第十四話:受け継がれるペン、未完の物語
第2章第4話:受け継がれるペン、未完の物語
大学の卒業式を終えたその足で、僕は真由美さんの元へと向かいました。
袴姿やスーツ姿の同級生たちが、華やかな喧騒の中で別れを惜しんでいるのを背に、僕の胸にあったのは、一つの「区切り」を報告しなくてはならないという静かな使命感でした。
手には、四年間使い込み、表紙が少し擦り切れたあの黒いノート。そして、その隣には、僕がこの四年間で書き溜めた、新しい三冊のノートを抱えていました。
春の陽光と、変わらない笑顔
真由美さんの家のインターホンを押すと、少しして扉が開きました。
「まあ、高橋くん。卒業おめでとう」
真由美さんは、僕の姿を見るなり、すべてを察したように優しく微笑みました。彼女の背後のリビングには、あの日と変わらず加藤先生の遺影が飾られており、その前には新鮮な春の花が供えられていました。
「真由美さん。無事に、卒業してきました」
「ええ、本当によく頑張ったわね。渉さんも、きっと今頃、職員室の自分の席で自慢げに話しているはずよ。『教え子が一人前の文学士になった』って」
リビングに通された僕は、仏壇の前に正座し、先生に深く頭を下げました。左腕の腕時計は、今も変わらず、一定のリズムで時を刻んでいます。
二つの記録、一つの真実
僕は、抱えていたノートをテーブルの上に並べました。
「真由美さん。先生から預かったあのノート、今日で僕の手元にある役割を終えた気がします。……そして、これが僕が四年間で書き続けた、先生の『続き』です」
真由美さんは驚いたように、僕の新しいノートを手に取りました。
そこには、僕が大学で学んだこと、佐々木先生から聞いた職員室の「優しい嘘」の話、そして、僕がこれから歩もうとしている道への決意が、一文字一文字丁寧に綴られていました。
「先生のノートは、僕にとって『死と向き合うための記録』でした。でも、僕が書いたこのノートは、先生が遺してくれた『生を繋ぐための記録』です。先生が隠し通そうとしたものは、ただの病気じゃなくて、僕たちが明日を信じるための勇気だったんだと、ようやく分かったんです」
真由美さんはページをめくる手を止め、僕を見つめました。
「高橋くん。あなたは、渉さんが一番望んでいた形に成長してくれたのね。……彼はね、自分が死んだ後、あなたが悲しみに暮れることを何より恐れていたわ。だから、あんなに不器用な嘘をつき続けていた」
「はい。でも、佐々木先生からあの日、職員室の話を聞いて救われました。先生は一人じゃなかった。僕も、一人じゃなかった。みんなで先生の嘘を守っていた。その温かさが、僕をここまで連れてきてくれました」
渡された「辞令」
僕は鞄の中から、一通の封筒を取り出しました。それは、四月から僕が向かう場所を示す採用通知でした。
「真由美さん。四月から、僕、あの母校に教師として戻ることになりました。……加藤先生がいた、あの学校です」
真由美さんは一瞬絶句し、それから今日一番の笑顔で涙を流しました。
「そう……。あの子たちのところへ、戻るのね」
「はい。僕は先生のような完璧な嘘はつけないかもしれません。すぐに顔に出てしまうかもしれない。でも、先生が最後の一分間で、チョーク一本で生徒たちに伝えたあの熱量を、今度は僕が伝えたいんです。……『また、明日』と言えることの尊さを」
真由美さんは立ち上がり、棚の奥から古びた万年筆のケースを取り出してきました。
それは、先生がかつて愛用し、インクが切れたまま大切に保管されていたものでした。
「高橋くん。これを持って行って。インクは新しく替えておいたわ。……これからは、あなたがあなたの物語を、そして新しい生徒たちの物語を、このペンで書いてあげて」
重みのある万年筆を受け取ったとき、僕の指先には、かつて先生が教壇でチョークを握っていたときのような、不思議な力が宿るのを感じました。




