そのよん
ヒナノとタマミドリがシャオを見つけたのは、まったく予想外の場所だった。
「ヒナノ! タマー! こっちだぜー!」
その辺の廃材で作ったかのような、掘っ建て小屋のような山小屋である。
シャオはその山小屋の軒の下から、二人にぶんぶをと手を振っていた。
「シャオちゃん、勝手にどこか行っちゃ、だめだよぉ」
「そうだにゃ。おかげで見失ったと思ったにゃ。……は、はっくしゅっ!」
ヒナノが大きなくしゃみをした。それから寒かったのを思い出したように、ガクガクと震え始める。
「山小屋なら、入っても大丈夫だよねぇ?」
「あたしに聞かれてもわかんないぜ」
タマミドリとシャオは、そろってヒナノの方を見る。このまま外で雨が止むのを待つのは、かなり辛そうだ。
タマミドリとシャオはそろって頷くと、ヒナノを連れて小屋の中へ入った。
●
小屋の中も寒かったが、外よりかは幾分かマシであった。
そして、
「はぁぁ、生き返るにゃぁ」
ヒナノはタマミドリの熱いお茶の入った湯呑をゆたんぽ代わりに、またまた暖まっていた。
「ヒナノ、大丈夫か?」
さっきまで調子の悪そうだったヒナノを心配して、シャオも声をかける。
が、その心配も必要なかったようだ。
「大丈夫なのにゃ〰」
なにせ、ヒナノの背景にお花畑が見えるくらい幸せそうな表情をしているのだから。
それはそうと、
「雨、強くなってきたねぇ」
「だな」
「みたいだにゃぁ」
三人は格子戸の向こう側を眺めながら、口々につぶやく。
雨音は強まるばかりで、衰える気配は一向にない。
いつになったら止むのだろう。これでは、宝探しに行けないではないか。
「雨雲ー! 聞こえてるかにゃー! 早く止むのにゃー! お前なんかお呼びじゃないのにゃー!」
耳と尻尾を総毛立たせて叫ぶヒナノ。
すると……、
――――ゴォォォォオオオオオオ!
更に強くなった。
「ヒナノ!」「ヒナノちゃん!」
もちろん、シャオとタマミドリに怒られる。
「ヒ、ヒナノは悪くないのにゃ! 悪いのは全部雨雲なのにゃ!」
――――ゴロゴロゴロ…………。
今度は遠くで雷の成る音が。それも、だんだんと近付いてきているような気もする。
「雨雲さま、ごめんなさいなのにゃ!」
シャオとタマミドリの冷ややかな目と雷の音に気圧され、ヒナノは平身低頭姿勢、心のこもった土下座で誠心誠意謝った。
「音が遠くなったぜ」
ヒナノの声が届いたかどうかはさておき、雷は離れていったようである。
雨のことはとりあえず置いといて、ヒナノは安心からはぅぅ、とため息をついた。
「もう、ヒナノちゃんああいうこと言っちゃだめだからね」
「にゃはは……、済まないのにゃ。でも、ヒナノは悪くないにゃ。悪いのは全部あの雨雲で……」
ピシャァァアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!
「にゃ!?」「うわっ!?」「ひゃぁっ!?」
小屋のすぐ近くに、大きな雷が落下した。
格子戸から注いだ真っ白な光が目を焼き、ほんの少し遅れて身体の吹き飛ぶような轟音が全身を打つ。
三人は悲鳴を上げ、互いに抱き合うようになって縮こまった。
「ヒヒ、ヒナノちゃぁん……」
「だ、だからタマが止めろって言ったのに」
「ごごご、ごめんなのにゃぁぁ」
三人とも、声が震えている。
まあ、目の前で雷が降るなんて経験のない三人なのだから、むしろ怖くて当たり前だろう。
もちろん、ヒナノのせいでは決してない。
とその時、ヒナノの耳が動いた。
「誰か来るにゃ」
その言葉に、シャオとタマミドリも身構える。
やっぱりこの辺は、普段から悪いことばかりしてるせいもあって、板に付いたものである。そのことを自覚して、タマミドリはなんだか悲しくなってきた。
でもまあ、もうすっかり慣れ切ってしまっているのだけれど。二人の悪戯に付き合うのに。
三人は自分たちの履き物を回収すると、格子戸から聞こえる音に耳をそばだてた。
『痛たたたたたた! こ、腰がぁ……』
『だらしないですよ。一応神様なんですから、もう少し威厳を持ってください』
『む、無茶を言うな。まったく、そろそろ息子に譲って隠居したいもんじゃ』
『他人に責任を押し付けないでください』
「近付いて来てるじゃねえか!」
「そんなの聞いてればわかるのにゃ!」
ヒナノとシャオは、ひそひそ声で言い争いを始める。まったく、この二人はなにをやりたいのやら。
「と、とにかく隠れるのにゃ」
「べ、別に隠れなくて……」
「タマ、早くするんだぜ!」
「シャ、シャオちゃんっ」
隠れる必要なんてないのに、と言うタマミドリも意見を聞かない二人。
ヒナノとシャオはタマミドリの手を握り、かまどの影に隠れた三人そろって入れそうなかめの中に身を潜めた。
「ヒ、ヒナノ、尻尾が顔に当たって、はっくち!」
「シャオちゃん、冷たいよぉ」
「タマ、湯呑返すのにゃ」
かめの中でも相変わらずな三人であるが、山小屋の戸がガラガラと開かれる音を聞いた途端、ぴたりと黙り込んだ。
冷や汗を額と背中にいっぱいかきながら、外の様子をうかがう。
「あたたたた。腰が、腰がぁ……」
「ぎっくり腰になったからって、お仕事は休めませんからね。まだ残っているので」
「この年になってまで、ずっと太鼓を叩いておれるか。お前が雨を降らせるのと違って、儂は雷一回につき一回太鼓を叩かなきゃならんのだぞぃぃ……!」
「大声で叫ぶと腰に触りますよ」
なんだか、外でしていた口喧嘩をまだしているようである。
片方はしわがれているけど、元気がありそうなおじいさんのような声。
もう片方はどこまでもトーンの低い、若い女の人の声である。まあ、若いと言っても三人から見れば、十分“おばちゃん”なのだが。
「タマ、あの二人誰なんだ?」
「私が知ってるわけないでしょ!」
「ちょっと見てみるのにゃ」
ヒナノはかめの縁に手をかけると、恐る恐る頭を上げていく。
始めにピンと張った猫耳がちょこんと飛び出し、続いてくりっとした丸い目がのぞき、最後には八重歯ののぞく口が現れる。
かめから顔を出したヒナノは、かまどの横からそっと顔を出した。
そこにいたのは、白髪で大きなおじいさんで、頭から小さな角がちょこんと生えている。身長は六尺七寸(約二〇三センチ)ほどでがっしりとした体つきだ。虎柄のふんどしが特徴的である。
もう片方は、長い黒髪をした女の人。口調と同じで、見た目もかなり冷たそうだ。こっちは灰色を基調とした雲の柄が入った着物を着ている。
近くには小さな太鼓が数個に、ヒナノ達が三人余裕で入れそうな袋も見えた。
なぜだかわからないがすっごく怖い気がするヒナノは、そろそろと身をひくとかめの中へ頭を引っ込め、
「なんか、すっごく怖そうなのがいたにゃ」
率直な感想を述べた。
「怖いって、どんなふうにだよ?」
「もうちょっと具体的に言ってょ」
具体的にと言われて、ヒナノはさっき見た光景を思い浮かべてみる。
えっと、確か……。
「……でっかいおじいちゃんと、冷たそうなおばちゃんだったのにゃ」
とりあえず、おじいさんと女の人が一人ずついるのがわかった。
「ヒナノちゃん、他にはぁ?」
タマミドリに言われて、ヒナノはもう一度さっきの光景を思い浮かべてみた。
でっかくておじいちゃんと、とにかく冷たそうなおばちゃん――もちろん両方怖い――以外に、なにがあったっけ。
おじいちゃんの腰が悪そうだったのは違うだろうし、おばちゃんの言葉にいちいちトゲがあるのもたぶん関係ないしぃ。
「あ、あと太鼓とおっきな袋があったにゃ」
「太鼓かぁ……」
袋の方は置いとくとして、太鼓の方には心当たりがある。
今度はタマミドリが、かめの外にほっと顔を出す。
「…………ひっ……!」
立つ瞬間、お腹の下がシャオのほっぺたに触れてつい声が出てしまう。
タマミドリは慌てて自分の口を両手でふさぎ、それを聞いていたヒナノとシャオも、同じように両手を口にやる。
―――――――――――――――――――――――。
数秒経ったが、特に変わった様子はない。どうやら、気付かれなかったようである。
安心から三人はほっとない胸をなで下ろした。
かちこちに固まっていたタマミドリは、再び細心の注意を払いながらかめの外に顔を出した。
「のう、今からでも息子を呼んで、代わってもらっちゃいかんかのう?」
「ご子息はまだ修行中の身です。無理です」
「この分からず屋め」
「ちっ。いちいちうっせえジジィだなぁ」
「今お前、この儂に『うっせえジジィ』って言ったな! 許さんぞ!」
と、おじいちゃんは怒号を上げながら、床板をどんと叩いた。
その衝撃で床から跳ねた太鼓が、落下した瞬間……。
…………ドオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォン!
山小屋のすぐ近くに、雷が落ちた。
「あだだだだだ!」
「安静にしててください。本当に仕事ができなくなったらどうするつもりなんですか、このクソジジィ様」
「あ、今言った! 絶対に『クソジジィ』って言った!」
「あらやだ、つい口が滑ってしまいました。忘れてください」
「誰が忘れっ! 痛っ!」
おじいちゃんとおばちゃんは、雷なんて屁でもないようであるが、
「こ、怖かったのにゃ」「ちち、近くに、落ちたみたいだぜ」「びびび、びっくりしし、しましたぁ」
雷に驚いたタマミドリは、大慌てでかめの中に戻った。
涙ぐみながら顔を合わせた三人は、山小屋からの脱出作戦の決行を決意するのだった。
●
とりあえず、まずはタマミドリが二人にさっき外を見てわかったことを伝えた。
「まず、腰を痛めているのはカミナリさまみたいですね」
「かみなりさま?」
「おへそだして寝てると、取っていっちゃう迷惑な神様だにゃ」
「なんだと!」
微妙に間違った知識が、シャオの頭に記録されたようだ。修正するのも骨が折れそうなので、タマミドリはそのまま説明を続けた。
「それで、もう一人の女の人の方は、雨女さんだと思ぅ」
「わかった、雨を降らせてるのはそいつだな」
シャオの言葉に、タマミドリはうんと頷く。外の様子に耳を傾けるが、まだ口喧嘩を続けているようである。
ヒナノの耳も、特に変化を聞き取ってはいないようだ。
「でもタマ、なんで雨女ってわかったんだにゃ?」
「袋ですよ」
「袋?」
よくわからない答えに、シャオは首をひねる。
すると、タマミドリは生唾をごっくんと飲み込みながら、その理由を話し始めた。
「なんでも、雨女は泣いている子供の所に袋をもって現れるみたいなのぉ」
「なんで袋なんだにゃ?」
「えっとぉ、子供をさらうため……」
「ま、まさか……。あたし達をさらいに来たんじゃ!」
シャオの一言を聞いた瞬間、三人の背中を冷たいものが走った。
気付いてはいた。気付いてはいたけど、それは言ってはいけない一言だ。と、ヒナノとタマミドリが思ったのは言うまでもない。
まあ、実際さらわれるのは泣いている子供であって、更に妖怪と一応神様な三人は、はなっから対象外だったりするのだが。
「それで、どうやって逃げるのかにゃ?」
「うんうん」
ヒナノとシャオは、こぼれんばかりの期待に満ち溢れた目でタマミドリを見つめる。
そんな大きな期待を向けられているタマミドリはと言うと、
「……………………ぁ」
何も考えてなかった。
と言うよりも、まだ小屋に入ってきた二人がどんな妖怪(それと神様)かわかっただけであって、逃げる算段なんかて考えていないのである。
ピシャァアアアアアアアアン!
再び雷が近くに落ちた。
「タマ!」
「なんとかしてくれにゃ!」
「ふ、二人とも落ち着いてぇ……!」
泣きつかれたって、こればっかりはどうにもならない。
と言うよりも、泣きたいのはこっちの方である。自分の方が二人よりも気が弱くて怖がりなのに。なんて思うタマミドリをよそに、なんだかすごい量の雷がいくつも小屋の近くに降り注いだ。
まるで茶碗のいっぱい入った食器棚をひっくり返したような、どう言ったらいいかわかんないけどすっごい音が三人の鼓膜を震わせる。
とにかく、ここから早く逃げてしまいたい。
と、その時だ。
「っくち!」
ぶるっと震えたと思ったら、ヒナノが小さなくしゃみをしたのだ。
普段よりボリュームを押さえてはいるものの、雨音と雷の音にかき消されるほど、小さな音ではない。
「ん? 今声がしたような」
今の今まで口喧嘩をしていた雨女が、ヒナノのくしゃみを聞きつけて振り返った。
「気のせいではないのか?」
「お年を召したどこぞのジジィより、耳はいいのでご心配なく」
「なんじゃとっ、ぬああああぁぁ……!」
雷様が悶絶しているのをさも面白げに見ながら、雨女は土間の草履をはいた。
ざぁ、ざぁ。ヒナノの耳が、ゆっくりと近づいてくる雨女の足音をとらえる。
一歩また一歩と近付く度に、心臓がどっくんどっくんっと高鳴る。それはもう、外まで聞こえてるんじゃないかって思うくらい。
そして、ざざぁ、と今までで一番大きな音が鳴る。
見つかったらさらわれる、見つかったらさらわれる、と三人は必死に息を止めてじっと動きを止めた。
「……………………ただのカラスか」
格子窓から見える木に、何羽かのカラスが止まっていた。おおかた、雨宿りでもしているんだろう。
雨女は再び草履を脱ぐと、床の上に戻った。
「ば、ばれなかったのにゃ」
「たすかったぜぇ」
「はうぅ、一時はどうなるかと思ったですぅ」
どうやら、カラスの鳴き声と勘違いしてくれたらしい。発見の危機からは、なんとか脱したようである。
三人がほっと一息ついた、瞬間を狙いすましたかのように、それは起こった。
「ええかげんにせんか、ヒヨリィイイイイイイ!」
ドゴォォオオオオオオオオオオオオオオオ!
雷様の怒号に呼応して、今までで一番でっかい雷が、これまた一番小屋の近くに落ちたのである。
一瞬ではあったものの、まるで地震のような揺れが三人に襲いかかった。
絶妙なバランスを保っていた三人であったが、今のでそれを崩してしまい、
「にゃぁああ!」「ぬぉおお!」「ひゃあぁっ!」
盛大に音を立てて倒れたためから、三人が投げ出された。
「痛いのにゃ」「ヒナノ、重い」「シ、シャオちゃん、手ぇどけてぇ」
放り出されたひょうしに絡まった三人は、そこではっとなる。
かめの外へ出る。
↓
カミナリさまと雨女に見つかる。
↓
さらわれる。
「それだけはやだにゃ!」「あたしもいやだぜ!」「ごめんなさあぃ!」
雷様と雨女が呆然と言うか唖然と言うかしている間に、三人は魂の叫びを上げながら一気に土間を走り抜けた。
「ちょっと、お前ら」
タマミドリの落とした紙切れを拾った雨女であったが、開け放たれた小屋の戸から見える三人の姿は、すでにごま一粒ほどの大きさになっている。
「ん? これって……」
雨女は良いことを思いついたと、山小屋の中に戻っていった。