第三十七話『生まれ変わった三つの竈』
わーっ! きゃっきゃと甲高い声を響かせ、カッカッカッと軽やかな木靴の音が駆け抜ける。そこはベーカー街、パン焼き職人達の通り。朝夕ともなればパンを焼く濃厚な良い香りが潮の匂いを打ち消す程に立ち込める。そんな素敵な場所だ。
「行くぜ、ヨッチャン!」
「待ってた、ホイ!」
「あははは!」
「行くぞ行くぞ~!!」
「うおおおおおお!!」
昼日中、家事の手伝いに追われていた市民の子供らが、親の目を盗んでは集まり、遊びに行くのはいつもの空き地。廃墟となったパン焼き工房の跡地だった。
今日は五人の勇者が集まった!
人数を集めて行かなきゃいけないのは、そこには別のグループが居るからだ。対立してる浮浪児たちのグループ。貧民で親無しのくせに、でかい面をして遊び場を占拠してる臭くて汚らしい奴らだ。
みんなひょろひょろで弱っちいけど、数に任せて対抗して来る。だから、こっちも集まってから殴り込みに行くんだ!
「それっ! 突撃ぃ~!!」
「「「「うおおおおおおおっ!!!」」」」
パンの入ったバスケットを下げたおばちゃんや、家のおつかいで来ただろう両手にそれを抱えた女の子を半ば巻き込みながら、一気にその空き地へ攻め入った!
ガン☆
「「「「「うあああああああっ!!?」」」」」
空き地に飛び込んだと思った瞬間、思いっきり頭から固い壁に激突して目かr火花が跳んだ!
「いてえよお~!」
「いたたたあ~……」
「ひいっひいっ!?」
「畜生! やりやがったなあ!!?」
「ママぁ~!」
その場で五人は団子になって引っ繰り返った。しこたまぶつけて痛い所を押さえながら、薄目を開けて身を丸めた。卑怯で薄汚い奴らが何かしたならば、絶対もっと何かやって来る! その確信があったから。
でも、なかなか襲って来ない。石をぶつけて来たり、木の棒で殴って来たりすると思ってたのに……
「あれ?」
変に思って、恐る恐る目を開けて見上げたら、たった今まで瓦礫しか無かった筈の空き地に、周りの建物と同じくらい高い建物が建っていた。
「「「「「えええ!?」」」」」
五人は異口同音。口をぽっかり空けて、唖然として見上げた。
まるで出来立ての様なまっさらの土の壁に窓や戸口があり、一階には広い間取りの窓が。
飛び込む空き地を間違えたのかと左右を見渡すと見慣れた建物が、パン焼き屋の工房が建ち並んでいる。間違い何かじゃ無い!
昨日までは、確かに空き地だったのに……
五人は痛みと共に、大切な遊び場が消えたという現実に、大きな喪失感を抱かずにはいられなかった。
大人の都合で、大切なおもちゃが取り上げられた! そんな理不尽に対する喪失感があった。
そして、衝動的にこみ上げる嗚咽。自然と涙がこぼれた。それが怪我の痛みの性なのか、己の無力感の性なのか、幼い心には判別のつきようが無い。
道を通る人たちは、その光景に違和感を覚ええるものの、次の瞬間にはそれが何なのか判らないでいた。不可思議な、ふわりとした感覚に、多少の戸惑いは覚えるものの、気のせいだったと結論付け、その場を通り過ぎる。
空き地に見せていた幻覚は破られた。だが、認識を阻害する魔法は破られてはいない。
誰も、昨日まで無かった建物がいつの間にか建っていた異常に、認識する事無く通り過ぎる。その前で五人の子供が転んで泣きそうになっているにも関わらず。
普段なら、気の良いおじさんおばさんが駆け寄って助け起こす筈なのに。
魔法が人々の心を鈍化させていた。
「あらあら、大変」
不意に声をかけられた。耳障りの良い、明るく、柔らかで涼やかな声。
見れば、いつの間にか真っ赤なワンピース姿の女性が、その建物の戸口に立っていた。
大きな青い瞳を見開いて、すうっと音も無く目の前に立つ、凄く綺麗な大人の女性に、思わず胸の中の空気を全部吐き出してしまう。
「痛いでしょう? はい」
その人の冷たい手が、ずきずきと痛む所に触れると、不思議と痛みが和らいだ。
とても不思議だった。
膨らんでいたたんこぶも、気付いたら無く、血が流れ出てた筈の傷も、その傷口からして消えていた。服に着いた筈の血すらも、その跡が無い。
でも、すぐに忘れた。
お姉さんの大きくて柔らかな手が、まるで包み込む様に、順繰りに頭や頬を撫でてくれたから。それだけでぽおっとなって、すうっと気分が良くなっていく。
「君たち、大丈夫?」
「「「「「は、はい!」」」」」
「ごめんね~。ここに家を建てちゃって。大切な遊び場だったんでしょう?」
みんな、一斉に首を横に振った。
そのたまらない微笑みが、曇らない様にと、必至に。
「良かった。ここで食べ物を売る事になるから、お母さん教えてあげてくれる?」
「「「「「判りました!」」」」」
「そう、いい子ね」
その人がにっこりと微笑むさまが、どうにもたまらなくて、ぴゅうっと有頂天になっちゃうんだけど、同時にそんな自分が恥ずかしくなってしまい、真っ赤な顔で立ち上がった。
「「「「「あ、ありがとう、お姉ちゃん!」」」」」
「よろしくね~」
そのまま、何度も振り返りながら走り出す。道行く人にぶつかりながら。何度も何度も振り返って。
その人がにこやかに手を振ってくれているから。
そんな自分が、とてつもなく恥ずかしいから。
「やれやれ。悪いお姉ちゃんで御座るな~……」
「あら、酷い言いようね?」
調理場から直接通りへ面する大きな間口に、いつの間にかミカヅキが肘を付いて眺めていた。顎を両手で支え、うろんな目で眺めている。そこは売り場のカウンターになる所。
「あんな小さな子たちの、性癖を歪める様な真似を。いやはや、世も末で御座るなあ~」
「してなかったでしょ!?」
ぷうと頬を膨らませるシュルルに、にやにやと顔を引っ込めるミカヅキ。ふわり青いワンピースのすそがはためいた。
「こら!」
「はて、それがしは何も~」
あははははと笑いながら、ひらり作業台に戻るミカヅキを追って、シュルルも調理に戻りました。
調理場の中央には、元素魔法で合成した一見一枚岩に見える分厚い大理石の作業台がど~んとあり、その下に尻尾を滑り込ませた二尾は、再び包丁を手に向き合います。
目の前には、結構頑張って刻んだ根菜やらが幾つか山となっている。
「それがしなんかは糞ババアだのに、シュルル姉は綺麗なお姉ちゃんって、これ如何に?」
「む……」
少し考える。
お互い顔だちは似ている。姉妹なんだから当たり前だけど、性格? それとも……
そっと両手で己の乳房を持ち上げて見る。自分でも結構ある方だと思うわ。
「母乳の出が違うとか? 将来的な話」
「むむむ……」
包丁を持った手で、胸元をガードするミカヅキ。険しい顔で、唇を尖らせた。
「こらこら。危ないでしょ?」
「ずるいで御座る」
「何? こんなもの大きくしたいの? 赤ちゃん産めば勝手に大きくなるらしいわよ~?」
「ぶーぶー」
「大きくは……出来るかもよ?」
「いらんで御座る!」
ぷいっ!
あ~あ、ヘソ曲げちゃったわ。
腕と違って勝手に左右にぷらんぷらんするから、ちょっと邪魔な気がするけれど、犬や猫、牛や豚やヤギを見ればとても大切な器官だと判るからね。
ま、私たち、オスが居ないからそういう話は無いかもだけど。
ここの図書館に、繁殖の手がかりがあれば良いんだけれど……
「ささ。後はこれをお鍋に入れてっと……」
「むう。こうで御座るか?」
「そうそう。均等にね~」
一口大にカットした瓜やら根菜類を、二尾でごろごろっとお鍋に投入投入。
実はお鍋、あれから三つ用意してみました。
一つはお魚をメインにした煮物。
もう一つは、鶏肉をメインにした煮物。
そして、最後はアラとか骨とか野菜くずを入れてブイヨンに。
それぞれに臭み取りのハーブやらを投入して~の。
材料を投入した鍋三つを前に、私は腰に手を置いてうんうんと頷きました。
「今回は、煮物には塩水を半分くらいにひたひたで、野菜くずは何も入れないわ」
「え? 焦げちゃわない!? ……で、御座ろう?」
「う~ん……普通はそうなんだけど、今回はちょっと違うのよね~」
びっくり顔のミカヅキにそう言って、またも銅貨でお鍋の蓋を造ります。
一抱えもある寸胴鍋に材料を入れると人にとっては結構な重さになるんだけれど、それに蓋をします。完全に鍋と蓋とを融合させて、カプセルにしちゃうのよね~。
「普通、煮込み料理をしてて焦げ付かせちゃうのは、長く温めすぎちゃう事で、水分や油分が全部蒸散して出ていっちゃうからなのよ。でも、こうして鍋と蓋を隙間無く融合させれば~……」
「融合させれば?」
「どこにも出口が無いから、水分も香りも旨味もまったく逃げ出さずに鍋の中に残るという仕掛けね。熱い時に蓋を開けると、噴き出して危ないと思うけど」
「見た事も聞いた事も無いで御座るよ!」
「う~ん……ラベンダーの香油とかバラの香油とか、わざと蒸散させたのを冷やして液体に戻して使うから、その逆をいく訳よ。わかりる~?」
「ううう……判らんで御座る……」
私の説明に頭を抱えるミカヅキに、クスっと笑いながらも、論より証拠かなとそれぞれの竈に鍋を一つずつ入れました。
薪は木箱を壊して使います。どのくらいで炎が良い塩梅になるか、まだ良く判らないからちょい足しながらで……
「さあ、竈に火を入れるわよ!」