打ち上げ花火を見る
七月の最終週の土曜日に、隅田川の花火がある。あるのだけど、今年は台風の影響があって一日ズレて日曜日の開催となった。というわけで、今日は七月二十九日の日曜日。
モアはおばあさまにヒマワリ柄の浴衣を着せてもらって喜色満面。ごきげんな時の合図として「ふんふん!」と鼻を鳴らしている。この浴衣も真尋さんのもの。ただし、下駄ではなくサンダルを履いている。これは家を出て数歩で鼻緒の前の部分で足の親指と人差し指の間が擦れて皮が剥がれ、泣く泣く家に戻って履き替えたからだ。普段から履き慣れているわけではないからさ。しょうがないよ。
「タクミ!」
「うん?」
ぶっちゃけ花火大会なんて花火そのものより人の頭を見るようなもんなので、モアが花火大会の開催を知って「花火! 見たいぞ!」と言い出さなければ、例年通り家にこもっていたと思う。中継を見ていれば十分。見なくてもいいぐらい。宇宙人には物珍しさのあるイベントかもしれないけど。……まあ、今回は多少無理してでも、場所取りする気はあったよ。ほんのちょっとだけ。
でもさ、今年は強力な助っ人が現れたんだよ。おばあさまの昔からのご友人の轟さんっていう、去年までの俺には存在していなかった選択肢。
轟さんの持ちビルの屋上から花火が見られる。人混みに巻き込まれながら首を痛めつつ見上げる花火より、特等席から眺める花火。場所代として、モアとおばあさまは朝からオードブルを用意した。俺がその屋上特設会場までの運搬役を担当する。
「手をつなぐぞ!」
行き交うカップルが手をつないでいるのを見て、そうするのが正しい姿だと判断したらしく、モアがその右手を差し出してきた。俺の左手には料理が詰まった結構重めな保冷バッグ、右手で握られたスマホにはおばあさまに教えられた轟さんの家までの道案内図を表示している。さてどうしたもんか。
「モアって、地図読める?」
「読めるぞ!」
「宇宙の果てから地球まで来てるんだから、四方谷家から轟家までの移動も余裕か」
「任せてくれ!」
俺はスマホをモアに託し、空いているほうの手を掴んだ。
この数分後、俺はなぜモアにスマホを渡してしまったのかと後悔することになる。
「えーっと?」
「ここ、さっき来なかった?」
「気のせいだぞ!」
絶対気のせいじゃないぞ。
あー、もう。終わりだよ終わり。スマホ返してくれよ。
おんなじところをずっとぐるぐる回ってるだけじゃん。
「こっちのような」
スマホの画面を見ながら、フラフラと進んでいくモア。引っ張られてついていく俺。その先にあるのはコンビニ。モアが「ちょうどいい! のどが渇いたから飲み物を買うぞ!」と吸い込まれていく。そうじゃあないだろ。もうとっくに着いてなきゃおかしいんだよ。
「あららーん?」
いいところに弐瓶准教授がいた。花火大会当日だけど浴衣ではなく普段通りの、いわゆるオフィスカジュアルみたいな服装をしている。レジで会計を済ませて、店を出ようとしたところでばったりと。
「花火デート? にしては、大荷物じゃーん?」
デートらしからぬ荷物だよな。デートに釣り用のクーラーバッグみたいなものを持ち歩く男、釣りデートぐらいしかないだろ。デートっぽいものも持ち歩いちゃいるけどさ。
「おばあさまのお知り合いのところで、花火を見るので」「ここには我が揚げたからあげが入っているぞ!」「まーじ? いいなーん」
というか、弐瓶准教授の彼氏さんはどうしたんだろ。
モアも気になったのか「ユニは一人か?」と聞いてくれた。
「そだよー」「なら、一緒に来るといい! パーティーは大勢のほうがより楽しいらしいぞ!」
あ、そうなる? モアからの申し出に、弐瓶准教授も「ええっ?」と困惑気味だ。でもどこか、誘われたことに喜んでいるようにも見える。
ここでパーティーメンバーが増えるか。俺は、……まあ、別にいいけど。おばあさまはどうかな。あの人もその辺ウェルカムだからいけそうか。英伍さんが家に来た時みたいに、確認はしないとな。
「それなら、おばあさまに連絡しておかないと」
よし。スマホを取り返した。モアからは「あっ」と言われたけど、自然な流れだよ。俺からおばあさまに連絡するのは何もおかしくないし。ついでに地図アプリを開く。
「全然場所違うじゃん」
やっぱりな。迷子になってたよ。それでもモアは「寄り道したからユニが花火パーティーに参加できるのだぞ!」と言い訳した。まあ、それもそうか。うまく言いくるめられたような気がしなくもないけど。
弐瓶准教授にはバイトの件でもお世話になっているし。この際だからおばあさまにも紹介しよう。モアとそっくりなのを見て、どう反応するかな。
「お邪魔しまーす!」
弐瓶准教授がチームメンバーに加入してからは迷わずに目的地に辿り着けた。地図が読める准教授。いつも通りにモアが元気よく挨拶して「お邪魔します」と俺が続く。弐瓶准教授もぺこぺこお辞儀しながら「お邪魔させていただきますー」と上がっていく。
「あらあら! モアちゃんの双子のお姉さんみたいね!」
おばあさまに弐瓶准教授の写真のほうは何度か見せていたけど、改めて実物と偽物とで二人が横並びになると髪型と服装とで間違い探しだな。モアが「うむ! 我のコピー能力は完璧だぞ!」と自身の宇宙人としての力を誇って胸を張る。
「お姉さん、ですか?」
「准教授さんのほうが、こう、雰囲気が落ち着いていらっしゃるから。准教授さんはお飲み物、何がいいかしら?」
「え、ええと、ビールがあればビールがいいです」
落ち着いていらっしゃる。まあ、そうよな。神佑大学の准教授になるような人だもの。きっと将来的には我が国を代表する研究者として、今よりも有名になるんだろうな。
――という評価は、小一時間後に覆った。
「もっと、もっとよ! もっと酒持ってきなさい!」
「ユニ、顔が真っ赤だぞ!」
「お代ならいくらでも払うよーん! ブイブイ! からあげもおいしー! 持ち帰っていいのん? やったやったー!
「気に入ってくれたのは嬉しいが、持ち帰っていいとは言っていないぞ!」
「そんなーあ! ケチケチ!」
落ち着きとはなんだったのか。花火が打ち上がる前に酔っ払いが出来上がってしまった。おばあさまたちが「いい飲みっぷりね!」とか「いいぞいいぞ!」とか煽るのも悪いよ。場の流れで俺のコップにも酒が注がれそうになるけど、断った。これでも未成年だからさ。なまじ身長があるから成人済みに見られるんだよな。父親からは「酒は飲める年齢になってもやめとけよ。おれが弱いから、遺伝的に弱いと思う」って言われてたし。タバコはいいのかタバコは。
遺伝って考えると、俺の母親のほうはどうだったんだろ。瞳のオレンジ色が引き継がれているっていうんなら、身体的特徴は母方が強いのかな。体質まではわからないけど。でも身長は間違いなく父方からか。まだお会いしていない姉の十文字零さんは高身長モデルだしさ。
「我も、一口ぐらいなら飲んでもいいか?」
「やめとけ」
見た目は弐瓶准教授だから、とはいえ、酔っ払い二号が生まれても困るし。宇宙人の身体とアルコールが掛け合わさって未知の化学反応が起こったら、手に負えなくなる。もし人間よりも酒に酔いやすくて、急性アルコール中毒でも起こされたらめんどくさいしさ。飲まないほうがいいよ。
「これから花火を見るんだろ」
モアは「うむ!」と頷いてから「こっちが会場の方角だぞ!」と俺の手を引いて花(火)より団子とばかりに食って飲んでしている集団から離れていく。
そろそろ打ち上げ開始か。
「あの星が、ベガ」
「へえ……よく知ってるな」
夜空の一部を指さす。俺が雑に褒めると「プラネタリウムで学んだぞ!」と返してきた。そういやそうか。俺は眠くなるからってんで辞退したからな。プラネタリウムって、そういう星々の話をしてくれるよな。星座の話だったり、伝承の話だったり。昼飯食べながら話してくれたっけ。
「ベガとアルタイル、織姫と彦星、我らのようだ」
「……そうか?」
そんな、一年に一度しか会えないような関係性じゃあなくないか。
モアって案外ロマンチストなの?
「いずれは手中に収めるこの宇宙。まずはこの天地、七つの海を我は統べる者」
「急にゲームの魔王みたいなこと言うじゃん」
「恐怖の大王だぞ!」
そうだっけか。そういえば、そうだった気がする。俺の目に映り込むモアは、そんな大それた力を持っていそうな、仰々しい存在ではない。普通よりもだいぶ可愛い女の子。頑張り屋さんで、努力家で、いつでも全力でいろんなことに取り組む、好奇心旺盛で、――地球じゃあないところから地球にやってきた俺の彼女。小さな身体をうんと伸ばして、夜空に手を伸ばしている。
「これから人間が、この夜空に、刹那の星の瞬きを増やすのだな」
花火をそんな言い方する人、なかなかいないんじゃあないの。どうなんだろ。そういう日本語ってどこで学ぶんだろうな。真尋さんの部屋の本に、そういう一節があったのかもしれない。
俺に背中を向けて、屋上の鉄柵にひじをのせると「我らを祝福するように」と続ける。……もしかしてだけど、バレてんのかな。隠し通してきたつもりだけど。暗に腹を括れって言われてんの?
「あのさ」
始まってから渡そうかと思っていたけど、今でいいか。今でいいかっていうか、今渡さないと花火の音がうるさくなって何を喋っても相手には何も聞こえないみたいな事故が起こりそう。そういうのあるよな。何事もタイミングが大事。というわけで、覚悟を決めろ参宮拓三。
「受け取ってもらえる?」
指輪。四月からバイトを始めて、五月分と六月分と今月分の給料の一部で買ったものだ。 どんなものがいいかどこで買ったらいいか、てんでわからなかったから、おばあさまにアドバイスをいただいた。相談されたおばあさまも「モアちゃんには内緒ね」と俺がわざわざ言わずともその意図を理解してくれている。
それからサイズをこっそり計測してくれたり、予約の電話をしてくれたりと協力的だったおあばさまだけど、購入資金の援助は断った。俺がモアに渡したくて買うのだから俺の働いたぶんから全額出すのが筋だと思う。――まあ、そのぶん、すんごい高いものは買えなかったわけだけど。これでも予算オーバーなぐらい。
「おおー!」
振り向いたモアは、俺の手のひらの上の小さいケースを見て「我に? 我に?」と自身を指さす。他に誰がいるんだよ。俺の目の前にはモアしかいないだろ。
「これからも、俺と一緒にいてほしい」
「?」
あれ、違う?
「これは、その、これまでのお礼というか、俺からの気持ちみたいなものだよ」
と付け足すと、モアは「我とタクミはいずれ結婚するのだから『これからも一緒』なのは当然だぞ!」と、何を今更と言いたげな調子で答えた。そうだったな。あれっ、みたいな顔をするわけだよ。
「付けても?」
「いいよ」
どこで学んだのか――おそらくはおばあさまと二人で観まくっている映画の影響だろう。俺もたまには一緒に観ているけど。――迷いなく左手の薬指にはめた。愛おしそうに眺めて「侵略完了」と呟く。
そして、二〇一八年の隅田川花火大会は始まるのだった。