第29話 あたしらしく
2人の姉妹が長銃を持って向かい合う。
距離は約3メートル。昼間と同じく、射撃ではなくて銃剣による模擬戦だ。
もう夕日は半分ほど地平線に姿を隠しつつある。
その光で赤く照らされたハトリは運動服の上着に手を掛けると、その前を大きく開いた。
「……?」
中尉が訝しむように目を細める。学院の運動服は防御性能が高く、一番上まで閉めることで万が一の事故を防ぐことができる。
それを喉元から胸までを大きく開くと、涼しくはなるかもしれないが――
(訓練用でも銃剣が当たればタダじゃ済まないぞ……)
不安が胸を満たしそうになるが、静かに息を吐いてそれを追い出した。
ハトリにはなにか考えがある。
なら、それを止めるわけにはいかない。
「それでは、構え」
オルスタ隊長のかけ声で中尉が長銃を槍のように構える。
だが、ハトリは右手に持った長銃をだらりと下げ、左足をわずかに前に出しただけだった。
「……どうしたのですか。構えなさい」
と視線を鋭くしながら問う中尉に、ハトリは、
「大丈夫、もう構えてるよぉ」
と笑った。
その声と表情に、ぞくりと背筋が震える。
余裕に満ちた声であり、なんの気負いもない、むしろ軽く脱力した自然体の立ち姿。これから戦うとは思えないゆったりとした雰囲気は、反対に緊張感を帯びた中尉と相まって、ハトリの異常さを際立たせている。
(ハトリ、お前……)
そして眼だ。これまでずっと他人の前で伏し目がちだったハトリが、はっきりとその両目を見開いて、目の前の中尉を見つめている。
「……はじめ!」
号令と同時に、中尉が一歩踏み出す。
無防備な喉元へ最短距離、一直線の突き。
寸止めする気が一切感じられない、殺意すら込められた一閃がハトリに迫る。
「うふふっ」
だが、ハトリは体を軽く傾けただけで、剣先からするりと身をかわした。
「シィッ!」
避けられることは織り込み済みだったのだろう。中尉はすぐに銃を引き、次は胴に向けて狙いを定める。だが、
ダァン!
銃声が響く。ハトリの長銃から硝煙が立ちのぼり、中尉の半歩後ろの地面が抉られていた。
2人の長銃には模擬戦用の弾性弾が装填されている。
これを撃つこと自体は反則じゃない。不用意に離れれた相手は容赦なく撃つのが帝国式の銃剣模擬戦だ。でも、
(片手で撃った……!?)
ハトリは傾いた体勢からろくに狙いもつけず、右手だけで持った銃を撃った。下手をすれば反動で手首を痛めるが、そんな様子はない。
そして撃たれた中尉はかろうじて射線から身を外していたが、体勢が崩れて追撃が遅れている。そこへ、
「そぉれっ!」
くるりと長銃を反転させたハトリが、銃床を振るって打撃にかかる。狙いは側頭部。
しかし中尉も見事なもので、
「くぅっ……!」
自分の長銃を盾代わりにして、上へと受け流す。
殴りつけた力の向きを狂わされたハトリは、そのまま体勢を崩し、
「たあァッ!」
その脇腹に中尉の剣先が突き立てられた。
――ように思えたが、
「あはははっ!」
勢いを殺さずぐるりと体を回転させ、ハトリはその切っ先を外側に弾く。多少は刺さっているかもしれないが、服でほとんど防いでいるだろう。
「なっ……!?」
驚きで目を見張る中尉の額に、ハトリが逆さに持った長銃の銃口を、見もせずに向けていた。帝国式の長銃は次弾を装填するためにレバーを引かなければいけないボルト式だ。一体いつの間に再装填した?
ダァン!
再び銃声がなる。
顔をのけぞらせた中尉の前髪が、かすめた銃弾でぱっと数本散る。
〈加速〉系の【魔法】なしで、すばらしい反応速度だった。
そのまま銃を構えてハトリの胸を狙い撃とうとする。
でも――
「おーしまいっ」
中尉が射撃体勢に移るよりも早く、ハトリの銃剣がその喉元に突きつけられていた。
「くっ……」
と中尉が声を漏らす。
(隙があれば振り払って逆襲できる……けど、これは……)
中尉の重心は偏り、もう一度白兵戦に移るのは厳しい。
それに対してハトリは変わらず緊張感のない、ゆるりとした立ち姿だった。弾を避けられることまで予想していたのか、それとも相手の体勢を見た瞬間に〈王手〉の判断を下したのか。
どっちにしても、ハトリの完璧な勝利だった。
「……私の負け、です……」
そう言葉を絞り出すと、中尉は構えかけていた銃を下ろした。
そんな彼女の様子に苦笑いを浮かべつつ、オルスタ隊長はハトリの方に手を上げる。
「勝負あり、ハトリ・キジノメの勝利!」
「やったぁ!」
つい今までの鬼気迫る雰囲気はどこへ行ったのやら、ハトリは駆け寄ってくると俺に抱きついてくる。
「見ててくれた、ご主人ちゃん! あたし勝った! 勝ったよぉ!」
「見てた! 見てたから、ちょっと落ち着けって!?」
ただでさえ背の高いハトリがジャンプして抱きつくものだから、大きなあれが顔に当たる。
しかも上着の前をがっつり開いているので、肌着下着越しとはいえ感触がダイレクトで、ついでに息もできない。
金具が当たって痛いし、見えてないけどクラスメイトとメイド2人からの視線も痛い。
「えへへぇ、頑張ったんだからいいでしょぉ? あ、そうだご褒美にちゅーしてぇ?」
「……オホン」
はしゃいでいたハトリが、中尉の咳払いでピタリと動きを止める。
ようやく解放された俺は、息を整えつつ2人からそっと離れた。
「…………」
「いてっ」
「…………」
「いった」
シロンに肘で脇腹を突かれ、エテルにすねを蹴られた。
「なんなんだよ……」
ぶつくさ言いながらハトリと中尉に視線を向ける。
中尉はハトリに近づくと、その目をまっすぐ見て言った。
「潔く認めましょう。あなたの方が一枚上手でした。今の勝負は私の負けです」
「……1回だけだよ。お姉ちゃ……中尉さんが慣れたら、たぶん通用しないと思うんだ」
「ええ、そうでしょうね」
中尉の言葉は相変わらずだったが、その声からは今までの棘がなくなっているように思えた。
「この10年、私はずっと軍で技を磨いてきました。あなたに実力が劣っているとは感じていません。むしろ、あんな才能頼りの戦い方をするなんて、危なっかしくて仕方がありません」
「うん……でも、でもね、あれがあたしなの。どうしても普通の子みたいになれなくて、なろうとしてもダメで、だからね……」
「わかっています」
中尉が片手を持ち上げる。そして、その指でハトリの頬にそっと触れた。
「私はあなたが怖かった」
「……それは、私の眼が……」
「いえ、そうじゃありません。あなたには才能……いえ、異能が備わっていました。10歳にもいかないのに、お父さんよりも上手く銃を扱うあなたが、私は本当に怖かった」
「…………」
「ごめんなさい。私は弱かった。あなたの才能を目の前にして、自分が平凡に過ぎないということを認められなかった。だから、お父さんとお母さんを止められなかった」
「おねえ、ちゃぁん……」
ハトリの目からまた涙があふれる。
それを指で拭いながら、中尉は懺悔するように目を閉じた。
「あなたはたしかに普通の子とは違う。だけどバケモノじゃない。ちゃんと、そう言わなきゃいけなかった。ごめんなさい。本当に……ごめんなさい」
どんな言い訳をしようと、中尉はハトリが森に捨てられることを止めなかった。それは事実だ。言葉ひとつで許されないことだろう。だけど、
「おねえちゃぁんっ! ぐすっ、ううぅぁぁんっ! おねえちゃん!」
ハトリは子どものように泣きながら、姉に抱きついていた。シロンとエテルに目を向けると、2人はふっと笑って俺にうなずいた。
そうだよな。それがハトリの答えなら、俺や他の誰かが言うことはなにもない。
わんわん泣く妹と、すこし困った様子で抱きしめられる姉。
2人の姿を月が優しく照らしていた。
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