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第五十九話『説教』


 店の戸口に立つミカヅキは、自分の口が自然とへの字になっていくのが判った。


「なあ~、良いだろ~?」


 ベイカー街の表通りを、朝食用のパンを籠いっぱいにした街の人々がせわしなく行き交うさ中、何か変な客が来てしまった。

 目の前でへらへらと笑ってる、ナザレと名乗ったとんでも失礼な男の要求は、店の中を見せろというもの。百歩譲っても嫌なものは嫌で御座ろう?


 しみじみと、居留守を使えば良かったと後悔。


「いやさ~。うちとしては仕事を依頼する以上、どんな場所で調理されてるか確認する必要があるんだよね~」


 そう告げたナザレは垂れ目をにやけさせ、二つに割れた顎をつるりと撫でる。その手つきが、何かいやらしい。その目つきがいやらしい。とにかく存在そのものがいららしいで御座る。

 せめての作り笑顔が、どうしても引きつるミカヅキであった。



「ああ、デカハナとやらの……」


 ふと口を突いて出たミカヅキのその呟きに、ナザレはくしゃりと顔を歪ませ少し困った様な表情を浮かべた。


 デカハナと団長を揶揄する悪口は散々耳にして来たが、目の前に居る様な年端もいかぬ子供に言われるとなると、大仰にしかりつけるのも彼の流儀では無い。かと言って、さらりと聞き流す訳にもいかないのが、彼の辛い立場でもある。


「んん~? 今のは聞かなかった事にしとくわ。でもな、お嬢ちゃん。口は災いの元って言うからね? もちょっと、気を付けて物を言った方が良いって事だぜ」

「お嬢ちゃんって、子供じゃ無いで御座るよ!」

「ほら。そういうとこ」



 ナザレはクスリと笑って、パチリと愛嬌たっぷりのウィンク。

 それを目の当たりにしたミカヅキは、鼻の穴がぷくりと広がり、ぷるぷると小刻みにわななくのを止め様が無かった。



「あわ、あわわわわ……」


 みるみる険悪な雰囲気になっていく様に、一歩後ろに下がって硬直していた若きジェライドは、二人を交互に眺め、どうにも手をこまねいてしまう。

 新人であり、身分も格下のジェライドは口を挟める立場で無い。老練な兵士ならば、ちょっとした一言で、その場の雰囲気をがらりと変えてしまう程度の話芸も出来たろう。

 だが、悲しいかな若きジェライドに、それを求めるのは酷と言うもの。


「ふ、副団長~……副団長ぉぉ~……」

「ほらほら。ちょっとだけ、ちょっと見るだけなんだからさぁ~」


 背後から声を殺して呼び掛ける、そんな部下の苦悩など気にも留めず、ナザレは身を乗り出す様に戸口に右の二の腕を掛け。ミカヅキを見下ろす様に、左手の親指と人差し指でジェスチャーを繰り返す。それがとても軽薄に思えた。


 普段からそうなんじゃないかと思ってたけど、なんか最低だこの人!


 ジェライドの脳裏にそんな言葉が閃くも、それを口にする訳にはいかない。変に押しの強いところがある、くらいに思っていたけれど、こうも商売女を相手にする様な物言いはとても田舎臭く感じられて仕方ない。

 ジェライドは、自分がとても格好悪い気がして、何ともやるせない気分にさせられた。



 やがてしぶしぶと引き下がるミカヅキ。もう、面倒くさいやら何やらで、さっさとお帰り願おうという腹だ。


「仕方ないで御座るな……ちょっとだけなら……」

「そうこなくっちゃ~。おい、ジェライド」

「あ、はい!」


 顎でくいっと促され、ジェライドはナザレに続いた。

 すっかり不機嫌な青い目の美少女に睨まれながら、彼女の髪が、まるで蛇の様にふわりとうねる様に目を奪われつつ、窓の無い明るい室内へと入る。


 天井が一面、白く輝いている。

 大理石の様な、真っ白く大きな作業台が真っ先に目に入って来た。牛や馬を一頭まるまる乗せても大丈夫なくらいに大きな、頑丈そうな作業台だ。

 その上に、皮の剥かれた玉ねぎやら、みじん切りにされたそれらしい物が、小さな山をそれぞれに作っており、つい今しがたまで彼女がそれを使って作業していたであろう包丁が、天井からの光を反射して白く輝いて見えた。



「ふう~ん……」


 室内をさらりと見渡したナザレは、ずかずかと奥にある三つの大窯の前まで歩み寄り、勝手に撫で回して、ますますミカヅキの不快感を増大させていく。


「これ、うちが依頼した物? 少なくない?」


 窯の中には、寸胴が一つずつ。計二つ。昨夜作った試作品とやらで、片方は今朝の朝食に半分いただいた奴。もう片方は未開封の鍋だ。それを開けられるのは、今のところシュルルだけ。ミカヅキには開ける事が出来ない物。


「それは昨夜作った試作品で御座る。依頼された品は、これからで御座るよ」

「今から? 昼に間に合わないんじゃない?」

「仕方ないで御座るよ。今朝、起きてから依頼の話を聞かされ、予定に無い事をしてるので御座るから」

「ふう~ん……」


 そりゃそうかとナザレは思う。

 何しろ、昨夜、急な依頼をした訳だ。材料を用意するにも、百人分からの食材を手配するには、確かに無理がある様に感じられた。


 そもそも朝になり、門が開かれないと外からは食材が運び込まれない訳だ。都市の食料は、周辺の農村から毎日運び込まれる食材で主にまかなわれている。当然、周辺の領主がその責務を負う訳だが、騎士団にも近くに畑がある。騎士団の駐屯地の敷地内にもだ。今朝はそこで採れた野菜が使われていたらしい。勝手にやってくれと言ったら、本当に勝手にある物を使われて、騎士団の大半は食べ過ぎてダウンという憂き目だ。


「やれやれ。そういう所だぞ」

「?」


 抜けてる友への、思わずの呟きに変な顔をされ、慌てて口元に手をやるナザレ。

 勢いで金貨を握らせたその焦りを想い、苦笑するしか無い。だが、そうさせた女を、ますます一目見てから帰らねばと思ったりもする。

 俄然、興味が沸く、というものだ。


 こんな大きな子供が居る。人妻というのも悪くは無い。子供の顔だちをみれば想像がつく。良い趣味だ、と感心もする。


「で?」

「で? 何で御座るか?」


 ナザレは改めて値踏みする様に、ミカヅキを眺めた。


「お母さんは? シュルルとか言う」

「シュルルは姉で御座るよ」

「へ?」

「シュルル姉は、同い年で御座るよ」

「へ?」


 言ってる意味が良く判らない。


 あ~、双子か!?


 そう閃くと共に、目の前の娘が少し不憫にも思えて来て、ナザレは自然と目を細め、その胸元を改めて眺めた。


「そうか……まあ、気を落すな。その、何だ……お前さんにも、その内、良い出会いがあるというものさ。ものは悪くないんだから」

「はあ~? 何を言ってるで御座るか? シュルル姉は、買い出しに出たばかりだから、帰りは遅いで御座ろうよ。用件があるなら、伝えてやらぬ事も無いが……」


 さっさと帰れと念を込めて睨むミカヅキに、飄々として気にも留めぬナザレ。そして、ハラハラと戸口で立ちすくむジェライド。

 変な三すくみ。


「いや、待たせて貰う。一応、今朝の礼も言いたいしな。で、親は? 他に家族は居るんだろう?」

「それがし一尾……一人で留守居役で御座る」

「はあ!?」


 思わず素っ頓狂な声を挙げるナザレ。

 ミカヅキは、改めて変な生き物を見る目で、この男を怪訝そうに眺めた。


「何で御座るか、気味が悪い」

「いや、おま……一人!? あのなあ~! 女の子一人で留守番してるんだったら、簡単に扉を開けたりするもんじゃねえってぇ~の! ましてや、男を家に入れるなんて、あ、危ないだろっ!?」

「はあ~!? 何をぬかしおるか!? おぬしらが入れさせろ、見せろとうざ絡みして来たのでは御座らぬか!? 大体、それがしより遥かに弱っちいのが何人来ようが、物の数では御座らぬわ!! ええい、帰れ帰れ!! この下らぬ人間風情が!!」

「お前、バカか!?」

「ぬかせ!! いや、抜け!! この唐変木どもが!! 言うて判らぬなら、腕ずくで叩き出すぞっ!!」


 言うや否や、ミカヅキがすらり引き抜く道中差し。短いながらも波紋の浮かぶ刀身を煌めかせ、高々と掲げて見せた。


「お、おい! 待て! 危ないだろ!?」

「危ない目に合わせてくれん!!」

「いや、止めろ! な、落ち着け! 可愛い顔が台無しだぞ!」

「台無しなのはうぬの空っぽな脳みその方じゃ!!」

「ふ、副団長! ナザレ副団長! 帰りましょう!」

「バカ野郎! こんなガキの脅しに負けて、騎士団やってられっか!?」

「しゅ~!!」


 激しく威嚇するミカヅキ。小さな子供相手と抜刀する訳にもいかず、ナザレはじりじりと後退し、戸口のジェライドの所まで引き下がってしまった。


「帰りましょう! ね、帰りましょう!?」

「お、おい。引っ張んなって!」

「しゅ~!!」


 風の様に滑らかな、まるで滑る様なミカヅキの鋭い踏み込みに気押され、そのまま戸口から転げ出る二人は、絡み合う様に行き交う人々の中に飛び込んでしまう。


「たはっ!?」

「あああ、すいませんすいません!」

「二度と来んなー!!」


 バタンと目の前で扉が閉まり、二人は周囲の好奇の目線に晒されながら、呆然と見上げるしかなかった。



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