第九十六話『百年の恨み』
ざざ~ん、ざざ~ん。
打ち寄せる白波が砕け、岩場の蟹を追い散らす。黒いフナ虫が跳ね、潮の泡が舞った。
太陽は白く輝き、地上をあまねく照らし出す。人も、魔物も、ドラゴンすらも分け隔てなく。
「幸せだなあ~……」
「私も~……」
とある岩場に若い男女の影。それを咎める者は存在しない。ただ、風が吹き抜けるだけ。
大きくなびくのは女の長い髪。金の輝きは正に金糸の如く、たおやかであった。
むつみ合う一人と一尾は、都会の喧騒とは隔離されたこの場でささやかな孤独を共有し合う。
「ボクは君と居る時が一番幸せなんだよ……」
「私も~……むふふ~……」
ちゅっと唇を重ね、甘える様に頬や髪を撫で合い、その指先で互いの愛を感じ合う。
愛。
愛ゆえの幸せ。
世界は愛に包まれ、愛は世界そのもの。今、目の前にある相手が世界であり、互いに求め合う心が必然、不変とも想え、ただそこにあるというだけで完璧であった。
最早、先程の冒険者などミジンコ。辛うじてその存在を許されていた。
ミジンコを踏みつけたところで、心を痛める者などあろうか?
否。
故に、一人と一尾の世界は平和である。
水中を泳ぐ魚影に混じり、人魚らしき姿も滑る様に流れ行く。
色鮮やかな鱗が光を跳ねてキラキラと艶めいた軌跡を残し、しばし瞳の奥を舐めた。
「ごらんよ」
「あら~?」
「ジャスミンちゃんは内陸育ちだもんね。何をしてると思う?」
「え~、わかんな~い」
笑顔でハルシオンの胸に顔をうずめるジャスミンに、耳元で優しく囁き教えてあげる。
風音にかき消されぬ様に。
それは、他愛も無い会話が、全て特別に想える魔法の時。時は一人と一尾の為にある。
「あれはね。海の底を掘ってるんだって。川がね砂を運んで来るからさ。放っておくと、大きな船が港に着けなくなっちゃう。だから人魚と契約して、海の底を深くして船の通りを確保してるんだって」
「すご~い」
「昔、ここを根城にしていた海賊たちはね、そうやって港へ入れるルートを秘密にして、自分たちを守っていたんだけど、クラータ王子は人魚たちを味方に付けてこの湾に攻め入ったって話だよ」
「へえ~。どうして人魚さんたちは、王子様の味方をしてくれたのかなあ~?」
「うん。どうしてだろうね~?」
「ふっしぎぃ~」
「だから今でも、海賊たちは人魚を赦さないし、人魚たちも海賊を赦さない。そんな話を聞いた事があるね。百年の恨みって奴かな?」
「こわ~い」
「ね~?」
「ふふふ……」