスタジオで、叶人はいつも実際の歳よりずいぶんと若く見られる童顔を、軽くこわばらせていた。それは彼だけのことではない。彼同様、スタジオの壁沿いに並んでいる若い役者連中も同じこと。
――なんで、こんなチョイ役のオーディションにまであの人がいるんだ?
基本的なエチュードとカメラテストを終えて、あとは面接を残すのみ。そのために、この部屋に移動して――
叶人のちょうど正面、普通の折りたたみ椅子に座っているのは、ハリウッド俳優にして、アカデミー監督、そして、叶人たちが端役を獲得しようとオーディションを受けている映画の製作総指揮兼監督、ウィリアム・マニーその人だった。ざっくりとしたセーターに擦り切れたジーンズ、そしてスニーカー。年老いたとはいえ、スクリーンの中でマグナムをぶっ放していたころと変わらぬ眼光。もう、彼に会えただけでオーディションに来た甲斐があったよ、そんな叶人のひそかな思いも無理はない。父親の反対を振り切って二十歳で大学を中退し、演劇界に飛び込んですでに十年、一向に芽が出ない売れない俳優の叶人にとって、彼は雲の上の人物どころか、神様そのものだといってよかった。
そんな、彼を含めた大根たちの視線を集めて、神様は彼の両側に居並ぶスタッフに何事かを言った。それを受けて、スーツを着た一人の男が立ち上がる。彼が通訳なのだろう。
この映画は、アメリカ映画にもかかわらず全編日本語でつづられる。原爆を投下する側、そして落とされる側。それぞれの視点を、別々の映画として撮るという試みらしい。ホワイトハウスとエノラゲイの基地があったテニアン島を舞台にした米国側の撮影は、すでにクランクインしているという話だ。あちらはもちろんアメリカ人ばかり。そしてこちらは、キャストはもちろん、主要スタッフのほとんどを日本人が占める。だから、オーディションの条件に、英語のスキルはなかった。また、そうでなければ、グッドモーニングとアイラブユーぐらいしか英語を知らない叶人が、ハリウッド映画のオーディションを受けようなんて気になるはずがない。
「……」
そのとき、会場の妙な空気に、叶人は気づいた。あれ?
「近藤叶人さん?」
少し不審そうな通訳の声。
「……お、俺? は、はいっ」
裏返ったその返事に、ひそやかな笑いが会場に広がる。叶人の顔が、一気に紅潮した。なんで最初なんだ。アルファベット順じゃないのかよ。さっきまでそうだったじゃないか。そう憤ってみても、ぼんやりしていた彼が悪いことに変わりない。あわてて神様の目の前に進み出る。
「えぇと。近藤叶人。劇団新劇座所属」
「ミスタマニーがインタヴューします。リラックスしてください」
通訳がそう言って肩を二、三度揺らし、笑ってみせる。叶人はちらりと神様を見る。ギラリとした眼光。引きつったような笑みを口元に浮かべるのが精一杯だ。
神様は、目を叶人に向けたまま、通訳に何事かを伝える。
「君は、アー、広島の出身だということですが」
「はい。ミスターマニー」
「ビルトヨンデクダサイ」
にこりと笑って口を開く神様のたどたどしい日本語に、かえって叶人は緊張した。
「イ、 イエス、ビル」
通訳が思わず吹き出して、あわてて顔を引き締める。
叶人がこのオーディションを受けた理由のひとつがそれだった。広島の映画を撮るのに、広島出身だったら有利ではないのか。もちろんそんなに甘いものではないことくらい、骨身にしみて理解していたが、それでも、端役に引っかかるくらいのメリットはあるんじゃないかと期待していた。だけど――
「君は、原爆に焼かれた故郷をどう思う?」
そう問われて叶人は言葉に詰まった。どう思うと言われても……
彼が生まれたときには、もう広島に原爆の傷跡は残っていなかった。もちろん原爆ドームはあるし、閃光で灼かれた人影の残る階段とか、被爆建物もいくつか残っている。それは知っている。平和教育の一環で、平和公園の資料館にも何度か行った。だけどそれらは彼にとって、ただの壊れかけた、古臭い建物であり、気色の悪い資料以外の何物でもなかった。
「俺が生まれたときには、もう復興していましたから。百年は雑草も生えないといわれた町を、そんなにも早く立て直したのはすごいと思います」
通訳と神様との間で交わされる言葉。
「君のご家族は、被爆体験をしているのかい?」
「はい、両親とも」
ビルの表情が少し変わった。興味深げに、叶人を見つめる。
「君は、アメリカ軍が広島に原爆を投下したことをどう思う?」
「あ――もちろん許せないですけど、でも戦争だったんだし……」
「戦争だったから仕方がない?」
「い、いえ。やっぱり、核兵器は使うべきではなかったと思います」
叶人の背を、冷や汗が流れる。広島で育って、並みの日本人よりは原爆について教育を受けているはずなのに。ありきたりの言葉しか出てこない。
「広島や長崎の人たちは、世界中から核兵器を無くすべきだと主張しているが、それについてはどう思う?」
「もちろんその通りだと思います」
「それが可能だと思う?」
「困難ではあるでしょうけど、やらなければならないと……」
「しかし現実には、核の抑止力によって世界の平和は保たれている。もし核を無くすことが可能だったとして、それによって起きる戦争を君は容認できるのかい?」
「いえ、それは……」
ビルが立ち上がって、叶人の目の前に立った。背の低い叶人の視線に合わせるように少し背をかがめ、口を開く。少し遅れて、通訳が問う。
「原爆を投下したことで、戦争を早く終わらせることが出来た。もし、その出来事がなければ、さらに百万を越える貴重な命が失われる結果となっていただろう。それだけじゃない。核の威力を明らかにしたことによって、それ以降世界的な規模での大戦は起きていない。つまり、数千万、ひょっとしたら数億もの命が戦争の犠牲になることを逃れているんだ。これは、アメリカが原爆を投下したおかげだと思わないか?」
「違うっ!」
思わず叶人は声を上げていた。ビルの言うこともわからないではない。しかし彼の脳裏に、父親の姿が浮かんでいた。頑固なだけがとりえの、そして、役者になるという叶人の夢を決して認めようとしなかった父親なのに。叶人はずいぶん遅くに出来た子だったから、もう七十を超えている。原爆の熱線を受けたときはちょうど十才。そして、今でも左腕に残るケロイド。叶人が子供のころ、たった一度だけ見た父親の涙。被爆の後遺症による白血病で死んだ、叶人の母親の枕元。抗がん剤で禿げ上がった妻の頭の横に両手をつき、声を押し殺して泣く父親の姿。
「何が違う?」
「たとえ、今が平和なのが、あの、八月六日の出来事のおかげだとしても――」
叶人は、ビルの青い目を正面からにらみつけた。
「それは決して、アメリカの、原爆のおかげなんかじゃない。熱線に焼かれ、爆風に飛ばされて死んでいった人たちの、放射能に犯されて、何年も、何十年も苦しんだ人の、そんな、何十万もの人々が犠牲になったおかげじゃ。そがあなこともわからんワレが、広島の映画を撮る? 笑らかすなっ! ワレみたいなんが撮る映画なんざ、こっちから願い下げじゃ」
叶人はもう一度ビルをにらみつけると、そのままきびすを返して出口へ向かった。壁際の役者たちがあきれた顔で見送る中、重い扉を開いて、そのままスタジオの外に飛び出す。とたんに、二月の寒い風が、叶人の身体にきりつけてきた。あっという間に沸騰していた頭が冷える。
「ああ……」
叶人は厚い雲に覆われた空を仰ぎ、頭を抱えた。そしてそのまま、がっくりと歩道に膝をつく。
「やってしもうたぁ。座長にどやされるぅ」
新劇座にオーディション合格の通知が来たのは、二週間後のことだった。