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最後のチャイムまで、僕は嘘をつく  作者: 水前寺鯉太郎
第ニ章

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第十五話:不登校者、母校に帰る —— 繋がれたバトン

第2章第5話:不登校者、母校に帰る —— 繋がれたバトン

四月一日。校門をくぐる僕の足取りは、かつてこの場所から逃げ出そうとしていた時とは、全く違う重みを持っていました。

スーツの胸元には、採用通知と共に届いた銀色の校章。左腕には加藤先生の腕時計。そして鞄の中には、真由美さんから託された、インクを詰め替えたばかりの万年筆が眠っています。

かつて「不登校」というレッテルを背負い、世界の隅っこで膝を抱えていた僕が、あの日、加藤先生に肩を貸したあの廊下を、今度は「教師」として歩いている。この事実に、胸の奥が熱く震えました。

変わらない校舎、変わる立場

職員室の重い扉を開けると、そこには懐かしい匂いが立ち込めていました。コーヒーの香りと、新年度の準備に追われる輪転機の音。

「おはようございます。本日より着任いたしました、高橋です」

僕が声を上げると、一番奥の席から聞き覚えのある大きな笑い声が響きました。

「おお、高橋! 待ってたぞ!」

佐々木先生でした。今は学年主任となった彼は、僕をかつての加藤先生の席——今は僕の席となっているデスクへと案内してくれました。

「いいか、高橋。ここはかつて、最高に往生際の悪い『嘘つき』が座っていた場所だ。お前も今日から、その共犯者の一人だ。しっかりやれよ」

佐々木先生の大きな手が僕の肩を叩きました。その衝撃が、僕に「ここが自分の居場所だ」という覚悟を教えてくれました。僕はデスクに座り、引き出しを開けました。そこには、あの日先生が隠していたノートの代わりに、真っさらな出席簿と、僕自身の新しいノートがありました。

運命の教室、二一三号室

始業式を終え、僕は初めてのHRホームルームに向かいました。

向かう先は、あの二一三号室。加藤先生が最後の「命の授業」を行い、そして僕たちが黒板に大樹を描いた、あの教室です。

廊下を歩く一歩一歩が、過去の自分と重なります。

学校を休み、暗い部屋で天井を見ていた自分。

旧図書準備室で、先生の震える言葉を書き留めていた自分。

扉の前に立ち、深呼吸をしました。

ガラリと扉を開けると、そこには期待と不安が入り混じった顔をした、三十人の生徒たちがいました。

僕は教壇に立ち、チョークを手に取りました。

白く細いチョーク。加藤先生が最期の力を振り絞って大樹を描き、そして僕にバトンを渡した、あの魔法の杖です。

僕は黒板に、大きく自分の名前を書きました。

「……今日からこのクラスの担任になる、高橋です。……実は僕は、数年前、この学校の生徒でした。しかも、ほとんど学校に来ることができない、不登校の生徒でした」

生徒たちの間に、ざわめきが広がりました。

「でも、ある先生が僕に言いました。『君にしかできない仕事がある』と。その言葉があったから、僕は今、ここに立っています。……この一年間、僕はお前たちに、完璧な答えを教えることはできないかもしれない。でも、お前たちが迷ったとき、一緒に悩むことだけは約束する」

僕はそこで言葉を切り、教室の最後列に目を向けました。

そこには、かつての僕と同じように、机に突っ伏し、世界を拒絶している一人の少年がいました。

黒板の隅に、密やかな継承

僕は授業の終わりに、黒板の端に、生徒たちには分からないほどの小さな、けれど確かな筆致で、あの言葉を書き添えました。

『また、明日。』

それは、僕自身の誓いでもありました。どんなに辛い日があっても、明日、この場所で彼らを待つ。加藤先生が、命を懸けて守り抜いた「日常」という名の聖域を、今度は僕が守る番なのだと。

放課後、生徒たちが去った後の静かな教室で、僕は一人、教卓を撫でました。

窓から差し込む夕日は、あの日、先生が倒れそうになった時と同じ、優しいオレンジ色をしていました。

僕は鞄から、あの真由美さんの万年筆を取り出し、自分のノートの最初の一頁を埋めました。

四月一日。放課後。

先生。僕は今日、初めて自分の名前を黒板に書きました。

腕の時計は、今も止まらずに動いています。

クラスに、昔の僕にそっくりな子がいます。

先生なら、なんて声をかけるでしょうか。

僕はまだ、上手な嘘はつけません。

でも、明日もまた、僕は教壇に立ちます。

先生が遺してくれたこの景色を、僕は一生、書き続けます。

チャイムが鳴り響きました。

それは、一人の男の死によって始まった物語が、新しい命の物語へと完全に溶け込んだ瞬間でした。

僕は立ち上がり、真っ白な黒板を見つめて微笑みました。

そこにはもう、目に見える大樹はありません。

けれど、僕の心の中に、そしてこの学校の空気に、あの白い大樹は、今も深く、強く、根を張っているのです。

「……先生。行ってきます」

僕は教室の電気を消し、静かに扉を閉めました。

校門へと続く廊下を歩く僕の背中に、春の風が優しく吹き抜けました。

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