第九十九話『ひらめいた!』
カラカラと砕けた石片が床に散らばり、人の形にひび割れた石壁を眺め、シュルルは不可思議な感傷を覚えた。
少し前に、デカハナさんに絡まれた廊下。そこに彼の姿は無い。
当然だろう。あれからかなり時が過ぎている。
時の感覚があいまいに感じられた。
それだけ、人体の深淵を覗き、触れ、いじる事は集中を要する。
破壊するだけなら余りにも容易。
損なわれた機能を蘇らせる事は、逆に緻密で精密、繊細な技能を要する。
肉体の生理、調和、循環を滞らせる事無く調律する事は、どれだけ生きたままの人体を切り裂いて来た事か。どれだけの冒険者を、打ち滅ぼして来た事か。どれだけの憎悪を。欲望を。
昨日より今日。今日より明日。
おっちゃんのボロボロに壊れ行く身体は、着実に改善されていく手応えがあった。
それを今日も感じられた。
その高揚も、デカハナさんの嘆きの残滓を前にして、あの絶望、失望、悲哀に巻き込まれる事を恐れ、逃げた己の脆弱さを見つめ、またもいたたまれぬ気分にさせられる。
「ん、ん~……」
腕を組む。口をへの字に結ぶ。
出会いは最悪だった。
横暴で下劣で、人やオーク鬼の悪い部分を濃縮した様な、欲深で利己的なオス。
もう少し、他者への思いやりを持てないものかと、時に人とは殺し殺される間柄でありながらも、思うところもあるという。
「滑稽だわ」
そう口に出してみるものの、それは誰に対しての。
ほっかむりの上から頭を掻き、自分でも変な顔をしていると想う。
まあ、いつまでもこうしている訳にはいかないわね。
気持ちを切り替え、食堂の方へと向かった。
人の気配が慌ただしく。
食堂の手前、とある扉の前に大勢がおしかけている様が目に留まった。
「うあああああ!!」
「は、早く早くぅ~っ!!」
「い~から、代われっ!!」
みんな必至に扉を叩き、内またで苦しそうに呻いている。
あ~、やっぱり。
そう想いながら、お腹を押さえて苦しむ男たちへと近付いた。フッと笑みを浮かべ、目を細め。
今回スープに使った香辛料の幾つかは、色々な薬効成分があり、身体の調子を整えるものでもあるのだが、食べ過ぎると内臓の働きを活性化させ過ぎて、結果としてトイレに行きたくなるもの。
一杯ならまだしも、二杯三杯と食べれば、それはてきめんだろう。何事も程度が肝心なんだけど、止めなかった自分にもその責任が、でも知~らない。うぷぷ。
「あの~、デカハナさん……じゃなくて、団長さんは知りませんか?」
余所行きの顔で、そんな苦しみのたうつオスたちに聞いてみた。
「ああああああ、帰った! 帰ったよ! 何か気分悪いって言って!」
苦悶の中から絞り出す様なその返事に、ちょっと困ってしまう。
なるはやにフォローを入れておいた方が、後々良いと思うのだけど、肝心の相手が帰ってしまってはね。家におしかけるのも変だし。貴族街だったら、そもそもその地区に入れて貰えないかも。
……そうね。口説いて入れて貰う方が、忍び込むより楽かもね。
「そうですか~。ありがとうございま~す」
「ああああああ、良いって事よおおおおお!」
「うふふ。お大事に~」
可哀そうだから、ちょっとお腹の痛みを和らげてあげたいところだけど、それをやっちゃうと多分中身が出ちゃうのよね~。
それはそれで怖い光景。
皆様の奮闘を祈りつつ、そっと立ち去る事に。
そのまま子供たちが居るであろう食堂へ向かうのだが、はたと立ち止まる。
ひらめいた!
「そうだわ! キラキラさんに相談して見ましょう! 喧嘩するほど仲が良いって言うし、あの方ならきっと相談に乗ってくれる筈よ! そうだわ! そうしましょ!」
あまりの名案に、シュルルはにこぽんと手を叩き、うきうき気分で再び床を滑り出した。
どのタイミングで第七騎士団を訪ねようかと考えながら。