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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アリストンネル

【joker】


彼女がアタシをつかまえるのは容易なことのはずだ。アタシは走るのが速くないし、いま履いているブーツは決して走るのには向いていないから。

だけどアタシの後ろで彼女が“鍵”と呼ぶ鋭利な刃物が繰り返し執拗に振り回されても、刃は一度もアタシの身体に当たっていない。

疲れさせた後で、弄り殺そうという算段なのだろうか?

そんなアリスの思惑が伝わってきた気がした。


走る。

走る。

転びそうになる。

体勢を立て直す、走る。


「時間制限はないわよぉ。せっかくだから楽しんで逃げてねぇ」


アリスが後方から勝手なことをほざいている。バカにするな。

急に怒りが湧いてきた。爆発的に。

なんでアタシが逃げなきゃいけないの?

反撃――反撃はできないかしら――


いつものアタシの持ち物じゃないモノが、胸元にあった。

――懐中時計。

くすんだ、古い、真鍮の懐中時計。

文字盤に違和感。

1から13までの時刻を表す数字。そして、反時計回りに回る、針。


手に取ってみた。

 ぶわん

懐中時計が膨らんだ――!

円形の、盾の形をとって、アタシの左手におさまる。

ちょうどいい大きさ。いかにも丈夫そう!


トンネルは、逃げても逃げても変わらぬ風景。坑内に反響する追う者と追われる者の靴音。ブーツを履いた足が痛い。もう何時間――いや、まだ数分? 時間の感覚も狂ってしまっている――逃げ続けているのだろう。

もう嫌だ、疲れた。

埒があかない。

アタシは意を決して反転した。

アリスは、アタシのその動きに呼応して、剣を振り下ろしてきた!

 がちん!

「うおおおおっ!!」

品のない声を絞り出しながらアタシはアリスの剣を全力で押し返す!

そして、そのまま勢いと全体重をのせてアリスに覆いかぶさった。アタシの黒のミニハットカチューシャが外れて落ちる。

アリスの首にかかるネックレス。それを力いっぱい引っ張って、引き千切る!

アタシは汗で髪の毛がぐしゃぐしゃだ。長い髪のせいで視界が邪魔されるが、ヘアースタイルを整えている場合じゃない。奪い取ったネックレスについていた安全ピンを外し、我ながら器用に握りなおす。


「死ね!」


渾身の力を込めて黒いフードからのぞくアリスの首すじにピンの針を突き刺した――突き刺そうとした。

 ぐず……っ

突き刺さったのは、アリスの手のひら。アリスは自らの左手でアタシの攻撃をガードしたのだ。

「そうこなくちゃ……!」

アリスは嗤い、ピンから手を引き抜く。

飛び散る赤い血。

アタシの白いブラウスにも飛び散った。

 ぐっ……

アリスの手が、アタシの首に掛けられた。

すさまじい握力だ。痛い、首の骨が、折れ、る……!!


「素敵なチョーカーね。ねぇ白ウサギさん。“チョーカー”って、“窒息させるもの”っていう意味だって知ってた?」


アリスはそういうと、アタシの唇に自分の真っ黒な唇を重ねた。

「?!」

あらがえない。アリスの舌がアタシの口の中に侵入してくる。

息が……でき、ない――



【white】


アナタは携帯を開いている。

携帯には文字が並んでいる。アナタが読んでいるのはケイタイ小説『アリストンネル』。

電車は揺れながら進んでいる。アナタと何人かの乗客を乗せて。


「いつかは出て来れるかもしれないけどね。でも……そのときは、アナタはアナタじゃなくなってるかも。このトンネルに長くいると、魂が黒ずんでいくから。邪悪の色にね」


不気味で、変な小説だ。

どうしてアナタはこの小説を読もうと思ったのだろう。思い出せない。

独りで買い物に行く途中だった。

アナタは可憐なロリータガール。孤高な魂を守るため、本当の自分を解放し疾走させるために、そのためにはロリータで武装するしかない。


今日身に纏いし服は、白のフリルブラウスに、黒のコルセットワンピース。拘束具のようなベルト。白と黒のボーダーのニーソックス、黒のブーツ。首には黒い革のチョーカー。背中まで伸ばした艶やかなまっすぐな黒髪に、黒いお人形さん用の小さな帽子のついたカチューシャ。

甘ロリや、姫ロリは、アナタの魂にはそぐわない。アナタはやはり、ゴシックアンドロリータを身に纏ってこそ本来の姿となる。


がたんごとんと揺れて進む列車。

とたんに襲い来る睡魔。

世間の喧騒が遠くに離れてゆく。

アナタは昏睡状態に落ちていった――。



【spade】


「嗚呼もう! ぼんやりさんもいい加減にして。ちなみに、アタシ、一応こういうモノも持ってるんだけど」


執拗にアリスと名乗り続けるオンナが、何処から取り出したのか、銀色のなにかを、騎士が剣を構えるように構えた。


ロングソード……? ゲームとかに出てくる、西洋の剣だ。


「剣じゃないわよ、無粋ね。これは“鍵”。扉を開くカギよ」


鍵……とアリスは云ったが、鋭利な刃物はどう見ても武器だ。


「アナタが逃げないのなら、もうこの場でアナタを殺してもいいのよ。別にそれはルール違反ではないから。非道く待ったわりに、あっさり終わらせちゃうのは、ちょっともったいない気もするのだけれど」


アリスが、アタシに向かって歩いてきた。


やばい。

殺される。

直感で悟った。この殺気は本物だ。


アタシは駈け出した。ブーツが走りにくいなんて云ってられない。


摑まったら、殺される。


「嗚呼……わくわくしちゃう」


アリスが恍惚とした声を漏らした。



【blue】


気づくとアタシは、トンネルの中にいた。

そう高くないアーチ型の天井。煉瓦の壁。数メートル間隔で灯りがともっている。

――あれ? さっきまで、アタシ、たしかに電車に乗っていたよね……?

頭がぼんやりしていて、ついさっきのことも思い出せない。記憶がさかのぼれない、と同時に、異様に――この感じ、前にもなかったっけ――デジャヴの感覚も走り抜ける。思考が、バラバラのパズルピースのように散らばってしまっている。

嗅いだことないけど、クロロフォルムとか嗅いだら、こんな風になっちゃうんだろうか。

アタシはそんな呑気なことを思っている。


いま置かれている状況について、いろいろ考えてみた。でも、さっぱり解らなかった。解らないなら仕方ない。先へ進もう。

アタシはトンネル内を進む。坑内に響き渡ってゆく、アタシの足音。

トンネルは一方通行。アタシは独りぼっち。


そこに、声が聞こえた。

淫猥な声質の、耳にまとわり忍び込むような声が。


「ようこそ、アリストンネルへ。歓迎するわ、白ウサギさん」



【club】


アタシには確かな勝算があった。


脚力は実は互角なのだ。アリスも、白ウサギも。

なら、スタートの時点で立ち位置がわずかでもゴールである“お城”に近い白ウサギの方が、摑まるよりも速くゴールへ辿り着ける。


わき目も振らずに、走り続ければ。


アタシはそうした。


アリスは必死でついてきた。だけど、追いつけはしなかった。


アタシの目の間には、念願の、夢にまでみたお城の庭が広がっていた。

咲き誇る赤と白の穢らわしい薔薇がアタシを祝福している。


勝った。


身体と心を構成する組織が全部組み替わっていく。


久しぶりの娑婆?

それとも初めての世界?

どちらにしても嬉しい。

どう表現していいんだろう、この解放感――!


「左様なら、アリス。そして、忌まわしいアリストンネル」


アタシの魂は、歓喜にうち震えた。



【heart】


全身全霊、必死になって抵抗を試みるアタシ。

自分の口の中を蠢くアリスの舌に、決死の思いで噛みつく!

「っ……!」

成功した――?!

アリスの口元から、赤い血が滴った。

「やるわねぇ白ウサギさん。でも、ご免なさい。今度は手加減なしに一気に殺してあげるわ。死因が“KISS”なんて、ロマンティックじゃない?」

 ぐいっ

身体を引き寄せられた。

再び唇を奪われる。

「うぅ……ん!」

鼻から、死に物狂いで空気を吸いこもうとする。

「……んぷ!」

漏れた声は、アタシのものだったのかアリスのものだったのか。

解らない。

アリスは、無慈悲にも、アタシの鼻に指をかけ、強くつまんだ。

口はアリスの口にふさがれ、鼻は指で抓まれて完全にアタシの身体は酸素の供給経路を失った。

肺が二酸化炭素だらけになってゆくアタシの身体は、すぐに活動限界を迎える。

苦しい。眼球が飛び出してしまうそうだ。

呼吸、完全停止。頭がガンガン痛み出す。鼓膜が破れる。本当に、頭が割れる。


“死”


鼻血がこぼれる。


死の実感が襲いかかってくる。


アタシは、これから死ぬのだ。意味もわからず。


漆黒の帳が下りてきた。


窒息死。


なんて無残な死因だろう。


そして、

アタシは、

アリスに、


――息の根を止められた。



【red】


そこに立っていたのはオンナだった。

街で見かけたことのないタイプのゴスロリスタイル。全身真っ黒。胸元が大きく開いている。その胸元に巨大な、安全ピンをモチーフにしたネックレスが目立っている。編み上げのロングブーツだけが炎のような赤。ブーツの底の部分と靴紐も真っ黒。

西洋の魔女と女王様をミックスしたようなシルエット。黒いフリルのついたフードを目深にかぶっていて目より上の表情が見えない。唇はブラックのリップが塗られ、そこから赤い舌が猥褻な動きで覗いた。


「さぁ――追いかけっこを始めましょうか、白ウサギさん。アタシの名前はアリス。アナタを捕まえたら、アタシの勝ち。アナタが“ゴール”に辿り着けたらアナタの勝ち」


意味不明なことを云う。ナニヲ、イッテイルンダ、コイツハ?


「何をわけ解らないこと云ってるの?! ここはどこなの? 悪ふざけならよして! 帰してよ!」


アリスと名乗る黒い女は嗤った。


「あらまぁ。お下品な声を出さないで、白ウサギさん。追いかけっこは、このトンネルの――この世界の唯一絶対の掟。ルール。ここにはダイスもチェスもないわ。あるのはトンネルの壁と、トンネルの先にあるゴールだけ。ここには他には誰もいない。いるのはアナタとアタシだけ……」


囁くように、歌うように話すオンナの言葉はまるで煉獄に響き渡る呪詛の言葉のように聞こえた。


なんだか本当に、頭がぼんやりと――ぼんやりなんてレベルじゃない。頭が空っぽになってゆく感じ――怖い。


「はぐらかさないで答えてよ! ここは何処! アナタは何者?!」


「ここはアリストンネル。アタシはアリス。アナタは白ウサギ。もう、元の名前も思い出せないんじゃない? そのうちに、記憶の旋律も響かなくなるわ」


たしかに……、アタシ……なんて名前だったっけ……?

このオンナと、いつ出遭ったんだっけ……?



【black】


アタシは握っていた携帯電話をすぐに閉じた。

電車の速度が遅くなってくる。

もう、目的地に到着だ。

アタシは意気揚々と、電車を降りることにした。


さぁ。どんな服を買おう。


嗚呼、……わくわくしちゃう。



【dia】


気がつくとアタシは、アリスになっていた。


「はい。代わってね。よろしく、アリス。アタシは白ウサギ。追いかけっこを始めましょう――」


アタシと白ウサギの追いかけっこがはじまった。


白ウサギは、一目散にゴール目がけて疾走した。

追いつけるわけない――。


アタシは、白ウサギを取り逃がしてしまった。




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― 新着の感想 ―
[一言] 作品何度も(笑)拝見しました。並びを考えながら!でも並び替えずに、そのまま読む方が好きかもしれないです。頭の中で、あっちこっち飛ぶ感じで! アリストンネルは、エンドレスかな? さすらいさ…
[良い点] 何が何だか目の回るような光景が面白い。 小説だからちんぷんかんぷんになるのであって、多分絵に置き換えたらかなりすっきりするんだろうな。 現実なのかそれとも夢の中なのか。 確かに悔しいくらい…
[一言] まず、真っ先にはこう思いました。 ずるーーいッッ! 文字数とか。 携帯なので総合では分かりませんが、中間辺りでもう信頼していました。 この方は絶対考慮していなさる。越えていない。 何故…
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