第九十七話『ありゃ、ガキだな』
顎を撫でるじょりじょりとした指先の感触を楽しみながら、第四騎士団副団長のナザレ・アラメノ男爵は目を細め、街を行き交う人々の様を鼻歌混じりに眺めていた。
頬にかかるもみあげを、暖かなそよ風がくすぐる。
平穏な空気だ。
平民たちの雑然とした日常が流れていく。
笑い、歌い、飯を食い……
「いやあ~、平和じゃな~い……」
ふふんと鼻で笑い、適当に歩みを進めた。
その、雑然とした空気に胸がざわめく。なんだか妙に落ち着かない気分だった。
少し一人になりたく、ジェライドを先に帰らせ、そのまま騎士団へ帰らずに街を歩いて数刻。取り留めも無く人の表情を流し見ている。
やれやれだぜ……
街行く人々はナザレにぺこりと頭を下げていく。それに応じて、小さく手をあげてみたり。
俺、何やってんだ~? ……帰るか……
そう思い、踵を返そうとする視界の隅を、ぱたぱたと近付く気配が過り、はたと立ち止まった。
「き、き、騎士様!」
影は小さなお客様だ。
年の頃は十か九つか。茶色いショートボブの可愛らしい女の子。ちっちゃな手に小さな花を掲げ持ち、まっ直ぐに見上げていた。
「あ、あのっ……」
カっと頬が紅潮していくのがはっきりと見てとれ、真っ赤に染まる耳などを微笑ましく眺めた。
「何? 俺に?」
「は、はいっ……どうぞ……」
少女の手に小さな水色の花びらがゆらりと揺れ、それに重ねる様に手を伸ばす。剣を握るごつごつとした無骨な手が、壊れそうな小さな花弁を、その茎を潰さぬ様につまむのが意外に難しいと思い知らされた。
「ありがとよ、嬢ちゃん」
「あっ……はい!」
凄い勢いで頭を下げられ、手がぶつかりそうになって慌てて手を引っ込める。
びっくり目を大きくしたナザレの前から、くるっと振り向いた少女は脱兎の如く駆けて行き、母親らしい女性のスカートの後ろにささっと隠れてしまった。
「あ、あははは……」
ひらひら手を振ると、ちょっと顔を出したのがすぐに引っ込んでしまう。
ふ……可愛いものだぜ。
そう想いながら、指先をこする様に動かすと、くるくると小さな花弁が面白い様に回る。回るそれを見ていると、ちっさなかんしゃく持ちの小娘の事が、ふと思い浮かぶ。
「はん……ガキだな……」
口の端を持ち上げ苦笑を浮かべ、ナザレはふらり、再び歩み始めた。