第五十五話『パンの買い出し部隊です』
ガチャガチャと武具を鳴らし、朝のベイカー街を兵士が歩く。ぞろぞろ歩く。
不揃いの鎧の上に白い貫頭衣。背には大きく『4』と黒い文字。胸に小さく『4』の文字。
その事から、彼らが第四騎士団の兵士だと一目fr判った。
隊列の行く手を、パン籠を持った市民が左右に割れ、自動的に通して行く。
人々は首を垂れて礼を示し、兵士たちは軽く手を挙げてそれに応える。手にした大きな籠を持ち上げて見せる。
「おはよう御座います!」
「おはよう御座います!」
「お勤め、ご苦労様です!」
感謝の気持ち半分。恐れ半分。
何か期限を損ねる様な事があれば、牢に放り込まれかねない。何しろ第四騎士団は評判が悪い。団長からして、卑しいオークの血が流れているとの、もっぱらの評判なのだ。実際、トラブルも多い。
「しっ……」
「見ちゃいけません……」
そっと子供を隠す。無分別に、おかしな事を言わない様に。
街の人からして見て、それはちょっと見慣れぬ光景だった。
勿論、騎士団とは言え人間の集まり。普段からパンは口にするだろう。だが、それらは注文を受けた側が、決まった感覚で、決まった量を届けるものだ。
彼らが自ら取りに来る事は、先ず無い。
その隊列が、一件のパン焼き屋の前で止まった。
「よ? 親父さん、居るかい?」
先頭の一人が隊列を仕草で停止させ、もう一人が中へ声をかけた。
およそ十人程の隊列。その先頭を歩く男二人は、少し風貌が違う。
先ず、体格が良い。普段から比較的良い物を食べて育ったからだ。
武装がそこそこ良い。特に中に声をかけた方は、少し高価な物を身に付けているのが判る。
「どう? 忙しい? 急に悪いねえ~」
騎士団の副騎士団長、ナザレ・アラメノ男爵だ。
もう一人は、若手の騎士爵。小隊長のジェライド・ソス青年。この春、見習いから昇爵したばかりのピカピカの騎士で、主に内勤で雑務の処理から任されているのだが、急なお仕事に緊張から、金の巻き毛がふわふわと落ち付かず、何度も直してしまう。
騎士団と言っても、騎士はその小隊長以上。それ以下は平民だ。そうなっている。
つまり、平民は小隊長以上にはなれないのだ。
「これはこれは! 一体、今朝は何の御用で御座いましょう!?」
中から大汗を拭き拭き転がる様に飛び出した男は、如何にも中年の、でっぷりと太った大男。背の高さでは、ナザレに引けを取らない。
その大男が、片膝を着き首を垂れた。
「こちらからお伺い致しましたに」
「おや。こっちも急な話でな。実は、昼用のパンが無くなってしまってな。全部。で、柄の注文がてら、こちらから取りに来たという訳さ」
「え!? あのパンをですか!?」
思わず頭を上げてしまい、店主のハンスは慌てて頭を下げ直した。
何しろ、一番安い粉で焼いたパンだ。酸味があって、固くてぼそぼそ。自分で焼いておきながら、あまり食べたいと想う代物では無かった。
その事は、ナザレも先刻ご承知。苦笑混じりに、おどけた表情。
「そうなんだがなあ~……バカ共が、ソースやスープに漬けてドカ食いをしちまって、全部パアだ」
「パア?」
「そ……パア……」
「ま、また御冗談を~……本当に、で、御座いますか?」
「かく言う俺も、腹がホレ」
少し前へ張り出して、ポンと軽く腹を叩いて見せる。ペロッと舌を出し、ナザレ独特の垂れ目で、人懐っこくウィンク。
ようようハンスは得心がいって、ほうと胸を撫で下ろした。
「それはそれは。よう御座いましたなあ~……と、と、これは失礼をば……」
「いい、いい。それよりパン、あるかい?」
思わず砕けた口調になってしまったハンスを、ナザレは咎める事も無く、その汗だくの肩をポンと叩いた。
「御座いますとも! おい! 誰か!?」
「へい!!」
「親方!!」
いつの間にか戸口で控えていた若いのが二人、威勢よく返事をする。
「出して差し上げて! 急いで急いで!!」
「へ、へい!」
「少々お待ちを!!」
わたわたと奥へ消える二人。
ナザレはジェライドへと、その二つに割れた顎をしゃくって見せると、若き騎士は頬を紅潮させて、それに応えた。
「それ!」
それを合図に、兵士たちはわたわたと奥へ続く。ジェライドは腰に手を置き、鼻を少し膨らませてそれを見やる。よし!
そんな様に、フッと口元を緩めたナザレは、ハンスの肩に置いた右手をそのままに、ある一点を指差して見せた。
「ところでさあ~」
「は! な、何で御座いましょう!?}
「まあまあ。大した事じゃ無いから。あそこって、確か廃墟だったよねえ? いつから?」
そこには、三階建てのかなり立派な建物が建っていた。
焼きレンガとも違う、灰色の、まったく継ぎ目の無い建築物。石を切り出して積み上げたのとも違う。それはまあ綺麗なものだ。
「さ、さあ~……そう言えば、いつの間に……」
「誰が住んでるんだい?」
「いえ、誰でしょう……? すいません……」
ハンスは、言われてみてちょっと不思議な気分になったが、大した事も無い様に思えた。
実際には昨日忽然と廃墟が変わったにも関わらず。
「それが何か?」
ハンスは一切の疑問を感じずに、そう答えていた。
新築の話など巡回からの報告を受けていないにも関わらず、ナザレも何の疑問も抱かなかった。
ただ……
「あそこに、シュルルという女が住んでいる筈なんだが?」
「へえ……存じ上げません。申し訳なく……」
「いや、いいさ。引き留めて悪かったな」
「そんな! 滅相も御座いません!」
「行って良いぞ」
「失礼致します!」
とんとハンスの肩を押し出し、ナザレはちらりジェライドを流し見、その二つに割れた顎で、ひぃとしゃくって見せた。
「おい、イイ女がいるって話だぜ。お前も見たいだろ?」