第七十五話『ジンジンさせて』
ふふふふふふふふ──
屋上から入り風の様に階段を、回廊をすり抜けていく。
そのまま裏口から裏庭へ。目指すは……
「なっ!?」
その唐突な気配に驚いたのは、一階の調理場でとぐろを巻いて火の番をしてたミカヅキ。
左右に一本づつ薪を手に、慌てて首を出した。
「何奴!?」
「あっ!? 私、私ー!」
「シュルル姉ぇっ!? こっちがびっくりで御座るよ!」
薪を投げつける姿勢で、裏手へ飛び出して行くシュルルを見送るままにミカヅキは続いた。
「ごめんね~……」
「何事でござる? 何事でござる?」
やおら異臭が鼻を突く。その中を潜り抜け、息を止めたミカヅキは更に追った。
ちらりと、シュルルの脇から生えている二本の生白い脚がプラプラと揺れたのが見え、ますます眉間に皺を寄せ、ミカヅキは床のぬかるみを下腹で感じ、ハッと息を呑む。
異臭の正体が、アレだと……
「わっ、バッチい!」
おしっこには、縄張りを示す効果があるのだ。
自分のと違う匂いは、野生に生きる者に、反射的に警戒態勢を取らせる効果があった。
「はわわわわわ……???」
サッとかければハラリと解ける。
魔法の効果により、老婆の衣類は即座に地面へと解け落ちた。
「ひええええええ!?」
シュルルは、傍らに放置してた空き箱で、湯だまりの湯をざんぶと掻き上げ、徐に老婆の頭からザバア~っとぶちまけた。
「あひぇっ、ぷっ!?」
「は~い、おめめを閉じましょうね~」
「けほっ!? こほっ!?」
咳込む老婆に、おっと失敗と、シュルルは湯の残りを恐る恐るにかける事にした。
「ごめんなさいね~。大丈夫? 変なトコ、入っちゃったかしら?」
右手で背後から抱きかかえる様に老婆を支えつつ、その胸をさすり、左手一本で湯で満たされた、子供より重い木箱を軽々と持ち上げては、今度はちょろちょろトポトポと。
そんなシュルルに背後からそおっと近付き、ミカヅキは抱きかかえている物の正体を覗き込んだ。
「な、何をしてるで御座るか?」
「あ? あはははは……」
笑って誤魔化そうかと思ったが、無理~。
「攫って来ちゃった」
「ええ~っ!!?」
「ひぇっ、ひえええええっ!?」
てへペロ~。
明かに美味しく無さそうな、しわしわガリガリの老婆。肉は落ち、骨は浮き上がり、肌はところどころ、黒いシミやら赤い腫れ、深く黒ずんだ部位があちこちに見受けられた。
それを裸に剥いたシュルルは、そのまま背後から抱える様にして、湯だまりの中へずぶずぶと、自分ごと引き摺り込んで行く。
弱弱しく手足を動かす老婆は、なされるがままに白濁した目を大きく見開き、ぶくぶくと……
「ひぇっひぇっ、ひぇぇぇぇぇ~……」
「大丈夫大丈夫。後ろから支えてるから、大丈夫よ~……」
海藻の様にふわりゆらゆらとシュルルの長く豊かな金の髪が広がり、それに包まれる様に本人とその老婆が湯だまりに浸かった。
老婆は、シュルルの下腹部から尻尾の上に乗せられる様にして、湯面から顔を覗かせ、ほふぅっと一息ついた。
「は~い、怖くない、怖くな~い……」
「ひょぇぇぇぇぇ~……」
そう言いながら、シュルルは老婆の身体を、ゆっくりと揉んでゆく。その都度、老婆の口から深いため息が漏れ出でた。
「ほふぅ~……あっ……あああ……」
「ほ~ら、あちこちジンジンして来るでしょぅ? 同じ姿勢で、ず~っと寝てるから、血行が悪くなってて、そこに血が流れる様になったって感じ~? 少し痛くても、ちょっとの間、我慢しててね~」
「と、とうひてぇ……?」
あんぐりと見下ろすミカヅキを尻目に、戸惑いを隠せない老婆は首を巡らせて背後を見ようとし、シュルルは二本の腕とその指先で、直接老婆の血流を操作していく。
湯の温もりで拡張された血管に、滞っていた血液が流れ出し、一部壊死を仕掛けた細胞が息を吹き返し、神経がその役割を痛みとして伝え始める。既に壊死していた細胞もまた、照射される生体エネルギーによりその生命活動を再開するのであった。
「ほ~ら、この辺もジンジン」
「ひゃっ!?」
「ジンジン」
「ふぉ!?」
「ジンジン」
「はふぅ~……」
シュルルが手を当てる部位を変える度に、老婆はびくんびくんと反応し変な声をあげ、強張っていた表情も次第にまったりと……
そんな不思議な光景を、ミカヅキはただあんぐりと口を開いて見下ろすだけだったので、シュルルはちょっと申し訳無さそうに。
「あ、ミカちゃん。悪いけど、床掃除お願~い」
「お、おう……」
ミカヅキとしては、この何だか良く判らない光景に、これ幸いとUターン。一階から屋上へと、汚れを追っての拭き掃除。
そっと、部屋の明かりを消したシュルル。
「ふ……これで、よし……」
「よしじゃ無いで御座るよ。それがしに説明を」
にじり寄るミカヅキ。
じりじりと追い詰められて廊下を、壁から天井へと逃げるシュルル。
逆さになった世界で、二尾はじいっと。
苦笑いのシュルルと、ぷんぷくりんのミカヅキ。
「あら? そんな怖い顔しないでよ~。可愛いお顔が台無しよ?」
「誤魔化さないで欲しいで御座る。アレはどうして!? どうするつもりで!?」
「しいーっ、しいーっ。みんな起きちゃうでしょ?」
「ぐぬぬ……」
暗くなった部屋では、くうくうと小さな寝息を発てる子供たちの輪の中に、ほこほこにされた老婆が乾いた衣服にくるまれて寝転がされ、これまた小さな寝息を発てていた。
「ま、まあ~……成り行き?」
テヘぺろ~。
シュルルは射る様な目線から目を反らし、ミカヅキは更に凝視する。
目から殺人光線が出るものなら、シュルルは丸焦げにされてるか、穴だらけにされてるだろう。
「あっ、そうだ! お婆ちゃんの布団、取って来なくっちゃ! ごっめ~ん、ちょっといってくりゅ~!」
「あっ、こらあ!」
パッと動いたシュルルに、ミカヅキが組み付いたらスカっと。
「んなっ!?」
「おほほほ。ごめんあそばせ~」
「んの、バカァー!!」
フェイント気味に幻影を残し、既にその声は三階へと消えていて、建物から出られないミカヅキは、やけくそに尻尾をしならせ壁をペシンと叩くしかない。
「もお~っ! 帰って来たら、ちゃんと説明するで御座るよーっ!」
「──はいはーい!」
「たくもーっ!」
ぺしぺし。
八つ当たりをするに、シュルルが魔法で建てたこの家は、人間の三倍は力があるラミアの一撃をもってしてもびくともしない。
一尾にされるには、色んな事があり過ぎて勘弁して欲しいミカヅキであった……