スカートと尊厳が濡れた日
私は今――とんでもないピンチに陥っている。
教室のいちばん後ろ、左端の席。人数の都合で隣には誰もおらず、絶好の“孤立ポジション”だ。普段なら気楽な席だが、今日は違った。
問題は……私が、漏らしてしまったということである。お小水を。
物語なら、そこに至るまでの我慢大会を描写すべきなのだろう。だが、残念ながらこれは現実だ。私はすでに、やらかしている。完了形で。
花も恥じらう乙女たる私が、今この瞬間、べつの意味で恥じらいに震えている。
周囲を見回す。幸い、ここは全席から死角。しかも今は数学の授業中で、先生は黒板至上主義。生徒を見回ることなどほぼない。
つまり、まだバレてはいない。
だが、だからといって安泰ではない。椅子を引いたら染みが露呈するし、授業が終われば立たねばならぬ。そのとき、すべてが終わる。
逃げるか、誤魔化すか、それとも……なかったことにするか。
この状況は、まさに詰み。王が四方を囲まれ、逃げ道はない。
唯一の救いは、まだ誰も気づいていないこと。それだけが、かろうじて私の尊厳をつなぎとめている。
■現在の私■
所在:教室最後列・左端
状況:お小水、漏らし済(完了)
被害範囲:スカート→椅子の座面→一部床
視線:ゼロ(今のところ)
授業:数学(先生、巡回なし)
(……このまま授業が終わるまで耐えるのはムリ。ていうか広がっていく……!)
そして何より――
私のプライドが死ぬ。
(くっ……神はおらぬのか……)
私はカバンの中を探る。
ティッシュ、数枚。プリント数枚。ペンケース。中身は消しゴムとシャープペンだけ。こいつらでは尊厳は守れない。
だが、そこに希望の光があった。
――ペットボトルである。
カバンの横ポケットに刺さったままの、半分だけ残ったお茶。
ここで私は考えた。
「事故に見せかける」作戦。
ペットボトルを“うっかり”倒し、机から椅子、床まで濡れたように演出すれば、すべてを「お茶」で済ませられるのでは?
問題は、なぜ倒れたのか? ということ。
よし、肘でぶつけたフリをしよう。
私は深く息を吸い、周囲を確認し、静かに“演技モード”へ入った。
「……あっ!」
――カランッ!
絶妙な音を立てて、ペットボトルが床に転がる。
机から椅子、床へと、お茶がこぼれて――いない。
(……よし、完璧……じゃない!?)
一瞬の勝利感が、急激に冷めていく。
……お茶が、こぼれていないのだ。
(ま、まずい!)
――フタを開け忘れていた。
床に転がるペットボトルは、しっかりと密閉されたまま、誇らしげに転がっている。中身は、まったく、出ていない。
私は青ざめた。
このままではただの「ペットボトルを落とした人」である。いや、それどころか、スカートだけが濡れている人になってしまう。
(ダメ! 早く拾って……フタ開けて、こぼして、間に合わせないと……!)
私は焦りながら、椅子から身を乗り出した――そのとき。
ガラッ。
教室の扉が、無慈悲な音を立てて開かれた。
「すみませーん! 水希ちゃんの携帯、職員室に届いてたんだけど~」
……水希ちゃん。つまり私である。
教室中の視線が、一斉に私へと注がれる。
そこには、スカートを濡らし、汗だくの顔で妙にニヤついている少女――私の姿があった。
……神よ、せめてあと十秒、黙っていてほしかった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。気に入りましたら、ブックマーク、感想、評価、いいねをお願いします。
星5評価をいただくと飛んで喜びます!