第六十話『後悔先になんちゃらず』
「あいたたた……」
「いや、どうしてこうなったぁ~?」
「副団長のせいですよ!」
「え!? 俺ぇっ!?」
道のど真ん中、しかも人が多い。そんな所でもつれ合う様に尻もちをついたナザレとジェライドの二人は、とてもバツが悪かった。何しろ胸やマントの刺繍で、どの騎士団か一目で判るのだ。これはあまりにも宜しくない中の宜しくないだ。
その上、ジェライドが軽率にも「副団長」とか言ってくれる。最悪だ! だが、それはさておき。
二人は平民たちの好奇な目に晒されながら、慌てて立ち上がると。
「くう~、あの小娘ぇ~……恥かかせやがってぇ~……」
「い、行きましょう! もう! ね? ね?」
顔真っ赤。扉に向けて蹴りを入れそうな勢いに、ジェライドはナザレのマントを後ろから引っ張り、思いっきりたたらを踏ませた。
「離せ、ジェライド! 騎士の情けだ!」
「なんですか、それ! もう、恥ずかしいなぁ~!」
「はずっ……」
ぴたり、じたばたとするナザレの手足が止まり、ふう~っと思いっきり息を吐く。張った肩をがっくりと落し、力を抜いた。
「判った。判ったから手を離せ」
「本当ですか?」
「本当だ」
如何にも観念したというその言葉に、恐る恐ると手を離すジュライド。
ナザレはゆっくりと上体を正し、乱れた髪を手櫛で直す。もじゃもじゃとした栗色の巻き毛。襟元を正すと、キッと閉められた扉へ一瞥を投げかけ、不機嫌そうに口を開いた。
「ふん! 行くぞ!」
「はい!」
さっさと踵を返し、通りの向こうへと歩き出すナザレを追いジェライドも。そこで、ちらりと扉の方を見やり、悲しそうに目を細め、慌てて駆けて行く。くすくすと小さな笑い声がさざめくベイカー街を。
人々の好奇の目が、去り行く二人と新しい店舗を交互に見やる。
何があったのだろうと囁き合うのだが、話途中で言葉がしりすぼみになってしまう。
「あれ? 今……?」
「えっとぉ~……」
その場に居た何十人もの全員が、何を話そうとしていたのか急に忘れてしまっていた。
閂をかけた扉の内側で、肩を大きく上下させるミカヅキは、ゆっくりと額を扉に押し付け、口元を大きく歪ませ笑っていた。
扉は一見木製に見えるが、シュルルが魔法で組み上げた謎物質。ひんやりと冷たく、ミカヅキの熱を奪って行く。その笑みが、ゆっくりと消えて行く。
「……」
ずるり。押し付けた額が下がる。
自然とミカヅキは床に両手を着き、抜き身の道中差しがカランと乾いた音を発てた。
先ほどまで上向いていた口の端も下がり、やがてへの字口に。そして、両手で髪をぐしゃりとかき混ぜた。
シュルルの最初のお客さん相手、にである。
思いっきり悪態をついてしまった。
否! 相手の態度が最悪だったから、相手が悪い!
でも、これって……これって!?
はわわわわわわわわわっ!!!?
「うああああ~……やってしまったで御座るぅぅぅぅぅ~……」
声を押し殺し、悶える様に尻尾をよじり頭を抱えたミカヅキは、一尾、ことさら目の前の扉に頭をぐりぐりと押し付けるのであった。