第4話 自由と禁忌のアンケート
「……“君だけじゃない”って、こういう意味かよ」
ベッドの縁に座ったまま、俺はスマホを見下ろしていた。
昨夜――いや、もう昨日か。俺は「S-J交換事案 保有者」なんて名乗るアカウントで脅し文を投げた。特定するな、個人情報をばら撒くな。破ればスイッチは失われる。取引じゃない、脅しだ。
その直後に来た謎のメッセージ。
「スイッチを持っているのは、君だけじゃない」
冗談だと思いたかった。
なのに今、俺の画面には“第二の保有者”が、堂々と出現している。
紗月――妹は、部屋の隅で膝を抱えたまま、俺のスマホの向こう側を睨んでいた。昨日の今日で、寝ていないのは俺だけじゃない。
「兄さん……また、増えたの?」
「……増えた。しかも、最悪な増え方」
俺は唾を飲み込んでから、画面を妹にも見せた。
新しく作られたらしいアカウント。アイコンは真っ黒。名前は短い。
「L/S交換 保有者」
投稿は一つだけ。添付の写真が、まず目に刺さる。
灰色の台座に赤いボタン。俺のと同じ形状。俺のと同じ無機質な刻印――ただし刻まれている地名が違う。
リバティ島と北センチネル島を交換する
押下により即時発動
次回使用可能:押下日から一年後
交換対象:領土・領海・上空(付属岩礁を含む)
……付属岩礁。
妙に具体的で、妙に“分かってる”言葉。
そして、文章。
【告知】
私はL/S交換スイッチを保有している。
私は押すか押さないかを、配信のアンケートで決める。
期限:ゴールデンウィークの配信(日時は追って告知)
押すべきか、押さないべきか。
決めるのは私ではなく、あなたたちだ。
※個人情報の特定・拡散は行うな。
その時点でスイッチは失われる。
これは取引ではない。
これは“選択”だ。
「……うそでしょ」
紗月が息を詰めた。
俺は笑えなかった。笑う余裕がない。文字面が、遊びの形をしているのに、内容は本物の刃物だった。
「リバティ島って……どこ?」
紗月の問いに、俺は一瞬だけ固まった。
俺も同じことを思っていた。リバティ島。なんだそれ。日本のどこかの無人島? スペインのどこか? いや、刻印に英語っぽい響きがある。
俺は検索窓に「リバティ島」を打ち込んで――画面に出た写真を見て、背中が冷えた。
自由の女神。
ニューヨークの、あの、世界で一番“象徴”みたいな像が立つ島。
「……これ、自由の女神のところだ」
言った瞬間、紗月が口元を押さえた。
「やば……」
「やばい。洒落にならない」
北センチネル島も調べる。インドのアンダマン諸島の近く。外部との接触が厳しく制限されている島。そこで暮らす人たちがいる。近づけば危険だ、って説明が並ぶ。禁忌の島。触れてはいけない場所。
自由の女神の島と、禁忌の島を、交換する。
……そんなの、起きたら終わる。
自由の象徴が消える。禁忌が、観光地のど真ん中に来る。パニックだけじゃ済まない。世界中の「正しさ」が、引き裂かれる。
そして、そんな最悪のニュースが流れた時、世間は何て言う?
――“保有者”がまたやった。
――あの日本とスペインの件の黒幕が、次の遊びを始めた。
俺の脅しは、ブーメランになる。
「保有者」を名乗った時点で、俺は“責任者席”に座ってしまった。見知らぬ誰かが勝手に押しても、「管理できないお前が悪い」にされる。あるいは「お前が裏でやってる」にされる。
「これ……兄さんのせいにされるよね」
紗月が、俺の思考をなぞるみたいに言った。
俺は頷けなかった。頷いたら、本当にそうなる気がした。
でも、たぶん、そうなる。
「止めないと」
俺がそう言うと、紗月の目が揺れた。
「止めるってどうやって……? 兄さんのスイッチ、もう一年押せないんでしょ」
「押せない」
「じゃあ――」
「社会を動かすしかない」
俺は自分の言葉に自分で笑いそうになった。
社会を動かす?
たった二日前まで、俺は講義をサボるかどうかで悩む普通の大学生だったのに。今は“世界が壊れる配信”を止めるために、社会を動かすとか言っている。
普通じゃないのは、世界の方だ。
スマホが震えた。
掲示板のリンクが、次々とタイムラインに貼られていく。俺が見ないようにしても、勝手に目に入ってくる。
俺は観念して、ブラウザを開いた。
◆【配信者・実況板】◆
【速報】「L/S交換 保有者」出現www【GWに投票】
1 :視聴者:03/05(木) 10:02:11 ID:Liv1
新しい“保有者”きたぞ
今度はリバティ島と北センチネル島だって
2 :視聴者:03/05(木) 10:02:45 ID:Strm
リバティ島って何?
3 :視聴者:03/05(木) 10:03:02 ID:Liv1
自由の女神の島
4 :視聴者:03/05(木) 10:03:20 ID:Strm
うっわ
それ消えたら世界ニュースどころじゃない
5 :視聴者:03/05(木) 10:03:49 ID:Kusa
GWに配信アンケで決めるって
視聴者共犯で草
6 :視聴者:03/05(木) 10:04:12 ID:Zzz9
草じゃねぇよ最悪だろ
7 :視聴者:03/05(木) 10:04:40 ID:Kusa
最悪だから数字出るんだよなぁ
8 :視聴者:03/05(木) 10:05:07 ID:Strm
でも“押さない”に入れれば止まるやん
民主主義や
9 :視聴者:03/05(木) 10:05:33 ID:Liv1
民主主義(投票権:ネット)
10 :視聴者:03/05(木) 10:05:58 ID:Zzz9
普通に通報案件だろこれ
11 :視聴者:03/05(木) 10:06:21 ID:Kusa
通報しても止まらんだろ
相手、世界動かすボタン持ってるんだぞ
12 :視聴者:03/05(木) 10:06:59 ID:Strm
“止められない”って思わせた時点で負け
共犯。
その言葉が胃に落ちた。
配信アンケート。視聴者は「押せ」にも「押すな」にも投票できる。でも投票した時点で、誰もが“参加者”になる。責任が薄まる。罪が分散する。そういう仕組みを、あいつは作ろうとしている。
そして俺は、その仕組みの怖さを――二日前に、SNSで味わったばかりだ。
板を切り替える。
◆【国際情勢・安全保障板】◆
【震撼】自由の女神が消える可能性【NY】
1 :情勢通:03/05(木) 10:12:04 ID:GeoA
リバティ島=ニューヨーク湾
“交換”が実際に可能なら、象徴破壊どころじゃない
米国のメンツが死ぬ
2 :情勢通:03/05(木) 10:12:51 ID:GeoB
北センチネル島はインドの管轄に近い
保護対象+接触制限
交換でNYに来たら、勝手に接触起きる可能性
3 :情勢通:03/05(木) 10:13:20 ID:GeoA
接触=疫病リスク
周辺の治安崩壊
観光地の中心に“禁忌”が来る
4 :情勢通:03/05(木) 10:13:58 ID:GeoC
誰が責任取るんだこれ
5 :情勢通:03/05(木) 10:14:22 ID:GeoB
責任者探しが始まる
前の日本スペインの“保有者”と同一扱いされる可能性
6 :情勢通:03/05(木) 10:15:00 ID:GeoA
同一かどうかは重要じゃない
“保有者という概念”が出た時点で
国家は全員を敵として扱う
7 :情勢通:03/05(木) 10:15:39 ID:GeoC
GWまで猶予があるのが逆に怖い
準備期間=対立期間
俺は、スマホの画面を指で押さえた。息が浅い。
「同一かどうかは重要じゃない」。
その通りだ。世界にとっては、“押せる人間”が存在すること自体が脅威だ。個人の顔なんて後回し。後回しにできないのは、ネットだけだ。ネットは顔を欲しがる。叩く対象が欲しい。
叩く対象。
俺だ。
俺はすでに名乗ってしまった。自分から“席”に座ってしまった。
板を切り替える。
◆【特定・観測板】◆
【分裂】特定を止めるべきか続けるべきか【保有者増殖】
1 :観測者:03/05(木) 10:20:11 ID:Obs1
前のS-J保有者が「特定すんな」って脅して
今度のL/S保有者も同じこと言ってる
これ、同一人物の可能性
2 :観測者:03/05(木) 10:20:44 ID:Obs2
同一じゃなくても組織
“保有者ネットワーク”とかありそう
3 :観測者:03/05(木) 10:21:18 ID:Obs3
特定したらスイッチ失うって
それが一番怖い
戻す可能性が消える
4 :観測者:03/05(木) 10:21:59 ID:Obs4
でも特定しないと止められない
押されたら終わる
5 :観測者:03/05(木) 10:22:33 ID:Obs2
止めたいなら通報して政府に投げろ
ネット私刑は事故る
6 :観測者:03/05(木) 10:23:05 ID:Obs1
政府が止められる根拠がないから
みんな自分でやりたがる
7 :観測者:03/05(木) 10:23:44 ID:Obs5
“特定禁止”って言われると
逆に燃える奴がいるのが終わってる
燃える。
終わってる。
その通りだ。
俺は、胸の奥で何かが硬くなるのを感じた。恐怖が、怒りに変わる前の硬さ。
「兄さん」
紗月が小さく呼んだ。
俺は顔を上げた。妹は俺を見ている。泣きそうなのに泣かない顔。怒っていいのに怒らない顔。
「この人……誰?」
「知らない」
俺は即答した。知らないはずだ。俺はあのメッセージを受け取っただけで、相手の顔も名前も何も知らない。
でも――知らない、で済ませていい相手じゃない。
俺は、自分の“保有者アカウント”にログインした。
DM欄。
昨日から、知らないメッセージが山のように来ている。罵倒。脅迫。泣き言。嘘の情報。全部、ノイズ。
その中に、ひとつだけ、異様に短いメッセージが混じっていた。
送信者:L/S交換 保有者
「あなたを助けたい」
「だから邪魔しないで」
「やり方は嫌われるの分かってる」
「でもこれが一番早い」
俺は息を止めた。
助けたい。
誰が? 俺を?
ありえない。こんな状況で、そんな言葉は罠だ。甘い言葉は疑えって、掲示板でも人生でも何度も見てきた。
でも、文が下手だ。
媚びてない。取り繕ってない。要点だけを叩きつけてくる。
不器用な文字だ。だからこそ、妙に本音っぽい。
俺は打ち返した。
「助けたいならやめろ」
「リバティ島とセンチネルは洒落にならない」
「押したら人が死ぬ」
「お前のせいにされるのは俺だ」
送信。
既読がつくまでが長く感じた。秒だろうに、心臓の音がその間を引き伸ばす。
既読。
返信。
「押さない」
「押せない」
「でも“押せる”と思わせないと止まらない」
「あなたは黙ってる。黙る人が狩られる」
「だから私が燃える」
「あなたは嫌われる席から降りて」
意味が、分かるようで分からない。
黙る人が狩られる。……それは、俺が今まさに味わっていることだ。
嫌われる席から降りて。
俺が座った席。保有者席。責任者席。叩かれる席。
降りられるわけがない。もう名乗った。もうスクショがある。もう世界は俺を覚えた。
「……ふざけんな」
俺は声に出していた。
紗月がびくっとして、俺を見る。
「どうしたの」
「……そいつからDMだ。助けたいって」
「助けたい……?」
紗月の目が細くなった。疑う目。でも、その奥に、わずかな希望の色がある。俺と同じだ。疑いながら、救いを探してしまう。
俺は、もう一度打った。
「燃えるって何だ」
「お前が燃えたら世界も燃える」
「止めるなら他に方法があるだろ」
既読。
「他の方法は遅い」
「遅いとあなたが壊れる」
「あなたは“勝った”って思ったでしょ」
俺の指が止まった。
画面の文字が、一瞬、浮き上がって見えた。
どうして。
どうして知ってる。
誰にも言ってない。口に出したのは独り言だ。録画もしてない。配信もしてない。紗月にも言ってない。
なのに、こいつは――“勝った”を、知っている。
背中に冷たい汗が走る。
紗月が、俺の表情の変化を見て、息を呑んだ。
「……何?」
俺は画面を伏せたくなった。だけど隠したら、もっと怖くなる。
「……そいつ、俺のこと知ってる」
紗月の顔色が変わる。
「知ってるって、どこまで」
「分からない。でも――」
俺は再び画面を見る。DMの続きが来ていた。
「私はあなたを監視してない」
「でも“保有者”は似た匂いがする」
「押した瞬間、世界が裂ける」
「罅割れが見えたでしょ」
俺は、言葉を失った。
罅割れ。
昨夜、俺が見た気がするあれ。
気のせいだと思っていたものを、他人が“当たり前”みたいに言う。
そして最後に、短い一文。
「会って話す」
「一人じゃ危ない」
「でも場所は言えない」
「あなたの妹にも危険が行く」
紗月の名前は出ていない。でも、妹に危険が行く、という言い方が――まるで、紗月が部屋にいるのを知っているみたいに聞こえた。
俺は胸の奥が凍るのを感じた。
ここまで知ってるなら、監視してないわけがない。
それとも、本当に“匂い”なのか。
意味が分からないのに、分かりたくないのに、現実は勝手に進む。
掲示板が、さらに加速する。
◆【オカルト・異常現象板】◆
【確定】スイッチ複数説、濃厚【罅割れ共有】
1 :異常民:03/05(木) 10:33:01 ID:OcuA
L/S保有者が出た
刻印も文面もS-Jと似てる
複数存在で確定っぽい
2 :異常民:03/05(木) 10:33:48 ID:OcuB
“罅割れ”の話してる奴が増えてる
押した瞬間、音が消えたって証言も一致
3 :異常民:03/05(木) 10:34:22 ID:OcuC
保有者同士は感覚共有ある説
だから互いを嗅ぎ分ける
4 :異常民:03/05(木) 10:35:05 ID:OcuA
自由(Liberty)と禁忌(Sentinel)
象徴を選んでるのが不気味
儀式っぽい
5 :異常民:03/05(木) 10:35:48 ID:OcuB
儀式じゃなくて“釣り餌”だろ
国家を動かす餌
6 :異常民:03/05(木) 10:36:12 ID:OcuC
国家が動く=ネット私刑が止まる
つまり保有者は誰かを守ってる
守ってる。
その言葉に、俺の心臓が変な跳ね方をした。
誰かを守ってる?
あいつは俺を助けたいと言った。
守ってるのは、俺か?
それとも――“誰か別の目的”のために、俺を利用しているだけか?
俺は唇を噛んだ。
紗月が、俺の腕にそっと触れた。震えているのは、俺の方か、妹の方か分からない。
「兄さん……その人、ほんとに味方なの?」
「分からない」
俺は正直に言った。
分からない。でも、分からないからこそ、動かなきゃいけない。
俺はDMに打った。
「会うのはいい」
「でも条件がある」
「押すな」
「投票をやめろ」
「今すぐ、やめろ」
既読。
返信は、短かった。
「投票はやめない」
「やめたらあなたが終わる」
「私が悪役を続ける」
「だからあなたは“消える準備”をして」
「消える=逃げる」
「生きるため」
俺は、スマホを握りしめた。
消える準備。
逃げる。
生きるため。
それは確かに、正しい。正しいけど、胸の奥が拒否する。
逃げたら、何も守れない。
逃げたら、あいつが本当に押すかもしれない。
逃げたら、俺は一生「勝った」を抱えたまま生きることになる。
そして、最悪なのは――逃げても逃げても、世界は俺を追う。スクショは残る。名前は残る。匂いが残る。
俺は、息を吐いた。長い息。吐いても吐いても、胸が軽くならない。
紗月が言った。
「兄さん、私……その人の言い方、嫌い。でも……」
「でも?」
「“一人じゃ危ない”は、ほんとだと思う」
妹の声が震えた。
「兄さん、私だって怖い。でも、兄さんが一人で壊れる方がもっと怖い」
俺は目を閉じた。
家族に守られるなんて、情けない。そう思う自分がいる。だけど今の俺は、情けないことを言ってる場合じゃない。
俺は目を開けて、決めた。
「止める」
紗月が息を呑む。
「止める。投票も、配信も、押下も。あいつが本気で助けたいなら、別のやり方を選べるはずだ」
俺はスマホを取って、掲示板の別スレを開いた。運営板――配信プラットフォームの通報や対応を語る板。そこなら、少しは“止め方”の話になる。
◆【配信運営・通報板】◆
【相談】世界改変を煽る配信を止める方法【GW予定】
1 :相談者:03/05(木) 10:48:22 ID:Rep1
L/S保有者の投票配信、通報で止まる?
脅迫・扇動・危険行為だろこれ
2 :回答者:03/05(木) 10:49:01 ID:Rep2
プラットフォームによる
でも「現実の危険が差し迫ってる」なら止まる可能性はある
3 :回答者:03/05(木) 10:49:37 ID:Rep3
問題は証拠
“本当に押せる”ことの証明が無いと
ただの愉快犯として扱われる
4 :回答者:03/05(木) 10:50:12 ID:Rep2
でも前例(日本スペイン)があるから
今回は最初から警戒されるだろ
5 :回答者:03/05(木) 10:50:59 ID:Rep4
警戒される=政府案件になる
政府案件=一般人は巻き込まれる
6 :回答者:03/05(木) 10:51:34 ID:Rep1
巻き込まれてるのが俺なんだよ……
俺は、最後の書き込みを見て、自分が書いたわけじゃないのに、胸が痛んだ。
巻き込まれてるのが俺なんだよ。
……そうだよな。巻き込まれてるのは俺だけじゃない。世界全員が巻き込まれてる。なのに、叩かれるのは“顔があるやつ”だ。顔を出した俺だ。
俺はスマホを置いて、立ち上がった。
窓のカーテンを開ける。久しぶりに外を見る。街はまだ普通だ。コンビニの看板、車の音、洗濯物。世界が壊れた実感がないほど、日常は続いている。
日常が続くからこそ、祭りは続く。
GWまで。
あと、二ヶ月弱。
「期限がある恐怖」は、じわじわ人を狂わせる。
俺は振り返って、引き出しを見た。
S-J交換スイッチ。
俺の罪の塊。
押した瞬間の罅割れ。
勝った、という言葉。
そして今――もう一つのスイッチが、世界をさらに裂こうとしている。
助けたいのに、やり方が最悪な“誰か”。
その誰かと、俺は会うことになる。
会って止められるのか。会って利用されるのか。
どっちでも、動かなければ終わる。
スマホがまた震えた。
L/S保有者からのDM。
「今からは無理」
「GWまでに会う」
「あなたは目立ちすぎてる」
「だから一度、あなたのアカウントを“死なせる”」
「私がやる」
「怒っていい」
「でも生きて」
俺は、息を吸って――吐いた。
アカウントを死なせる。
俺の“保有者席”を壊す。
それは、助けかもしれない。
でも、最悪の方法でしか助けられない、と言っている。
紗月が、俺の顔を見て言った。
「……兄さん、その人、ほんとに不器用だね」
「不器用どころじゃない」
俺は笑えない笑いを漏らした。
「世界を燃やして助けるとか、最悪だろ」
最悪だ。
最悪だからこそ、止めなきゃいけない。
でも――最悪だからこそ、誰かが救われる可能性もあるのかもしれない。
そんなことを考え始めた時点で、俺はもう、普通の人間の感覚からずれている。
俺はスマホを握り直した。
掲示板の一番上に、また新しいスレが立っていた。
◆【配信者・実況板】◆
【投票開始】押す?押さない?【現時点集計】
1 :視聴者:03/05(木) 11:02:10 ID:Liv2
投票もう始まってる
押す 58% / 押さない 42%
2 :視聴者:03/05(木) 11:02:44 ID:Zzz9
やめろおおおおお
3 :視聴者:03/05(木) 11:03:19 ID:Kusa
押す派多くて草
世界終わる
4 :視聴者:03/05(木) 11:03:58 ID:Strm
まだ序盤だろ
押さないに入れろ!
数字が、増えていく。
押す。
押さない。
たった二択で、世界が壊れるかどうかが決まるみたいに、軽く表示される。
俺は、その画面を見つめながら、喉の奥で、昨日の「勝った」と同じ種類の何かが蠢くのを感じた。
勝ち負けじゃない。
これは――人間の悪意と善意が、同じボタンを押そうとしているだけだ。
俺は、スマホを強く握りしめた。
「……止める」
もう一度、口に出した。
自分に言い聞かせるために。
そして、誰にも聞こえないように、小さく付け足した。
「……今度は、勝ったって笑わない」
紗月が俺を見た。何も言わずに、ただ頷いた。
窓の外の日常が、相変わらずの顔で続いている。
その日常の裏側で、世界を決める投票が、静かに伸び続けていた。




