第八十一話『本日はお日柄も良く』
軽くノックして入ったそこは、書類の山が幾つもある一室。左右を天井まで迫る書棚に挟まれ、奥まった窓辺に大きな机が一席。そこにひょろりとした、顔色の悪い男が座っていた。
「や。本日はお日柄も良く」
「ふ……待ってたよ」
ハルシオンはジャスミンの手を引き、恭しくも引き入れた。
「ひゅう~。どうしたんだい、その可愛い子ちゃんは?」
「彼女が、どうしてもボクの仕事ぶりを見たいって言うものだからね」
立ち上がり、おどけた表情で口笛を吹いたその男は、にやにやといやらしい笑みを浮かべる。が、ジャスミンはそんな事も気にせず、笑顔で挨拶を。
「ジャスミンですぅ~。お邪魔して良いですかぁ~?」
「いやははは……いつの間に?」
「実は昨日から、なんだその……」
「なんですぅ~」
「はっ!? おいおい、身を固めるにゃ、早すぎ無いか? ある吟遊詩人が言った! 結婚とは、人生の墓場であると~!」
「この失礼な奴が、ジェフ。ボクのもうけを横から吸い上げて行く悪党さ」
「ども、ご紹介にあずかりました悪党のジェフリー・ノースランドと申します。このブラックサンで下級役人をしております。以後、お見知りおきを、美しい奥様。で? 式はいつ挙げるんだい?」
そう言って、ツカツカと歩み寄ったジェフはハルシオンと悪手を交わし、次いでジャスミンの手を取って、軽く口づけをした。
その手を、しっしと払って見せるハルシオンに、ジェフはにやりと微笑んだ。
「当分まだだよ。君が『も~賄賂なんて取らない!』って言ってくれたら、その分ですぐにでも式を挙げるさ。勿論、君は特等席だ」
「ぶ~! 勘弁してくれ。親友の人生の葬式に出るなんて、ぞっとしないぜ~」
「親友なら賄賂をとるなってばさ~。な? こういう奴なんだよ」
「ま~、今後ともこの人を宜しくお願い致しますわ~」
「はははは。こりゃ、良いや。で? 今日は他に手土産も無しなんて事は無いんだろう?」
「はいはい。どうぞ、宜しくお願い致します」
そう言って、ハルシオンは鞄から数本のワインボトルを取り出し、机の上に並べ、更に数本のスクロールを提示した。
「了解了解。うん。これは良いものだ。ばっちり根回しは引き受けたぜ」
「頼むよ~。高かったんだから」
「あらあら。悪い相談ですね~」
「そうなんですよ、奥さ~ん。書類を速やかに通すにゃ、色んな人の手を介さなきゃいけないんで、この私めも色々苦労が絶えない訳ですわ。それが大陸産のワイン一本で、えらく滑らかになる。ま、必要悪って奴ですね」
ジェフの軽口も大分滑らかになり、鼻歌混じりにハルシオンの提示したスクロールを開いては幾つかの印をスタンプし、次々と別の名前のサインを入れていく。筆跡も変えて。
「ま、代筆って奴です。実はこの部屋、私の部屋じゃ無くて、私の上司の部屋なんですよ。で、そのお方は育ちが私めより遥かに良い家の方なので、昼食はたっぷり時間をかけて召し上がる。更に仕事は滅多にされない。そういう訳で、部下の私めの出番と言う訳です。放っておけば何か月も審査が通らない訳で。判って戴けましたか?」
「は~い。素晴らしいですわ~」
「判って戴けて嬉しい限りです。では、私めは次の部署へこの書類と、全てを滑らかに回す為の秘密のお薬をば……」
ぱっちりウィンク。
「頼むよ~」
「お願い致しますわ~」
「はっはっは……お幸せに。はい、これがギルドの許可証」
そう言って一本のスクロールをハルシオンに渡すと、ジェフは素早い動作で賄賂のワインを傍らの鞄に詰め、その他の書類を持って部屋を出て行く。
ハルシオンがそれを手に、するすると開くとまさしくそれはギルドの許可証。
きょとんとしたジャスミンが、ハルシオンの顔を見る。
「え~? こんなんで、良いの~?」
「良いの良いの。この国は、ま、一言で言えば、いい加減なものさ。正に蛇の道は蛇って奴だね」
「まっ」
パッと目を輝かせた二人は、その場でチュッとキスをする。
と。
「おいおい。鍵を閉めるよ。いつまでいちゃついてんだい? お熱いねぇ~」
「まあ」
「焼くな焼くな」
そう言って頬を緩めるハルシオンは、書類で顔を隠してもう一度チュッとキスを交わした。