第六十六話『人の子の心』
お鍋の蓋を開けたら、みんなびっくりしてもっと盛り上がっちゃうんじゃないかな~? てへぺろ~って思ってたんだけど、急にちびっこたちのテンションが……あれ? あれれ~?
「う……わ~い……」
「「「「「わ~い……」」」」」
たった今まで、瞳をきらきらさせ皿を手に身構えていた筈の子供たち。そのせわしない有り様が、まるで魔石を抜かれたゴーレムみたいにぴたりと止んだの。
私、サッと横に居るミカヅキに顔を寄せて。
「ね!? 私、今、変だったかしら? 変な事、言って無いわよね?」
「そう……で、御座るな……」
「やだ! 何であなたまで元気無いの?」
「あ……いや……その……すまんで御座る……」
「え? 何? 何の事? ねぇ~何の事ぉ~!?」
ダメだ。話にならないわ。一体何が起きてるって言うの!? やだ、私だけ変にテンション高めじゃない!
ミカヅキは元気なくうなだれてるし、ちびっこたちもお鍋の中を凝視してるんだけど、何? みんな、実はこれだけは死んでも食べられないって物があるのかしら!?
子供たちは、鍋にたゆたうスープの具をじっと見つめる。
煮炊きして、形のある物なんていつぶりになるのだろう? 自分たちの前に、湯気の立ち昇る皿を差し出してくれた、あの手は……
思い出そうとしても、まるで朝の霞みたいに、遠くうすぼんやりとしか思い浮かべられない。あの時、自分の名前を呼んでくれた声の響きは?
遠い。何もかもが遠すぎる。
見えない何かに、身体を締め付けられる様な、嫌な感覚に寒さを覚える。
思い出そうと必至になるが、何もかもがぼやけていて、目の前のスープさえもがぼんやりと滲み始めてしまう。
「……かあ……ちゃ……」
その名前すら、もう出ては来ない。
父親の。
兄弟は?
姉妹?
誰か……
俺って……何?
胸の内から手足へと、すうすうと何かが抜けていく感覚。
息をするだに、薄く、薄っぺらくなっていく自分を感じてしまう。
周囲に建ち並ぶ建物が、不意に、より高く、大きく、重苦しく感じた。冷たい石の重みがのしかかるような想い。自分が、潰れていく……
何で忘れていた?
自分の価値が。存在意義が、存在しないという事に。
気付かないふりをしていた?
それを思い出させる何かを、見つけてしまったのかも知れない。
シュルルは、ちびっこたちの瞳に大粒の涙が浮かび、つうっと滴り落ちるのをまじまじと見た。
何かが、伝染する様に、さあっと広がる。
これは、悲しみ?
何故悲しい?
食べ物を前に。
それは、美味しいかどうかは、まだ判らないけれどね。
シュルルたちラミア十七姉妹は、親に棄てられた。生まれ育った『蛇の穴』を追放された。
穴底に生みつけ、少ない餌で生き残ったものを育てるつもりが、全員でよじ登って来たかららしい。それは前代未聞の出来事だったみたいで、どうにも母『一つ目』は受け入れられなかったらしく『気持ち悪い』と一言告げて、全員を巣穴から追放したのだ。
だから、親と言うものを、別段恋しいだとか、会いたいだとか思う事も無く成長した。
幸いな事に、穴底で拾った一本の錆びたナイフの欠片が、投げ込まれた獲物を、力の強い一尾が独占するでなく、切り分けて共有する事を最初に覚えたから。
だからちびっこたちが、肩を寄せ合い生きている様は、至極当然の事と受け止めていた。
そして、親を恋しく想う気持ちを、あまり良く判らないでいた。
確かに、シュルルは探索者として『蛇の穴』を探して、数年を費やした。
母親に会いたいと思ったからだ。
でも、それは年々成長していく自分たちも、他の野山に生きる動物たちの様に、つがいとなって子を成すべく準備をする為だった。が、それは断念する事になった。
どれだけ探しても、あの『蛇の穴』を見つける事が出来なかったからだ。
遺跡には、魔法で隠されたモノも幾つかあった。
だから、その為にもそれまでの探索で手に入れた財を支払って、魔法使いの弟子にしてもらった。が、魔法を習う中で、そこへ至る頃には自分が塔の師匠たちの様に、老人と化しているだろうと思い至り、別の道を模索したのだ。
即ち、都にあるという図書館にその知識を求める事に。
シュルルには、常に生きる目標があり、それは今も胸の内に燦然と輝いている。
ただ日々を生きているだけで精一杯のちびっことは、その想いに著しい違いがある。その違いを感じるものの、理解は出来ない。
ただ。もし、自分がつがいを得て、子を為したとしたら、どう接すれば良いのだろう?
海千山千のろくでなしと騙し合いを興じた事もある。
こんな幼い子供など、口八丁手八丁でどうとにでも騙す事は出来るだろう。
だが、それは虚無である事も知っている。
幻術を修めたシュルルは、虚構の空しさをも理解しているつもりだ。
自分たち姉妹には、姉妹が居たから。そのつながりはかけがえのないモノ。
だから今がある。
この子たちには、それが無い。
ただ、肩を寄せ合ってるだけ。一人でいる事に耐えられないから。
そして、今もまた一人でいる事に変りが無い事に気付いてしまったのね……