第九十四話『回診デース☆』
何で? 突然、デカハナさんが涙を流して……
「ああああああ~~~~~、あんまりだぁ~~~~~……」
呆然と見上げるその悲しむ様は、シュルルにとって初めて見るものであった。
探索者時代、良く襲って来る冒険者を返り討ちにした時なんか、泣き叫んで命乞いする輩も居たものだ。そんなものは、ただ自分が助かりたいだけのもので、立場が逆なら連中は歯茎をむき出しにして殺しにかかって来る。それが判っているから、躊躇なく止めをさせた。
生命の糧として、美味しく戴きました。ご馳走様でした。
だけど……何?
デカハナさんの涙、何か違う気がして。
間近で見てると、何故か胸がきゅっと締め付けられる様な、そんな悲しみが……
急速に変化したアルゴンスの感情の波が、シュルルの干渉領域に伝播して震えた。
シュルルの修めた幻覚魔法は、対象の外覚、内覚両方に片方、または同時に両方へと干渉する為、その知覚領域自体が己の肉体の外へと拡大している。それは、他の賢者の塔とは違う独自のもので、塔における修行の中位にあたり、六つある賢者の塔においてシュルルが所属する塔の連中は頭がおかしいと揶揄される要因の一つでもある。
「デカハナさん……」
そこでハッと息を呑む。それを直接本人に言うと、めっちゃ怒らせると注意をどこかで受けた様な! ヤバ!!
慌てて口をつむぐと、シュルルはすうっと距離を置く。回避行動である。
動く。動けるわ! それは歓喜の響き。
アルゴンスの心の乱れを現すか、彼を中心に地の精霊力も震えているかの様。衰える事の無いかの謎の吸引力は、今や消えた。
それと共に、伝わる悲しみの波動も弱まっていく。辛い想いが遠のいていく。
離れよう。それは衝動にも似た感情。
シュルルは余韻を残すそれから逃れる様に、シュルルと床を滑った。悲しみから遠ざかる為に。それをそこへと残していく、罪悪感と共に。
「孤独の悲哀か……」
そっと口に出してみた。
それは、表面的な悲しみから読み取れたもの。それは、シュルルにとっても、ソロでダンジョンアタックをする時に、時折その淵に立たされた覚えのある感傷。
それを感じる事はあっても、呑まれる事は無かった。何故なら、シュルルには十六尾の姉妹たちが居たから。身近に無くても、心を馳せれば常に感じられた。
絆ともいうべき、ぬくもりのそれを。
だけど、あの人にも『それ』が無いのね……
ちらり後ろ髪を引かれる想いで、遠のく影を見やる。ここにも孤独があった。
何万人と群れるくせに、人は孤独を抱えて生きている。その虚無を、シュルルは悲しいと想う。その虚ろを、怖ろしいとも想う。
ほんの数日暮らしただけで、街というものは怖ろしく機能的に感じられた。人々が生きていく為に、考えられない程に効率化された機能美であり、巨大な昆虫めいた人間たちの『巣』であった。
シュルルはその巣に、同族と擬態して入り込んだ異物であると自らを認識していた。故にその仕組みに呑まれ、依存する事無く、客観的に距離を置いて観察する事が出来た。元より、図書館へのダンジョンアタックの為に橋頭保を築いているに過ぎない。この仕組みの中に、如何にひっそりと入り込んで行くか、それが目的なのだ。
そして、もう一つの孤独が、目の前に来た扉の向こうにある。
シュルルはあのおっちゃんが放り込まれているだろう、独房の前へと来ていた。
あのおっちゃんは、まったくの蛇足。
関わる事に、何一つ意味を見出せない、足手まといに過ぎない。ラミアに足は無いけど。
「お邪魔しま~す」
そう一言告げ、アンロック。鍵は自動的に外れた。
「なっ、何だぁ~っ!?」
驚きの声。初めて聞いたおっちゃんの生声だわ~。
「回診デース。それと、スープの差し入れもありますよ~」
わたわたと部屋の奥へ逃れるおっちゃん。そこからカサカサと、一気に私の居る戸口に向かって駆けた。ひょいとおっちゃんには見えない私の尻尾で跳ねた。
「ぼげえ!?」
「あらあら、大分元気が出て来たみたいですね? 体調、如何ですか~?」
見事にころころ転がったおっちゃんに、ちょっとうきうき気分で声をかける私。胸の内にある、置き去りにしちゃったデカハナさんへの罪悪感を上書きしたくて、ちょっとだけ余計に元気を出してみちゃう。
嗚呼、この優しさの何十分の一でもデカハナさんに分けてあげれば良かったかな? とか想っちゃったりしながら。
「な、な、何だてめえは!?」
「あらあら、随分ですね~。身体の調子、私のお陰でかなり良くなって来てると思うのですが?」
「へ? そ、そういや~……」
わたわたと小物らしく驚くおっちゃん。そうそう、人間こうでなくっちゃ。
「はい、そこで座る。回診しますから、その間にスープでも召し上がっていて下さいな。はい、どうぞ」
「お? お、おう……」
おっちゃん。開いたままの扉口をちらちら見ながら、おっかなびっくり半分って感じでベッドに腰を降ろして、スープ皿を受け取った。
「な!? なんだ、このびちぐそみてぇなのは!?」
「香りはどうです? 美味しそうでしょう?」
「ふへ?」
スープ皿を投げ捨てようって衝動は、悪いけど即座に押し込めさせて貰ったわ。
言われて、恐る恐る鼻を近付けるおっちゃんの食欲を三倍に刺激する。これで決まりね。
「グフッ! こ、これは!!?」
そうそう。おっちゃんの身体を修復していくには、その栄養素がどうしても必要なの。
ほくそえむ私の前で、多分おっちゃんはその見た事の無いだろう色のスープをガツガツと掻き込み始めたわ。そうそう、良い子ね。
幻覚で味覚嗅覚視覚を操れば、馬糞だってご馳走になる。
ま、そんな酷い事はしないけどね。
そんなおっちゃんの背後に回り込み、そっとその身体に触れて診る。
体内を流れる、血流を。
あらゆる組織の動きを。
一片に肉体を改造すると、どこかに歪が生じる危険性があるから。ゆっくりと、少しずつ、慣れさせていく必要があると思うのよね。
「どうかしら? こういうの、気持ち良いんじゃなくて?」
「あ、ああ……き、気持ち良い~かも……」
触れた先から、私の生命の波動をゆっくり流し込みつつ、やんわりと身体中の細胞を活性化させ、血流の流れを良くしてあげていく。
消えかけた毛細血管の残滓を刺激し、新たな血管を生じさせ、胃壁から血に溶けて行く栄養素を巡らせ、それを素材に細胞の増殖を助け~の……
うん。最初に比べれば、格段におっちゃんの状態、良いんじゃないの?
漏れ出る声が、恍惚に。何か、にちゃあ~って感じになって来たわ。
「あ~、ええ~……」
「ん~、ここはどうかなあ~?」
「嬢ちゃん、旨いのう~」
「でしょ? 天才かもよ~?」
「そりゃ、褒め過ぎじゃろが~。がはははは!」
「だよね~。うふふ。なら、これはどうだー!」
「あひい~、ええ~!」
天才はちょっと自画自賛気味?
そんな冗談を交えながら、夢中になっておっちゃんの肉体を改造していたら、さっきちょっぴり可哀そうだな~なんて想ってしまったデカハナさんの事なんか、綺麗さっぱり忘れてました。てへぺろ~。