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振り返ればそこにいる

 祝日の不忍池(しのばずいけ)には、多種多様な人間がいる。各々がそれぞれの祝日を満喫しているようで、三月九日にこの場所で起きた不可思議な事故など、風化して、とうの昔の出来事として忘れ去られてしまったかのようだった。


 まあ、俺だっていまだに信じられないのだけど。


 どれほど信じられないことでも、俺の父親と、父親の再婚相手の真尋(まひろ)さんと、真尋さんの連れ子の一二三(ひふみ)ちゃん――この三人の命が失われたのは、確かなことだから。


「俺はいま、四方谷(よもや)さんの家に住んでいる」


 俺の名前は参宮拓三(さんぐうたくみ)。亡くなった三人と過ごしていた家ではなく、真尋さんのご実家であるところの四方谷家――俺の立場から考えると、母方の祖父母の家で暮らしている。と、池に向かって話しかけた。


 小学校の頃に「自分の名前の由来を親に聞いてみよう」という宿題が出たことがある。父親に聞くと、父親はむすっとしてスマホを取り出した。ぽちぽちと操作して、誰かにメッセージを送ったようだ。なんだろうか。画面をのぞき込もうとした視線に勘づかれて睨みつけられた。俺はそっとその場を離れる。


 夕食の時になってようやく「さっきの質問だが、お前にはお前と母親の違う兄と姉がいて、おれにとっては三番目の子どもだからだ」としたり顔で答えてくれた。とはいえ、提出する時には「ありのままを書いてしまうと担任からあまりよく思われないのではないか」と、当時の俺なりに危惧して「画数が良かった」という嘘の理由をでっちあげておく。……顔を知らない兄と姉が、この世のどこかにいるのだと思うと、なんだか心強いような気がした。


 その腹違いの兄の五代英伍(ごだいえいご)さんとは、葬式で知り合うこととなる。母方の祖母が娘である真尋さんを亡くして泣き崩れてしまい、俺は非常に居づらくしていると「よお、拓三! アニキやで!」とあちらから気さくに話しかけてきてくれた。苔むしたような髪色の長髪を一つに束ねていて、遠目には女性に見えた。近くで見れば確かに男性らしい体型で、面長で鼻筋が通っており、目が細い。なんでも、生前の父親から「おれが死んだらお前の弟の拓三を頼む」と頼み込まれていたのだとか。


 俺が東京の上野にある四方谷家に身を預けて、なおかつ、当初の予定通り神佑大学へ入学することとなったのは、英伍さんが祖父と話をつけてくれたからだ。普段は関西のほうの製薬会社で働いており、いますぐに仕事を辞めて東京に住むわけにもいかない。俺は神佑大学に通いたいから東京を離れたくない。父方の祖父母はすでに他界している。親戚はいない。高校を卒業したばかりで、一人で生きていけるほどの生活力もない俺が放り出されずに済んだのは、不幸中の幸いだった。


 姉とはまだ会ったことはないけど、英伍さんから写真を送りつけられた。十文字零(じゅうもんじれい)という芸名で、モデルをしている。そんな職業だから写真はいくらでも出てきた。直接話をしてみたいけど、多忙な人らしい。兄とも年に数回顔を合わせるか合わせないかぐらいなのだと英伍さんからぼやかれた。年齢は俺より上で、英伍さんより下。――まあ、俺が三番目だから、俺より年下ってことはないよ。綺麗な洋服とアクセサリーで着飾った異母姉の姿からは俺との血の繋がりは感じられなかったけど、英伍さん曰く「似とるやろが」らしい。他人から「かわいい」と評されたことはあれど「女顔」と言われたことは過去一度もないので、英伍さんの目がおかしい。


 今度また東京に出張で来るというので、その時に会う約束になっている。


 俺の実の母親――俺の父親にとっての二人目の妻。一人目は英伍さん兄妹の母親――は俺を産んでから間もなく行方をくらませてしまったらしい。らしい、というのは俺が直接この目で見たわけじゃあないからってのと、この蒸発を父親からではなく母親を担当していた医者から聞いたからだ。父親が写真やら映像記録やらを全て捨ててしまっていて、俺の母親は俺の想像上にしかいない。一切のデータを残していないんだから相当だよ。


 橙色の瞳は母親譲りらしい。それは父親からも幾度となく言われた。が、逆を言えば、それぐらいしか母親に関する手がかりはない。探そうにもヒントがなさすぎるので、半ば諦めている。会いたくないのかと問われれば、違う。会いたい。なぜ俺を見捨てたのかと問い質したい。きっと父親の側に理由があるんじゃあないかと睨んでいるけど、死ぬ前に心当たりはないかだけでも聞いときゃよかったな。


 ごくありきたりな、幸せそうな家族連れを見るたびに、どうして俺がああはならなかったのかを考えてしまう。父親が再婚して、真尋さんと一二三ちゃんと、四人家族になって、ようやく〝普通〟の家族らしくなった。俺がこの十八年間望んでいたもの。手に入ったのに、事故のせいで、失われてしまった。どれだけ悔やんでも、失ったものは取り返せない。ゲームじゃあないから死者蘇生はできない。この世界に魔法はない。


 二〇一八年三月九日の金曜日。その日、俺は高校の卒業式だった。高校の卒業式ともなると、保護者が来ていないやつも多い。だから、俺の家族が来ていなくともおかしくはなかった。父親が再婚したのは三月四日。真尋さんからしたら、再婚相手の息子の高校の卒業式なんて興味ないよ。父親と真尋さんより、俺と真尋さんのほうが年齢が近いぐらいだし。……いま考えると、土下座してでも来てもらったほうがよかったんじゃあないかと思う。後悔しても遅い。


 事故が起こった。この不忍池にタコの怪物が現れて、父親と真尋さんと一二三ちゃんをその触手で池に引きずり込んだ。目撃証言によれば、触手に捕まった俺の父親は「フランソワ、助けてくれ!」と叫んでいたというが、その〝フランソワ〟が何を指しているのかはわからない。助けを求めているのだから人名の可能性は高いけど、父親の知り合いにそんな洒落た名前の人、いたか?


 ともかく、体長五メートルほどで、吸盤の並び方が均一なことからメスと推定されるタコの怪物は三人を襲った。他の人間には危害は加えず、そのままぶくぶくと池の中に沈んでいく。


 その後の捜査で三人の遺体は発見された。しかし、父親のスマホと、そのタコの怪物は見つかっていない。この事故はニュース番組やワイドショーで話題にされ、ネット上で目撃者が撮影した動画や写真が拡散されて、しばらくはこの辺も立ち入り禁止にはなっていたけど、今はもう――


「そんなに我のことを想ってくれているなんて嬉しいぞ!」「!?」


 振り向く。そこには満面の笑みを浮かべた女性が立っていた。俺が四月から通うこととなる神佑大学の、言わずと知れた有名人、弐瓶柚二(にへいゆに)准教授だ。赤茶けたショートボブに、丸みを帯びた輪郭、チワワのような潤んだ瞳、低めの身長と、目につくのは大きな胸。


「うむ。我はいま、ユニの姿をしておる。ブイブイ!」


 胸を見ていたら、屈んで俺と目を合わせ、両手でブイサインを作ってきた。上は白いカッターシャツに、下は水色のマーメイドスカート。セリフに引っかかるところが数点ある。それに、准教授が面識のない入学前の学生に声をかけるか?


「初めまして、ですよね? 弐瓶准教授」「いいや、我はアンゴルモアだぞ!」


 今なんて?


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