第六十八話『伝わる温もり』
小さな掌に包む様に掲げられた銅製のスープ皿。
何の飾りつけもされていない、むき出しの銅の赤。そこに浮かぶ半透明のスープから柔らかい湯気が立ち昇り、その濃密なまろみのある香りが否応なくそれぞれの食欲中枢を殴打する。
「さ、おあがりよ」
目にも鮮やかな、赤いワンピース姿の大人の女性が、魅力的な響きで優しく誘惑して来る。
路地裏にたむろってる自分たちは、街の住人にとって厄介者以外の何者でもない。優しく声をかけて来る人など、たまに炊き出しをする教会の奴らくらいのものだ。
でもそこは、全てを諦めた奴が行く所。その入り口。
表向きは孤児院へのお誘いだけど、その先は……
ただ、路地裏にたむろってる俺たち(私たち)が何人消えようが、それを気にする人はこのブラックサンには居ない。
「「「「「「……」」」」」」
じっと液面に浮かぶ脂や、肉の欠片、根菜の良く煮込まれた半透明の断面を見つめ。
頬を撫でる柔らかな温もりは、更に遠い記憶を蘇らせ、甘い誘惑となって絶望の淵へと誘う。これは偽りなのだと、頭のどこかで警鐘が鳴るのを、無視しようと感情が雪崩打って濁流と化した。
スープ皿から直接伝わる熱さをむさぼる様に飲み下すと、口の中を火傷しそうになりながらも胃の腑へと直撃させた。
「おうふっ!?」
「けほっ! けほっ!」
「うはっ!」
「んっぐんっぐ!」
「ぷは~……」
「……」
「ああ~……そんなに慌てないで。身体に悪いわよ? 誰も取り上げたりしないんだから」
そう言って、鼻から噴き出したスープとも鼻水ともつかないものを、頬を伝う涙と合わせて柔らかな布越しに拭き取っていくその感触が、己を突き動かす衝動をより加速させた。
歯止めの利かぬそれは、長く胸の奥へとおし留めていたもの。
どうせ裏切られるものと、諦めと共に重しを乗せて忘れ去ろうとしていたもの。
ど~すんの、これ?
そんな気持ち半分、シュルルはせっせと手を動かした。何しろ、六人も居るのだから、なるべく等分に構ってあげないと寂しい想いをする子が出るのは判っていたから。
まあ、それでも余裕があったのは、彼女が十七姉妹だったという理由が大きい。
それはもう混沌とした時代を、小さな頃から経験して来たのだから。
寄り添って、温もりを共有する。言葉にする必要もなく、ただただひたすらに。
そうやって気分が落ち着いて来るのを待つのだが。
「ちょっと、ミカちゃん」
「へ? あ……ああ……」
そう一言告げて、ぼ~っと佇むミカヅキを顎で動かすのだが、どうにも気持ち半分といった風情で、尻尾の先でお尻を叩く。
何だろう?
今朝はこんなに余裕が無いなんて事、無かったのに……
どちらかと言うと、私の方が余裕無かったし。
昼頃には、作ったスープ百人前を持ってあのデカハナさんに会いに行かなきゃいけない。実に気が重い訳で。
何しろ、金貨一枚のお仕事なのだ。
ぼったくる訳にもいかないじゃない? 商売なんだし。
それにあそこの立地も、実に魅力的。貴族街のすぐ目と鼻の先な訳だし、一応貴族の端くれらしい。
図書館を目指すには、絶好の踏み台?
いや、何か予定外に色々あって、忙しくなりそうなのに……ちょっと手が足りないかな?
ちびっこたちの、心の揺れを観察しつつ、シュルルはその波動が緩やかになる様、物理的にも、精神的にも干渉を続けながら、半分の意識で今日からの予定を組み直しにかかった。