第6話 本物登場
私と藍川は互いに互いを見つめ合い、そのまま固まる。幸いに目の前の男も状況を把握できていないように立ったままで、斬り付けられる心配も無い。
数秒の沈黙を破ったのは、藍川だった。
「……凪ちゃん。その包丁、何?」
「……藍川こそ、その金鎚、何?」
「「…………」」
沈黙。
最近のニュース。テレビでもよく流れている。人殺し、連続殺人事件。死因。焼殺とか絞殺。――刺殺と、撲殺も含まれている。
藍川が持っている金鎚。釘を打ったりする道具で大工さんもよく使っている。物を作る時などに重宝する道具だが、勢い良く振り下ろせばそれこそ、男子高校生の力ぐらいでも人を殺すことが出来る。
私が持っている包丁。家庭で料理をする時などに使う。だけど刃は鋭く、人間の肌などの柔らかいものには刺さりやすい。か弱い力の女子供でさえ、いとも簡単に人を殺すことが出来る。
どちらも『道具』に出来るし、『凶器』にも出来る。
そして、私と藍川の持っているそれらには血がこびり付き――その用途はきっと、後者なのだろう。
藍川が、全てを察したように口元だけ微笑む。
「何だ。凪ちゃんも、僕と一緒だったんだ」
「そういう藍川も。意外だな」
私も唇だけに笑顔を貼り付けて言う。
「嫌だなあ、目が笑ってないと怖いよ? 凪ちゃん」
「お互い様だろ」
「別の意味で、『これからもよろしく』」
「うん、『よろしく』」
そして笑う。
唯一笑っていないのは、ナイフを持った男だ。未だに状況が掴めていないのか、何とも言いがたい可笑しな顔をしていた。
「え? 何が……え?」
私と藍川を交互に見やる男を、
「まだ分からないんですか?」
溜息を付きながら見下ろす。
ニュース見て、一人で興奮して、自分も犯人になりたいとか思って、実際に行動しようとして、目標にした高校生男女二人に襲い掛かって、何故かその二人は変な物を持っていて。
混乱するのも分かるかもしれない。だけど色んな意味で自業自得だろ。
私は一度軽く息を吸って、そして真実を言い放つ。
「私と彼は、『刺殺犯』と『撲殺犯』なんですよ。今、巷で有名の」
私は人殺しだ。
男が犯人ではないと知っていた。だって本人なんだから。
私は人を刺すことでしか殺さない。
だから犯人は最初から複数だと知っていた。でも単独犯の方が、個人的には好都合だった。
だから茜の問いにも、一人じゃないかと答えた。
人を殺して楽しいか、という質問にははぐらかしただけで、人を殺したことが無いとは言っていない。
……そういえば、藍川も同じように答えてたっけ。
「…………………………………………マジ、かよ」
ポツリと男が震える声で呟く。
手に握られたナイフは小刻みに震え、頬には冷や汗が流れた。
明らかに怯えている様子の男に一歩近づく。
「ひぃっ!」
後ろに下がろうとしたが、恐怖で足が縺れてその場に倒れこむ男。上手く立てないのか、手で地面を這って後ろに下がる。
眼球を引き攣りそうなほど見開いて、歯をガチガチと鳴らし。自分より数歳年下の女に怯えている。
じっと立って見下ろしていると、
「……ごめ、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい。許してください、何でもします。調子乗ってごめんなさい。殺そうとしてごめんなさい。まだ死にたくない。死にたくない。殺さないで。助けて、助けてください本当お願いします助けて」
ガチガチ鳴る歯で、切れ切れの言葉を必死に紡ぎ出す。見開いた眼球からはぼろぼろと涙が零れて。
私は男に、
「――本当、無様ですね」
さっき男が言った台詞を、同じように吐き捨てた。
一瞬男の涙が止まり、呼吸さえ止まる。顔が青色から赤色へと変色し、肩が大きく震えだし小さく右手が握られた。そして、
「ぁっ、ああああああああああああああああああああああああ!!!!」
全身全霊を搾り出した男の怒声と、私に迫るナイフ。
そして男の背後で、笑顔のまま金鎚を後頭部に振り下ろした藍川。
「がっ!」
藍川の存在を認識していなかった男は、突然の衝撃に肺の空気を一瞬で絞り切ったような声を出した。男はその場に倒れ伏し、ナイフは私の腹部手前で止まり、それ以上進むことが無いまま地面に落ちた。
ピクピクと痙攣して、私を見開いた目で見つめる男の傍にしゃがみ込み――
「――――えいっ」
側頭部から一気に、包丁を突き入れた。
「――――これ、どうする?」
藍川が足元の男、いや、死体を金鎚で差す。
「……いいんじゃない、そのままで」
「バレない?」
「隠しても見つかりそうだし、早く逃げたほうが良いと思う」
幸いここは人通りが少ないのだから。
「それもそうか。……じゃあ、帰ろう」
藍川が微笑み、道の先へと歩き出す。……と、藍川が私に振り向いた。
「凪ちゃん、今日僕の家来ない?」
「え、今日?」
「……ちょっと話したいこと、出来たしね」
ちらりと死体を見る。――右手の包丁を握り直してから、私は笑った。
「いーよ。行こうか」
その場には、瞳孔を開いて頭からドロドロと鮮やかな血を流して絶命している男だけが残された。