第五十一話『とある騎士団の食事当番』
星空の輝きが次第に弱まり、闇色の空が深い群青を帯びる頃、街中を駆ける足音が幾重にも響き出し、同時に金具がこすれる音も余韻となって流れた。
革底のブーツ。
様々な鎧武具。
短めの剣。
長柄の槍。
街を警護する騎士や兵士たちが、貴族街の門前、二つある大門、王城の正門前、それぞれに集まり出す。そして、それぞれに並ぶ。
そこは貴族街の前にある大門前。二百人程の兵士が居並び、点呼を。やがて、それが終わると、門から向かって、右端の方から先頭に立つ者が声を挙げた。
「第一小隊! 異常なし!」
「うむ」
この集団、大別して二つある。門を中央に、丁度左右に判れる。それぞれの集団の前にには、並び立つ兵士たちと比べ、立派な武具に身を包んだ男が二名ずつ立ち、一人がその報告に大仰に頷き、もう一人は一歩後ろにあって、この様子を静観していた。
静観しているこの男、人族の街にあって、オークの様に醜い豚鼻を僅かにひくつかせ、厳しい目線を己の前に居る集団へ、その一人一人に注いでいるのであった。
「第二小隊! 街中にてグール二体討伐! 負傷者二名! 寺院にて治療中!」
「うむ……」
「第三小隊! 港湾区にてスケルトン三体、ゾンビ五体と交戦! これを討伐! 負傷軽微!」
「うむ……」
一つの列に、大体八、九名。多くて十名。少ない隊もある。
報告を十二隊まで終えると、全ての小隊の報告が終わった。最後に「うむ」を繰り返していた巨漢の騎士が振り向き、醜いオーク面の騎士にすっちゃと敬礼し、かかとをカツーンと響かせた。
「第四騎士団第一大隊! 異常ありませーん!!」
「第四騎士団第一大隊! 異常無し!!」
復唱するや、そのオーク面の騎士は、仰々しい動作で左へ直角に身体の向きを変えた。すると、左側の集団の前に立つ生っ白い二人の男が、これまた仰々しい仕草で向き直り、四人が相対する事となる。
「ほうこーく!!」
オーク面の騎士は、右腕に金色の指揮棒を掲げ持ち、向かいの一人へと突き出した。
「公王の命により賜りし、第四騎士団が夜間警邏任務、異常なーし!!」
「公王の命により、第八騎士団!! 日中警邏任務を賜る!!」
双方、ずいずいっと歩み寄り、オーク面の騎士は大仰な仕草で、恭しくも両手の平を掲げた相手の手の中へと、その指揮棒を置いた。
すると、相手はそのまま姿勢で、ずずずいっと後ろへ下がり、やがて向き直った。それはオーク面の騎士も同じ事。
これを待っていたもう一人の騎士が、良く通る声で命ずる。
「第四騎士団、撤収!! 回れ~、右!!」
ざっざっざ!!
「進め!!」
ざっざっざっざっざっざっざ……
第一小隊と第二小隊から小走りで、二列でこの場を立ち去り出す。それを見送りながら、ちらりオーク面の騎士は、第八騎士団の団長へと流し見た。すると、相手の視線とぱったり合ってしまい、互いにフンと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
「豚が……今朝もブーブーよー鳴きよるわ」
「けっ……化粧臭くて叶わんわ。おかま野郎」
「「ああ~、臭い臭い」」
脇に侍るそれぞれの騎士も、目を細めて相手を見やる。
それは良くある光景だった。
◇ ◇ ◇
ちゃらんちゃらんとチェインメイルが騒ぐ。
まとわりつく様な香水の嫌な匂いを手を追い払いながら、カラシメンタイコ公国第四騎士団長は、その人類にしては異様に大きなオークと類似した鼻腔を鳴らし、ずるっと鼻を鳴らした。
アルゴンス・ドン・ボーア子爵。下級貴族ながら、分不相応な騎士団長を任された男。祖先を辿れば名門だが、分家筋の分家。田舎貴族の中の田舎貴族である。この公国自体が、きらびやかな伝統溢れる王国らと、海一つ隔てた歴史の浅いへんぴな田舎なのだが、それに輪をかけて、その醜い外観からも貴族間の風当たりが強く、何かと苦労が絶えないのだ。
「ぶふう~! まったく、どいつもこいつも胸糞悪いやつらばかりだ!」
「がっはっはっは! ひがんでんだよ! ま、気にすんなって方が難しいがな!」
双方、2mはある巨漢の騎士が、悪態をつきながらのっしのっしと練り歩く様は、すぐ近くにある騎士団の詰め所に吸い込まれた。
先に戻った兵士や騎士たちが、わいのわいのと騒ぎ立てる、騒々しい中へ。
「「お帰りなさい!」」
「おう」
「ご苦労さん」
騎士団長と副騎士団長の帰りに、第二大隊の兵士が出迎えた。大隊と言っても、日勤専門の兵士たちで、第一大隊に比べたら数も少ないし、文官も多い。
書類仕事や捕らえた罪人の管理、詰め所内の清掃に騎士団の畑の手入れとか、主に雑務をこなす部隊である。
「腹減ったなぁ~? ぶふ~」
「ああ。今朝は何か食えるもん、出るかなぁ~?}
がはがは。
何しろ、牢屋の住人も合わせて二百人は居る計算だ。一応、食事当番も内勤である第二大隊での持ち回り。専門の調理人はいないのだ。
パンは一番安いパンを大量に注文してあり、まとめて一週間分が届けられ、固くてぱさぱさしたのを、何か食えるか食えないか判らないものと一緒に噛み砕く。それが日常。
だから、女房が居る奴は家で食うと言って逃げる。そういう伝手の無い悲しい男たちが、日々の精神修養を行う場でもあったりする。この第四騎士団は。
「ぶふう~? 何か騒がしくねぇか?」
「そういやあ、そうだな?」
何か奥の方が騒々しい。
それに、心なしか血と汗と革鎧や油、鉄錆の匂いに混じり、ほんのり美味そうな香りが混じってるでは無いか?
アルゴンスは、はてと頭を捻った。
昨夜、あの女が持って来たスープの香りとも違うが、もしかしたら……
もしかするんじゃねぇか!?
そんな考えが過って、慌てて香りの元へと走るアルゴンス。
「お、おい!? 待てよ! 待てったら!」
「食堂だぁ~っ!」
副団長の制止も無視。
肉と脂の焼けた香ばしさに、ハーブとビネガーのつ~んとした鮮烈な香り。食堂に充満した、いつもの古い脂や何かが腐って発酵した異臭や、青臭いカビの匂いがしない!
何だ!?
何だこの香りは!?
食堂に入ると、そこは戦場だった。
百人を越す男たちが、奇声や雄たけびをあげなら、何やら奪い合う様にがっついている。
床には木の皿が散乱し、椅子が倒れ、そして長テーブルの上には何かがあった。
カランカランと空のカップが転がり、スプーンやフォークが飛び交う中、最早手づかみで喰らう。目の色変えて、ひたすら喰らう。
「ぶふう……何だこれは……?」
「あ~らら。こりゃ、クスリでも決めやがったかぁ~? おらっ!! お前たち!!」
副団長の一喝に、途端にシーンと鎮まり返り、硬直する男達。その手から、空の容器が落ちて、カラカラ~ン。
「食事当番!! 何をした!!?}
「へぇっ!? あっしらは何も!」
「あ、朝、来たら出来てたんでさあ!!」
「嘘をつけえ!!」
「「「「「「「「うひいいいい~」」」」」」」
そんな怯えた連中を目にもせず、アルゴンスはゆっくりと散らかった長テーブルへと近付き、大皿の上に乗せられた料理をねめつけた。
香りから、何が使われているか、喰わないでも判った。
挽き肉と玉ねぎの肉団子の餡掛け。これは樽で置いてあった塩漬け肉か?
畑の葉物を千切って、ワインビネガーと塩で揉んだハーブのサラダはまあシンプルだな。
そして、青菜とアスパラを摺り潰しただけのスープだあ? 隠し味に、生の玉ねぎを擦って入れた?
ぎろり。
その迫力に、周囲の者たちが、ぎくっとばかりに後ずさる。
「ぬうう……」
先ずは肉団子からだ。手づかみで口に運ぶ。
ほんのりぬくもりの残る肉団子からは、火の通った鮮度の良い玉ねぎの甘みと、スパイスがその臭みを優しく包み込んだ肉の旨味と相まって、実に優しい、ふんわりとした弾力のある味が。餡掛けのナツメグがそれを引き立て、くどくない。
ぺろり。指を舐め舐め、次はサラダを鷲掴み。
「ふぐう……」
今朝まで詰め所の畑に生えていた、そのみずみずしさは損なわれる事無く、ほどよく染みた塩と酸味のハーモニーが、口に残った脂身の残滓を爽やかに洗い流して行く。
魔法か!?
生野菜はそのまま齧るのが、一番甘くて美味いと思っていた。井戸水で洗って、がぶり。しゃくしゃくと。
だが……
「何だ、この味は?」
次はその一見、緑のどろ水に見えるスープへ手を伸ばし、ぐびり。
「ぶふうっ!!?」
「「「「「わっ、汚い!」」」」」
鼻から噴き出す緑の噴水に、正面に居た者たちは転げまわって跳び退いた。が、もろに被ってしまうのだ。
「お、おいっ! 大丈夫か!?」
すかさず背中をさする副団長を手で制し、アルゴンスはその凶悪な顔を更に凶悪に歪め、にちゃあ~っと不気味な笑みを浮かべるのだ。
つうっと額いを汗が伝い落ち、滴る青い鼻水を手の甲でぬぐった。
「や、やりやがったなぁ~、あのアマぁ~……」